実学・企業法務(第143回)
法務目線の業界探訪〔Ⅲ〕自動車
同志社大学法学部
企業法務教育スーパーバイザー
齋 藤 憲 道
〔Ⅲ〕自動車
2. 企業と行政の役割
-
・ 自動車メーカーには、車の走行・安全・環境等の高性能化が求められる。
〔メーカーの役割の例〕
より有用な車を開発する役割、自動車の安全性を高める役割、低公害車を開発する役割。
製品に欠陥・不具合があれば、リコール責任(保安基準への適合)、製造物責任を負う。 -
・ 行政には、自動車を安全かつ有益なものとして利用できる社会インフラを整備することが求められる。
道路整備、交通制御(信号、制御システム)
自動車の技術基準・安全確保(保安基準、型式指定等)
各種の関連制度(登録ナンバー制度、車検制度、運転免許制度、リコール制度)
燃料の調達・備蓄(原油・LPガス等)、供給網(ガソリンスタンド、LPGスタンド等)
環境対策(排ガス規制、適切な廃棄処理制度、リサイクル制度)
事故発生時の被害者救済制度(保険制度の整備、自賠責保険制度)
レンタカー・中古販売等の事業を適切に運営するための規制
紛争解決の仕組み
3. 自動車産業の歴史[1]
自動車が発明されてから現在までの産業の変遷を見ると、時代によって自動車業界の主要課題が移り変わってきたことが分かる。
以下に、自動車に関する主な出来事を、日本及び日本企業に焦点を当てて列挙する。
- (注) 個別テーマの詳細については、後出の「6. 自動車業界全体の主な取り組みテーマ」を参照されたい。
各項の冒頭のマークの意味は、次の通りである。
★新技術 ◎利用者規制 ○環境 △道路・制御 □海外生産 ■通商摩擦 ・合従連衡 ●税金
1860年 ★ルノアール(仏)が内燃機関の実用化に成功。ガスエンジンの特許取得
1962年にこのエンジン搭載車の試運転に成功
1862年 ★ロシャ(仏)が内燃機関の論文発表
1867年 ★オットー(独)が2サイクルエンジンを開発し、パリ世界博覧会で実演
1876年に4サイクル理論(オットーサイクル)確立
1886年 ★ベンツ(独)がガソリンエンジン3輪自動車の特許取得
1888年 ★ダンロップ(アイルランド)が空気入りタイヤの特許取得
1890年 ★ダイムラー自動車会社(独)設立
1892年 ★ディーゼル(独)が圧縮着火のディーゼルエンジンを開発(1893年特許取得)
1895年 ★フランス(パリ~ボルドー往復)で、世界初の自動車スピードレース
レースには蒸気、電気も参加し、ガソリン車が優位を確立。
空気入りタイヤが高速を実証[2]。
1898年 ★タイヤのグッドイヤー(米)創業
1904年 ★日本で「山羽式蒸気自動車」完成(日本初の自動車)
1907年 ◎警視庁(東京府)自動車取締規則で、自家用車免許証を初めて規定
1913年 ★フォード(米)がベルトコンベア方式を用いた量産ラインを採用
1914年 日本で自動車保険が始まる
当時、約1,000台しかなく、高価な財産を守るための保険だった。
1919年 東京に初のガソリンスタンド設置
1924年 東京市営バス運航開始
1929年以降、日本で自動車メーカー設立
29年㈱石川島自動車製作所(現、いすゞ)、33年豊田自動織機自動車部、33年自動車製造㈱(現、日産)
1930年 △日本の交差点に信号機を導入(日比谷に中央柱式、京都に現在の側柱式)
1930年 日本で、タクシー・バス等の安全性を確保するための車検制度を開始
1947年 ◎日本で、現在の運転免許制度に近い制度を制定(技能試験実施、車を所有しない者も可)
1948年 本田技研工業設立
1949年 △日本で道路交通法改正「人は右、車は左」の対面交通を実施
1950年 ●日本で、自動車の配給統制全面撤廃、公定価格廃止、自動車税新設
1951年 ◎日本で道路運送法制定、道路運送車両法制定(車検制度を含む)
1953年 △初の有料道路開通(松阪~宇治山田)
1955年 ●日本で「地方道路税法」制定
1955年 日本で「自動車賠償保障法」制定(強制保険)
1955年 | 1989年 | 2016年 | |
交通事故件数[3] | 9.40万件 | 66.14万件 | 49.92万件 |
交通事故死者数 | 6,379人 | 11,086人 | 3,904人 |
自動車保有台数[4] | 150万台 | 5,514万台 | 8,090万台 |
※1959年に、交通事故死者数が初めて1万人を超えた。
1955年頃 警察官・婦人交通指導員・学校関係者等により、子ども安全教育が活発化
1958年 ●日本で「軽自動車税」新設
1960年 ◎日本で道路交通法制定(道路交通取締法を廃止)この時、酒気帯び運転を禁止
1961~62年 △日本初の自動車専用道路・首都高速道路が開通
1962年 ◎自動車の保管場所の確保等に関する法律公布
1962年 JAF(日本自動車連盟)発足
1962年以降 自動車専用船が就航[5]
1964年 ★ホンダがF1に初出場(1965年に初優勝)
1965年 米国で「Unsafe at Any Speed」出版 Ralph Nader弁護士がGM車を告発
〔要求事項〕欠陥車の生産中止、消費者代表役員起用、社会的責任監視委員会の設置
1965年 ■日本が完成乗用車の輸入自由化を実施
1966年 △東京(銀座地区)で、コンピュータを用いた広域交通制御を開始
1967年 ★東洋工業(現、マツダ)がロータリーエンジン車を新発売
1968年 ◎日本で、交通違反に対し、点数による行政処分制度を導入(迅速取り締まり)
1968年 ○日本で、大気汚染防止法、騒音規制法制定
1968年 ●日本で、自動車取得税を新設
1969年 自動車型式指定規則(運輸省令)で自動車のリコール制度を法制化(欠陥車を公表)
1969年 △東名高速道路全面開通
1970年 ・三菱重工業が自動車部門を分離して、三菱自動車工業㈱を設立
1970年 交通安全対策基本法[6]を制定
1970年 ○米国でマスキー法(大気汚染防止法)制定
1970年代 石油危機を機に、日本製小型自動車の対米輸出が急増
1971年 ・いすゞ自動車がGMと資本提携(GMがいすゞ株式の34.2%を取得)
2006年 いすゞ自動車とGMが資本提携関係を解消、戦略的業務提携は継続
1971年 ■日本が自動車の外国規制を緩和
資本の自由化を実施
トラック・バス・エンジン・エンジン部品の輸入自由化、自動車関税を一律10%に引下
1971年 ●日本が自動車重量税を新設
1972年 ★ホンダ(日)がCVCCエンジンを発表(米国の排ガス規制マスキー法に世界初適合)
他の日本車もこれに続き、世界シェアを向上 ⇔ 欧米車は規制延期を求めていた。
1973年 ○日本で自動車排ガス規制開始(昭和48年度排出ガス規制を新型車に適用開始)
1973年 ○米国環境保護庁(EPA)がマスキー法1975年排ガス規制の適用を1年延期すると発表
1973年 第1次石油危機発生
1973年 ◎日本で、軽自動車の車検制度を導入(これまで、軽自動車に車検制度はなかった)
1974年 ○環境庁が昭和50年度排出ガス規制値を告示
1974年 ■全米自動車労組が日本に「対米輸出自主規制」を要請
1974年 ○日本で、ディーゼル車を排ガス規制の対象にする
1974年 日本で保安基準を改正し前席3点式シートベルト装着を義務付け
1975年 ■米国が輸入車のダンピング調査を開始
1976年 ○環境庁が、昭和53年度排ガス規制値を告示
1977年 ○日本政府が、輸入車への昭和53年度排ガス規制適用を3年延期
1977年 〇米国運輸省が、燃費基準を発表(1980年代までに毎年2mile/gallon改善)
1978年 ■●日本の自動車輸入関税「0%」
1978年 ○昭和53年度排ガス規制を国産の新型車に適用開始
1978年 □フォルクスワーゲン米国工場が操業開始
1978年 ◎日本の全ての道路で、オートバイ乗車時のヘルメット着用を義務化
1979年 第2次石油危機発生。米国消費者の嗜好が、大型車から燃費効率の良い小型車にシフト
1979年の米国自動車輸入が前年比16%増(日本車輸入は30%増)、米国の国産車販売は10%減
1979年 ・東洋工業(現、マツダ)とフォードが資本提携(フォードが25%出資)
1980年 □米国日産自動車製造会社設立
1983年 米国テネシー工場の操業開始
1980年 日本の自動車生産台数が世界一(1,100万台強)
1981年 ■日本が乗用車の対米輸出自主規制を実施
81年4月~84年3月 168万台/年
84年度 185万台/年、85~90年度 230万台/年、92~93年度 165万台、と継続
1981年 ■日本が乗用車の対カナダ輸出自主規制を実施(1981年度 17.4万台強)
1981年 ■ECが全域で日本車の輸出自粛を求め、国毎の交渉で国産化・現地部品調達等を規制
1992年まで対日輸入数量制限がイタリア(91年4,500台)・スペイン(91年1,200台)等で続く。
日本車にとって欧州の自由市場は北欧4カ国とスイスのみに。
1981年 ★ホンダが世界初のカーナビシステム発売
1982年 □ホンダが米国オハイオ工場操業開始
1983年 ◎日本で道路運送車両法改正(自家用乗用車の初回の車検を2年から3年に変更)
1984年 □英国日産自動車製造会社設立 1986年 工場操業開始
1984年 □トヨタとGMが米国でNUMMI(折半出資)を設立
1985年 開所式を行いGMのChevrolet他生産開始。1986年 トヨタのカローラFX生産開始
1984年 □ダイハツ工業が中国(天津)で商用車を生産開始
1985年 □マツダが米国生産会社(MMUC)を設立
1985年 ・三菱自動車工業が米国クライスラーと、米国に合弁会社を設立
1991年に三菱自動車工業が、クライスラーが保有する合弁会社の普通株式全部を取得
1987年 ★富士重工(現、SUBARU〈スバル〉)が世界初の無段変速機搭載車(CVT)搭載車を発表
1987年 ■自動車部品を対象とする日米MOSS協議(市場重視型個別協議)決着
1990年 ■通産省(現、経済産業省)が日本の自動車メーカーに、米国生産における部品現地調達比率を75%程度に引き上げるよう要請
1990年 ■自動車部品に関する日米MOSS協議
「日本メーカーによる米国製品購入実績の定期検証を行う」ことで合意
1990年 MIT教授ら[7]がトヨタ生産方式を研究し「リーン生産方式」として欧米に紹介
1991年 ★マツダがル・マン24時間レースで総合優勝(ロータリーエンジン搭載車)
1991年 ◎日本で、オートマチック限定運転免許制度が開始
1991年 ■米国商務省、日本製ミニバンにダンピング「クロ」仮決定
1992年1月 ■日米「グローバル・パートナーシップ行動計画」
日本の自動車会社が米国製部品を1994年度に190億$にする自主計画を設定(約束か否か不透明)
1992年 米国GMが新たに9工場の閉鎖又は売却を発表
1993年 □トヨタテクニカルセンターUSAがテストコース開所(アリゾナ)
1993年 ■日米包括経済協議枠組み合意(自動車とその部品が重要テーマになる)
1993年 ■日・EC自動車協議合意
1993年 ■官民合同の「日本自動車産業訪中代表団」が訪中
1993年 ○日本で環境基本法制定
1994年 道路運送車両法が改正され、運輸省令だったリコール制度を法律で規制
1994年 ■対EU輸出枠98万4,000台で合意
1994年 ■通産大臣が対米自動車輸出自主規制の撤廃を発表
1994年 米国「JDパワー[8]」が品質調査結果を発表「ベスト11に日本車が8車種」
1994年 ■日本輸出入銀行が、米国ビッグ3に、右ハンドル車開発支援のための融資
1995年 ★日本道路公団が、カードによる高速料金支払いシステムを導入
1995年 ㈶自動車製造物責任相談センター(通称、自動車ADR)設立。製造物責任法施行
1995年 ■日米自動車交渉が実質合意
1995年 ■韓国が、日本車の輸入を一部解禁
1996年 ・マツダがフォード傘下に入る(フォードが持株比率を25%から33.4%に引上げ、社長を派遣)
1996年 △道路交通情報通信システムVICS営業開始
1997年 ★トヨタが量産ハイブリッド車「プリウス」を世界で初めて市場投入
1998年 △明石海峡大橋が開通
1999年 ★ホンダ、天然ガス自動車で日本初の型式指定
1999年 ・日産がルノーの傘下に入る
1999年 ・三菱自動車がボルボとトラック・バスの開発・生産・販売で提携
ボルボは三菱自動車の新株発行を引き受け、払込
1999年 ・富士重工(現、SUBARU〈スバル〉)がGMと資本・業務提携、2000年にGMが増資払込
2000年 ・三菱自動車にダイムラー・クライスラーが34%出資(新株引受)
乗用車・小型商用車の設計・開発・生産・流通で提携
2000年 ◎日本で、6歳未満の幼児にチャイルドシート使用を義務化
2000年 〇東京都が、都制定の排ガス基準を超える自動車の走行を禁止
2002年 〇日本で自動車リサイクル法制定(車検時に「リサイクル領収書」が必要)
2002年 ★トヨタがF1に初参戦
2003年 日本で道路運送車両法が改正され、リコール命令規定を創設、罰則強化
2003年8月 ・日産が三菱自動車と、軽商用車の製品供給契約を締結
2005~6年 ・富士重工(現、SUBARU〈スバル〉)がGMとの資本提携を解消
トヨタが、GMが保有する富士重工株式の大半を取得
2006年 ・いすゞがGMとの35年間の資本提携を解消
GM保有のいすゞ株式は、三菱商事、伊藤忠商事、みずほコーポレート銀行に譲渡
2006年 ★三菱 電気自動車「i-MiEV」発表 2009年に発売
2009年 クライスラー(4月)とGM(6月)の2社が、米国・連邦倒産法11章適用を申請
2009年 ・米GMが、トヨタとの米国合弁NUMMIから撤退(2010年4月、NUMMI生産終了)
2009年 販売台数で、中国が米国を抜いて世界最大市場に
2010年 ・日産・ルノーがダイムラー(独)と資本・業務提携
2010年 ★日産が、日米欧で電気自動車「LEAF」を発売(世界初)
2011年 3月 東日本大震災発生 10月 タイで大雨による長期の大規模洪水発生
各社がサプライチェーン・マネジメント及びリスク・マネジメントに取り組み
2011年 ・日産と三菱自動車が軽自動車事業の合弁会社「NMKV」(各50%出資)を設立
2014年 タカタ製「エアバッグ」のリコール問題発生(2008年頃から不具合問題を認識)
2014年 ★トヨタが燃料電池自動車「MIRAI」を発売
2015年 ★トヨタが燃料電池自動車関係の特許(世界で5,680件)を無償公開[9]
2015年 ・フォードが徐々に進めてきたマツダ株式の売却を完了し、36年間の資本提携が解消
2016年 ・日産が三菱自動車株の34%を取得
2016年 ★世界で自動車の自動走行の研究・実用化検証が活発化
2017年 ★英仏両政府が、2040年までにガソリン車の生産・販売を禁止する方針を発表
※ 中国も英仏の方針に追随する検討を開始する旨が報道された。
[1] 官庁資料、日本自動車工業会資料、「トヨタ自動車75年史」「日産・会社の歴史」「HONDAヒストリー」等の社史・広報資料、マスコミ報道等を基にして筆者が作成。
[2] フランスのミシュラン兄弟が空気入りタイヤを交換しつつ完走した。
[3] 警察庁(交通事故件数、交通事故死者数)
[4] 1955年は総務省、1989年・2015年は自動車検査登録情報協会(いずれも、4輪車・2輪車を含む)
[5] 1962年「東朝丸」日藤海運、65年「追浜丸」日産、66年「座間丸」昭和海運、70年「第10とよた丸」川崎汽船、71年「かなだ丸」商船三井(日本海事新聞1302「海の物流システム革新事例『商船の変遷史 自動車専用船』臼井潔人」、日藤海運HP、等より)
[6] 内閣府に中央交通安全対策会議(会長は内閣総理大臣、内閣官房長官、国家公安委員会委員長、国土交通大臣、その他で組織する。)を設け、交通安全基本計画を作成して公表する(交通安全対策基本法15条、22条)。2016年3月10日の第10次交通安全基本計画(5ヵ年)では、陸上交通(道路、鉄道、踏切道)、海上交通、航空交通に関する基本計画が作成されている。
[7] James P.Womack、Daniel T.Jonesが1990年に「The Machine that changed the World」として報告した。
[8] 民間の調査・コンサルティング会社
[9] 燃料電池スタック(約1970件)、高圧水素タンク(約290件)、燃料電池システム制御(約3350件)につき、2020年末まで、特許実施権を無償にする。水素ステーション関連の特許(約70件)は期間を限定せずに無償。