◇SH0611◇法のかたち-所有と不法行為 第十一話-3「自然と所有の法-伝統社会、環境・生態系」 平井 進(2016/03/29)

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法のかたち-所有と不法行為

第十一話  自然と所有の法-伝統社会、環境・生態系

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

3  ロックの土地所有論-自然と人間の関係

 ここで、ジョン・ロックが、土地は人が耕作して生活に有用なものを産出しなければ意味がないと論じていたことについて、考察してみたい。

 ロックが述べていることは、第一に、人間がその生活を向上させるために自然に対して働きかけ(彼はこれを労働(Labour)という)、それを人間に有用であるようにしていく(具体的には灌漑施設を設け、土壌を改良する等)ということであり、第二に、それは自然と人間の関係であることから、それを行う者同士は独立しており、自然に働きかけて得たものを自らのものとすることに他者の同意を要することはなく、第三に、この活動は、自然に対して関係をもつ同様の活動を行う他者にとって、自然に充分な余地がある限り、その他者の活動を妨げることにならない(その者がもつものを侵害しない)ということである。[1]

 上記第一は、自然の土地は、人間がそれに働きかけることを要するという価値観を示している。[2]自然を有効に活用せずにもつ者は、自らに必要である範囲を越えてもつことになるので、他者がその自然を用いることができる分を無駄にすることになる。[3]

 上記は、自然(土地)に対してその人間にとっての有用性を高めるように働きかける農耕社会における価値観である。それでは、これを農耕を行わない社会に適用するとどうなるか。ロックは、アメリカ大陸の原住民が利用している土地よりも、イギリスで耕作している土地の方が千倍以上の産出があると評価する。[4]

 これは、アメリカ原住民の土地にそれ以外の者が入植して活動する(さらには原住民の生活を排除する)ことを正当化するための議論となったとする見方があり、そうであれば、その論は、ヨーロッパ諸国がヨーロッパ以外において植民地活動を行うことを正当化するための(経済的な)根拠となる。[5]

 ロックが示している上記の価値観は、そのようにとらえることが可能であり、実際にそのように機能してきたといってよい。

 一方、その農耕に関する価値観よりも基本的なものとして、ロックは自然権的な議論を示しており、それと対比するとどうなるか。第一に、農耕する人々が狩猟・採集民をその地から排除することは、原住民の生活を侵害すること、第二に、開拓するにあたって自分の生活に必要とする以上の土地をもつこと(大規模所有)は認められないことである。ロックの理論は、その基本において、植民地支配を正当化していたと見ることは妥当でない。

 



[1] Cf. John Locke, Two Treatises of Government, 1690, Laslett, Peter, ed., Cambridge University Press, 2nd ed., 1967, Second Treatise, Chap. 5, Sec. 28-33, pp. 288-291.

[2] Cf. Id., Sec. 36, 43, pp. 293, 298.

[3] Cf. Id., Sec. 37, p. 295.

[4] Cf. Id., Sec. 37, 41, 43, pp. 294, 296-297, 298.

[5] この議論については次を参照。James Tully, “Rediscovering America: The Two Treatises and Aboriginal Rights,” in An Approach to Political Philosophy: Locke in Contexts, Cambridge University Press, 1993.

 

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