◇SH2697◇コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(182)コンプライアンス経営のまとめ⑮ 岩倉秀雄(2019/07/30)

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コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(182)

―コンプライアンス経営のまとめ⑮―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、危機管理のモデルと言われた雪印乳業(株)の八雲工場脱脂粉乳食中毒事件への対応と、それを導いた創業時の経営者の考え方についてまとめた。

 八雲工場脱脂粉乳食中毒事件は、1955年3月、雪印乳業八雲工場製の脱脂粉乳を使用した学校給食ミルクを飲んで発生した集団食中毒事件(患者数1,579人)に対して、雪印乳業(株)が迅速・誠実な対応を行うとともに、事件を教訓として品質管理の改善を継続することにより、危機管理のモデルと言われ社会的信用を得た事件である。

 当時社長の佐藤貢は、事件が落ち着いた後に八雲工場で訓示を行い、「品質によって失った名誉は、品質を持って回復する以外に道はない」と声涙ともに下る訓示を行い、その内容は「全社員に告ぐ」と題して全社員に配布された。

 その訓示は、毎年新入社員の入社式でも配布され、安全な製品づくりの重要性が教育されたが、昭和60年代には配布されなくなった。

 筆者は、当時の雪印乳業(株)が食中毒事件に迅速・誠実に対応しその後の品質の雪印を築き得たのは、佐藤貢(経営トップ)が自ら創業時の困難を乗り越えてきた創業経営者であり、かつ、創業時の酪連精神が組織文化の根幹に機能していたからであり、2000年の危機対応の失敗は、組織文化が変質し酪連精神が失われたことと無関係ではないと考える。

 2000年の食中毒事件で辞任した石川社長の後任の西紘平社長は、雪印乳業(株)創設者の一人である黒澤酉蔵の「健土健民」(大地の健康を増進することが心と体の健康な国民を生む)の思想を創業の精神として掲げ経営再建を図ったのは、社会的信用の回復が必要な同社にとって、必然であったかもしれない。

 今回は、平成の食中毒事件と牛肉偽装事件についてまとめる。

 

【コンプライアンス経営のまとめ⑮:食中毒事件と牛肉偽装事件④】

1. 雪印乳業食中毒事件と牛肉偽装事件の概要

 平成12年(2000年)6月(札幌での総会開催日)、雪印乳業(株)の「低脂肪乳」飲用による食中毒の第1報が入ってから12月の最終段階までに、診定患者数1万3,420人に上る大規模食中毒事件が発生した。

 当初、大阪工場(市乳工場)のずさんな衛生管理によるものと考えられていたが、その後の調査で、同工場生産の低脂肪乳の原料に使用されていた脱脂粉乳(北海道大樹工場製造)に、黄色ブドウ球菌が産生した毒素エンテロトキシンが含まれていたことが判明した。

 事件の報道がエスカレートする中で、雪印乳業(株)のずさんな衛生管理が次々と報道され、同社は消費者・流通の信用を失い、売り上げは大幅に落ちたが、信頼回復努力を重ね、一時売り上げは回復基調にあった。

 しかし、その2年後に発生した子会社の雪印食品(株)による牛肉偽装事件の発覚により、同社は決定的に社会的信用を失い、売り上げは大幅に下落、解体的出直しを迫られた。

 雪印食品(株)牛肉偽装事件は、子会社の雪印食品(株)が、国の狂牛病対策として行われた国産牛肉の買取制度を悪用し、豪州産牛肉を国産と偽って申請し、補助金をだまし取ろうとした詐欺事件で、取引先の西宮冷蔵の告発により公表された。(雪印食品(株)は2005年8月に会社清算)

 この事件により、再建途上にあった雪印乳業(株)は、2002年度黒字化を目指した再建計画を断念、2002年5月、農林中金・全農等から資本導入、全農・全酪連との合弁による市乳専門の合併会社(日本ミルクコミュニティ(株))の設立、事業の売却・提携・再編、大幅人員削減等を骨子とする新経営再建計画を公表するとともに、同年6月の株主総会で、食中毒事件後就任した西社長以下取締役全員が退任した。

 

2. 食中毒事件対応の問題点(雪印乳業社史第7巻より

(1) 情報開示の遅れと報道対応の不手際

 雪印乳業(株)は、(保健所の早期公表の指導に応じず)最初の届け出から2日後に食中毒の発生を公表し、その間に被害が拡大した。

 また、報道対応に不慣れで記者会見体制ができておらず、正確な情報を把握して意思統一をせずに記者会見に臨み、事実関係の報告が二転三転するとともに、幹部社員の不用意な発言(後述)もあり、雪印乳業(株)の信用を大幅に低下させた。

(2) 事件の原因特定に至るまでに時間がかかった。

  1. ① 大阪工場の記録があいまいで、脱脂粉乳の製造所が大樹工場ではなく、磯分内工場になっていた。
  2. ② 社内検査ではエンテロトキシン検査陰性(検査方法が確立していなかった)になっていた。

(3) 大樹工場の安全確保に対する認識の欠如

  1. ① 事故が発生した時の作業ルールが不備だった。
  2. ② 製造記録が不備で原因特定に時間がかかった。
  3. ③ 杜撰な衛生管理(脱粉製造中の停電事故を9時間放置)。
  4. ④ 殺菌神話(殺菌すれば、毒素も消えると考えていた)。
  5. ⑤ 規格外品(一般細菌が社内規定の10倍、食品衛生法基準の2倍)を再溶解 に使用した。

(4) 大阪工場の杜撰な衛生管理

  1. ① 日報の記載・訂正方法が不適切。
  2. ② 逆止弁の洗浄・分解不足(週1回⇒最長21日洗浄せず、記録も不十分)。
  3. ③ 仮設ホースの配管・洗浄不良、記録不十分、保管時に口に蓋がない。
  4. ④ 屋外での調合作業⇒脱脂粉乳の溶解・投入を屋外で実施(温度管理が不十分で不純物が混入しやすい)。
  5. ⑤ 再生品の再利用⇒未出荷品や返品品を原料として利用。期限切れ商品使用 の可能性も否定できない。
  6. ⑥ 加工乳の再生品を加工乳の原料として再利用⇒食品衛生法等乳等省令違反(雪印乳業が罰金の対象)。

(5) 経営幹部の記者会見での不用意な発言

  1. ①(何故、発表が遅れたのかの質問に)「原因が特定できるまで、消費者にいたずらに不安を煽るよりは、発表しない方が良い」、「保健所の発表と同じにするため」と述べ、被害拡大防止意識の欠如を露呈した。
  2. ② 幹部社員が「黄色人種と黒人の20%は乳糖不耐症」と発言し、差別発言としてメディアの批判を受けた。
  3. ③ 社長の「工場長それは本当か」、「寝てないんだ」発言等がメディアにより繰り返し報道され、組織の信用を失った。

 以上のことから、今回の食中毒事件で事故が事件化した本質的な原因は、技術的な問題によるよりも、同社が成功している間に創業時の酪連精神(組織文化)を風化させ八雲工場脱脂粉乳食中毒事件の教訓を忘れるという「成功のパラドクス」に陥ったことにある、と筆者には思われる。

 

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