◇SH1839◇債権法改正後の民法の未来27 不実表示・相手方により生じた動機の錯誤(3) 上田 純(2018/05/16)

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債権法改正後の民法の未来 27
不実表示・相手方により生じた動機の錯誤(3)

久保井総合法律事務所

弁護士 上 田   純

 

5 今後の参考になる議論

(一) 労働契約への適用

 労働契約の分野では、応募者のプライバシー、思想信条の自由等の人格権との調整が不可欠であること、使用者が応募者に求め得る情報についての判例・法律上の制限が乏しいこと、採用時の沈黙による詐欺等を理由に使用者が労働契約の取消しを主張するおそれがあることなどを挙げて、労働契約の応募者を適用対象とするかどうかについて慎重に検討すべきとの労働組合側委員・労働法学者らの意見があった[1]

 この懸念に対しては、労働者として雇用契約を締結しようとする者の人格権に関わるものとして労働契約を締結するかどうかを判断するに当たって考慮することが本来許されない事実は、「契約を締結するかどうかを判断するに当たって通常影響する事実」であるとか、これを考慮するのが「一般取引の通念に照らして正当と認められる」ということはできない[2]とか、また、意思表示をするかどうかの判断に当たって考慮することが社会通念上不当であると考えられる事項については「通常人であってもその意思表示をしなかった」とは言えない[3]とかを理由に、本提案による取消しは認められないとの考えが示されたが、なお、労働組合側委員・労働法学者・経済界側委員らからの慎重な意見が根強かった[4]

 この点、前述の解釈でもある程度対応可能と思われるが、前記懸念を払拭するためには、労働契約は適用除外である旨労働契約法等の特別法に明記することが考えられる[5]

 

(二) 表明保証実務への影響

 本提案が実現すると、企業賠償等の契約において利用される表明保証条項違反があった場合にも本提案に基づく取消しが認められてしまい、同条項違反の救済手段を補償請求に限定している実務との乖離を招き妥当でないとか、本提案の規定を排除する特約を認めるべきとの意見があった[6]

 これに対し、意思表示に関する規定は強行法規であり[7]本提案の規定を排除することはできないが、正確性を担保しない留保の下で情報提供した場合には不実表示に該当しない可能性があるとか、本提案の取消権を事前に放棄することも検討の余地があるとか、表明保証されている場合は因果関係が否定される等の見解があった[8]

 他方、現在の実務において、表明保証違反があっても損害賠償等で対応し解除等が予定されておらず当該取引は存続し錯誤無効は否定されると考えられているのであれば、同様の理由から、本提案が実現しても,当事者間の合意内容を探求することで錯誤を理由に当該取引を取消すことはできないとの指摘もあった[9]

 この点、どの要件で排除できるかは別として、多数の学者が表明保証について錯誤は問題とならないと説明している[10]こと、現在の動機の錯誤は表明保証実務において特段の問題あるとされていないこと[11]等からすれば、経済界の懸念は杞憂であると考えられ、本提案を否定する合理的な理由とはなっていないと考えられる。現実的な対応としては、懸念がないことについて、裁判例等を積み重ねて実証的に根拠付け、経済界の懸念を少しずつ払拭していくことが考えられる。

 

(三) 逆適用

 消費者保護を重視する観点から、消費者と事業者との法律行為(例:保険契約、不動産売買、中古品売買など)において、消費者が事業者に対して事実と異なる告知をした場合に事業者が意思表示を取り消すことができるのは適当でないとの意見もあった[12]。(以下、このように社会的弱者が社会的強者に対し不実表示を行った場合に社会的強者から取消しを主張されるケースを「逆適用」という)

 これに対し、当初は、そのような場合には因果関係の要件を満たさないと考えられ、消費者に逆に不利益となるようなルールとはならないとの意見[13]があった一方で、表意者の主観的要件を課す等の要件設定で調整すべきとの意見[14]もあった。

 その後、動機の錯誤の一類型として提案された際には、錯誤の要素性や表意者の重過失要件により、不当な結論となる懸念は払拭され得るとの考えが示された[15]

 この点、最終的に提案された動機の錯誤の一類型としての提案であれば、表意者に重過失がないことの要件が必要であり、他の錯誤の要件(要素性、因果関係)も踏まえると、逆適用の場合に不当に取消しが認められることは考え難く、本提案を否定する合理的な理由とはならないと考えられる。

 

(四) 第三者による不実表示

 不実表示が第三者により行われた場合、第三者による詐欺と同視できるとして、詐欺と同様の規律(96条2項)を設けるべきとの考えが示された[16]。他方、有価証券販売時に顧客に交付する目論見書に不実表示があるケースを念頭に、適用関係を明確にするため詐欺と同様の規定を設けるべきとの意見もあった[17]

 これに対し、第三者による不実表示は相手方による不実表示と同視できないとして、これに反対する意見もあった[18]

 この点、第三者の不実表示につき相手方が知り又は知ることができた場合には、相手方による不実表示の場合と同様に、相手方に落ち度が認められるため、詐欺と同様の規定を設けるべきと考えられる。ただし、明文化の抵抗が強いのであれば、この点を解釈に委ねることも考えられる。

 

(五) 裁判例の理解

 現行法下においても、相当数の裁判例において、実質的に、相手方の誤った表示により表意者に動機の錯誤を惹起したことが、錯誤無効を認める理由となっているとの理解が示された。このような裁判例では、動機が表示されたとして錯誤無効が認められているが、相手方の誤った表示により動機の錯誤に陥っている表意者が相手方に対し動機を表示したとするのは不自然であり、実際には、相手方の誤った表示により動機の錯誤を惹起したことが錯誤無効の決め手になっているとみるべきとの考えである[19]

 この点、最終的に、本提案が実現しなかったものであるが、それをもって従来の判例法理を否定するものではないため、本提案のような事案については、引き続き、新たな動機の錯誤の規定の解釈の中で解決されるべきものと考えられている[20]



[1] 中間的論点整理補足説明233頁、第10回議事録40-41頁

[2] 部会資料29・11頁

[3] 中間試案補足説明20-21頁

[4] 第32回議事録2-6頁・8-10頁、第64回議事録19頁、第76回議事録14頁

[5] 消費者契約法48条参照

[6] 中間的論点整理補足説明234頁、第10回議事録52-53頁

[7] 第10回議事録57頁

[8] 中間的論点整理補足説明234頁、第10回議事録57頁

[9] 部会資料78A・5頁、第88回議事録32-33頁

[10] 第88回議事録32-33頁、第90回議事録16頁

[11] 第88回議事録32-33頁

[12] 部会資料29・10頁、第10回議事録43頁

[13] 第10回議事録48頁

[14] 第10回議事録55頁

[15] 中間試案補足説明20頁

[16] 部会資料12-2・56頁、部会資料29・13頁、中間試案補足説明21頁、第64回議事録18頁・21頁

[17] 第64回議事録20頁

[18] 第64回議事録19頁

[19] 第88回議事録34頁、第90回議事録17頁、山本敬三NBL1025号(2014)37頁
  山本敬三「動機の錯誤に関する判例の状況」https://portal.shojihomu.co.jp/wp-content/uploads/2018/05/000121598.pdf

[20] 第96回議事録5頁

 

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