コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(151)
―日本ミルクコミュニティ㈱のコンプライアンス㉓―
経営倫理実践研究センターフェロー
岩 倉 秀 雄
前回は、日本ミルクコミュニティ(株)のスタート時の混乱について述べた。
市乳統合会社設立準備委員会では、準備期間の不足に対する懸念の声が上がっていたが、設立時期を延期することは、雪印乳業(株)の経営破たんを早めることにつながることから、会社の設立は当初予定通りの期間で行われた。
しかし、会社が動き出すと、懸念は現実のものとなった。
ロジスティクス部門は、極力アイテム数を削減するように主張していたが、得意先との関係維持や売上減を極力避けたい営業部門の要望を優先したために、思い切ったアイテムの削減ができなかった。
それに加え、①システムに対する習熟期間が短く登録ミスが多発したこと、②統合した物流センターでの荷役作業担当者の訓練不足、③新商品「メグミルク牛乳」の想定以上の大量注文、④物流における一部旧システムの併用、⑤合併に参加した他社商品への知識が無く、かつ統合会社の管理システムに慣れていないこと、⑥関係先への連絡不足等、短期間に設立された合併会社にありがちな様々なトラブルが噴出し、遅配、欠配が頻出し対応に追われた。
そのために、営業、生産、物流、情報システム、財務・経理部門では、マンパワーの限界を超え、心身に支障をきたす者も現れた。
混乱を脱するために、本社では「本社商品供給危機管理委員会」を設置し、その下に4部連絡委員会(営業企画部、ロジスティクス部、情報システム部、生産技術部)を設けて、全事業部の朝夕の状況を把握し対応策を協議・実施した。
今回は、混乱への対応と経営への影響について考察する。
【日本ミルクコミュニィティ㈱のコンプライアンス㉓:会社設立時の混乱②】
(『日本ミルクコミュニティ史』183頁~215頁)
1. 混乱への対応
前述の通り、日本ミルクコミュニティ(株)は、設立時の混乱を乗り切るために、情報の一元化と課題の進捗管理を行う「本社商品供給危機管理委員会」(1月14日から「本社安定供給対策委員会」に改称)を2003年1月9日に立ち上げ、1月10日には、同委員会の下に、事業部の状況を把握し課題について協議・調整・決定を行う「4部連絡協議会」を設けて、連日対応に当たった。
各事業部でも緊急対策委員会を設けて、営業、生産、物流、システムに関する課題に対応した。
特に、大きなトラブルが発生した関西地区と中部地区では、本社・他事業部からの応援派遣[1]だけではなく、役員も現地に入って指導するとともに、時間の経過とともに従業員だけの業務応援では対応できず、旧3社の退職者や関係会社にも応援を依頼した。
社長の杉谷信一は、連日の緊急対応について、従業員にメッセージを発信して協力を呼びかける[2]とともに、労働組合に対しても「緊急対応に伴う勤務体制について」を提出して協力を要請[3]した。
その結果、トラブルは徐々に解消し、1月22日開催の「本社安定供給対策委員会」では「全体的に混乱が収束傾向にある」との認識が示された。[4]
2. 債務超過の危機と役員交代
会社スタート時の大規模な混乱は、経営に対するマイナスの影響を長引かせ、経営実績は、設立準備委員会で策定した中期経営計画(MC05)[5]と大きくかい離した。
MC05では、当初3ヵ月の売上を530億円、経常利益を▲16億円、当期利益を▲16億円としていたが、実績は、売上521.8億円、経常利益▲67.5億円、当期利益▲56.9億円と大幅に計画とかい離した。
新年度に入り、ようやく混乱が収まったことを受けて、それまで混乱のために開催できなかった事業部長会議を4月から毎月1回開催するとともに、本社と事業部の連携を密にするために、役員の域事業部担当制を実施した。
しかし、実績は5月以降も予算とのかい離が続き、赤字が積み上がっていったので、繁忙期の8月の単月黒字化を目指して、「毎日骨太MBP®」のリニューアルやメグミルクヨーグルトの投入等を行い、全社一体となった販売促進活動を展開したが、記録的冷夏に見舞われたこともあり、8月の売上高は、予算比85.1%の厳しい結果となった。
このように、日本ミルクコミュニティ(株)はスタート時の混乱を克服できず、2003年度上期の実績は、売上高1,136.5億円(予算比91.1%)、経常利益▲77.5億円、当期利益▲75.8億円となり、このままでは債務超過の危機に陥る可能性が高まっていた[6]。
10月の売上高も予算比94.5%と予算未達となったことから、11月20日臨時株主総会及び取締役会が開かれ、会社設立後1年も経ずに、杉谷代表取締役社長以下10名の常勤取締役の退任が決議され、経営執行体制が大幅に変更された。
経営の継続性を維持するために小原實専務が代表取締役社長に就任し、江澤郁子社外取締役が留任、渡邊関東事業部長が執行役員として残った他、元農林中央金庫農業部長の田高良茂(当時、共栄火災海上保険(株)常勤監査役)が代表取締役専務、全農酪農部次長の難波隆夫が常務取締役に就任し、10名の常勤役員を3名に削減して、経営再建に取り組むこととなった。
なお、2003年12月には、一部リース会社から資産買取の要請があり、2004年3月末時点で契約している全てのリース資産を買い取った。(『日本ミルクコミュニティ史』211頁~215頁)
つづく
[1] 事業部、工場、物流デポに行き、事業部の販売企画、生産企画、ロジスティックス業務、工場での出荷、冷蔵庫での商品在庫・出荷状況の把握・連絡等、現場業務を応援した。(『日本ミルクコミュニティ史』204頁)
[2] 2003年1月11日付「従業員の皆さまへ」(同184頁)
[3] 2003年1月14日付「緊急対応に伴なう勤務体制について」(同204頁)
[4] ただし、東北事情部では、1月25日にシステム統合を延期したために、統合後に新たにトラブルが発生し、混乱は2月11日まで続いた。(同205頁)
[5] 具体的な収支計画は、次の通りであった。(『日本ミルクコミュニティ史』159頁)
2003年3月期 | 2004年3月期 | 2005年3月期 | 2006年3月期 | |
純売上高 | 530 | 2.452 | 2,524 | 2,573 |
経常利益 | ▲16 | ▲11 | 12 | 27 |
当期利益 | ▲16 | ▲12 | 11 | 22 |
繰越利益 | ▲16 | ▲28 | ▲16 | 6 |
[6] 結局、2003年度(2003年4月~2004年3月)は、売上2,207.4億円、経常利益▲138.8億円、当期利益▲173.8億円となった。(『日本ミルクコミュニティ史』211頁)