コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(176)
―コンプライアンス経営のまとめ⑨―
経営倫理実践研究センターフェロー
岩 倉 秀 雄
前回は、従業員相談窓口の留意点について経験を踏まえてまとめた。
公益通報者保護法の改正もあり、一定規模の組織であれば、組織内・外に相談窓口を設置し、通報者・調査協力者の秘密保持と不利益扱いの禁止、役職員の調査協力義務等を定めた規定を設け、活用のPRにも努めている。
しかし、従業員相談窓口は、仕組みを作れば機能するというわけではない。
従業員相談窓口を有効に機能させるためには、役員(できるだけ上位が望ましい)・部門に、責任感・誠実性・情熱のある人材を選任し、問題発生時には役員と担当部門が密接に連携して直ちに対応し解決を図る必要がある。
また、子会社は、自ら及び親会社と共通の相談窓口を設け、相談内容を定期的に親会社に報告するとともに、問題の重要性、専門性、緊急性を踏まえ、親会社と連携して迅速に問題解決を図る必要がある。
従業員相談窓口の対応は、相談を真摯に受け止め門前払いの姿勢を示さない、事実関係の把握に努めメモを取る、従業員相談窓口の仕組みを十分に説明し相談者の理解を得る、調査には必要最小限の他の協力を得る必要があるので、秘密保持の範囲を相談者と合意しておく、調査の進捗具合を頻繁に連絡して相談者の不安を減らす等、が重要になる。
今回から、筆者の組織風土改革運動実践の経験と教訓についてまとめる。
【コンプライアンス経営のまとめ⑨:組織風土改革運動実践からの教訓①】
既述したが、筆者は、かつて所属した全国酪農業協同組合連合会(略称 全酪連)が、牛乳不正表示事件の発覚で組織が存続の危機に陥った際に、信頼回復と組織本来の在り方を全員で確認し前に進むために、自発的に組織風土改革運動を提案し事務局長として推進した。
本稿では、シャインをベースに組織論に基づき組織革新に関する様々な考察を行ったが、筆者のベースには、実際に行った組織風土改革運動の成功と失敗の実践経験がある。
1.「全酪連牛乳不正表示事件」の概要
- ⑴ 新設した全酪連長岡工場、宮城工場で、無調整牛乳に生クリーム、脱脂粉乳を混ぜて調整した「還元乳」を原料の一部に使用し「成分無調整牛乳」と表示して販売した表示違反事件。(平成8年3月発覚:雪印の食中毒事件 の4年前)
- ⑵ 役員の関与はなく、会議で決定されたものではなく、他の工場では行われていなかったので、組織ぐるみの実行とはされなかったが、法人としての全酪連は監督不行き届きとして、事件に関与した者とともに食品衛生法および不正競争防止法違反で刑事処分を受け、公取より景品表示法違反として排除命令を受けた。
- ⑶ メディアで、「水増し牛乳」と連日報道され、組織イメージは大きく傷つき、消費者団体の不買運動(地元)が発生、生協・スーパー等から一時的に 商品撤去や取引停止が発生、売り上げは大幅ダウンし、市乳の売上げは半分以下になった。(666億円→280億円)
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⑷ 全酪連は、乳業部門を別会社化し、雪印乳業(株)と提携する等により再起を図ったが成功せず、提携先の雪印乳業が食中毒事件や食肉偽装事件により経営危機に陥ったことから、雪印市乳部門、全農直販(株)とともに、 子会社のジャパンミルクネット(株)の市乳事業を分離、3者合併の市乳会社である日本ミルクコミュニティ(株)の設立に参加した。
(その後、同社は雪印乳業(株)と合併し、雪印メグミルク(株)となった。)
2. 全酪連の対応
全酪連は、捜査に全面協力する方針を掲げ、本所に弁護士を含む緊急対策本部、地元に現地対策本部を設置して対応した。
会長と担当常務2名が辞任し、関係職員の処分、組織体質の改善、全会的な人事刷新、工場における相互牽制機能の確立、品質保証部の設置、関係法令に関する従業員教育の徹底等を内容とする「再発防止改善計画書」を行政に提出し、営業を再開した。
3. 筆者の役割
筆者は、事件当時研究開発部研究開発課長代理だったが、事件発覚後は、本所対策本部事務局メンバーになり、危機管理・信頼回復・経営刷新策の立案(改善計画書に反映)を主導した。
事件が一段落した後には、経営管理・企画部門で、経営再建にあたり、金融機関への対応、雪印乳業との業務提携・合弁会社(現みちのくミルク(株))の設立窓口等を担当した。
また、日本ミルクコミュニティ(株)の設立に際しては、全酪連乳業統合準備室長兼日本ミルクコミュニティ(株)設立準備委員会事務局次長(全酪連の統合実務責任者)として、同社の設立に関与し、設立後は、コンプライアンス部長として同社に移籍した。
本稿では、全酪連の組織風土改革運動である「チャレンジ『新生・全酪連』運動」についてまとめる。
この運動は、組織の公式の業務ではなく、現場の若手管理職がボランティア的に運動を立ち上げ、それを不祥事により交代した経営トップ(信頼回復を目指す組織の象徴、組織風土改革運動の本部長に就任)が、承認するという形で推進した。
勤務時間内で、不祥事の発生原因や組織のあるべき姿、組織の今後の取組み方向等を各現場(牛乳・乳製品の製造・販売現場や飼料の製造・供給現場等)で議論し、それを運動ニュース等にまとめて全員(組織内外のステークホルダーに配布)で共有し、現場の運動リーダーが参集した全国会議で行動宣言を採択して第一ステージを終了した。
この運動は、外部からの信頼回復には成功したものの、新たな組織風土の形成に至る前に力を失った。
運動1年目は、下からの燃えるような熱い想いが組織を席巻し、組織の信頼回復を目指す参加者が自らのこれまでの仕事の仕方を見直し、どうすれば社会に信頼される仕事や開かれた組織を実現できるのかについて熱い議論を交わした。
行政、取引先、出資者、金融機関、生産者、消費者団体等は、「この組織は、不祥事を発生させたが、組織としては自浄作用を働かせることができる健全な組織である」と評価し、他の再発防止策と併せて信頼回復と取引再開に結びついた。
しかし、時が経過するにつれて、組織の全階層が運動に参加しなかったことや、「この運動を組織の公式活動に昇格させて継続する」ように訴えた筆者の提案は理解されず、事務局は総務部に引き継がれたが成員のコミットメントが薄れ、運動は消滅した。
つづく