弁護士の就職と転職Q&A
Q98「リーガルテック企業への参画は弁護士キャリアの亜流か? 本流か?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
「リーガルテック」なんて、一過性の流行り言葉であって、職人的法律家に求められるスキルは本質的には変わりはしない。そう信じてきた弁護士にとって、今年の夏から、大手法律事務所を巻き込んだリーガルテック関連で公表されたニュースには、そんな強がりを言っていられなくするほどの衝撃がありました。従来型業務スタイルを貫くことで逃げ切りたいと願う修習50期代までとは異なり、60期代以降の弁護士には、「あと20年以上プラクティスを続けるためには、さすがにテクノロジーの進歩を無視することはできないだろう」という問題意識を前提として、リーガルテック企業との関わりを、弁護士としてのキャリア形成において、どう位置付けるべきか迷うケースが増えてきています。
1 問題の所在
リーガルテックに懐疑的な旧世代は、個人向け又は中小企業向けのサービスは進化するとしても、大企業向けの高度なサービスの実用化までは相当に時間がかかるだろうと高を括っていました。その予想は、「大企業向けサービスのメインプレイヤーは大手法律事務所だが、大手は、マンパワーを駆使した人海戦術でタイムチャージのメーターを回すことで稼ぐビジネスモデルだから、自分で自分の首を絞めるようなことはしないだろう。」と理由付けられるものと信じていました。
ところが、その予想に反して、今年の夏以降、大手法律事務所によるリーガルテックに関する取組みが次々に報道されています。8月29日には、アンダーソン・毛利・友常法律事務所が、株式会社みらい翻訳の法務専用の機械翻訳エンジンの開発に協力をした、という報道がなされました。そして、森・濱田松本法律事務所からは、9月25日に、東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻松尾豊教授の研究グループ(松尾研究室)及び松尾研究室のAIスタートアップである株式会社イライザと、法律業務における情報技術(IT)や人工知能(AI)の活用に関する共同実証研究に着手したことの発表がなされ、更に、同事務所からは、10月14日に、株式会社Legalscapeとの間で、法律情報検索・閲覧(リーガルリサーチ)システムの実用化に向けた協業を開始したとの発表がなされました。
ここまでは、「大手事務所が協力しているといっても、実務に導入されるのはまだ先のことだろう。」と冷ややかな目を向けていた旧世代に止めを刺したのは、10月21日の長島・大野・常松法律事務所によるプレスリリースでした。株式会社PKSHA Technologyとの間で、同社の関連会社であるリーガルテックベンチャーのMNTSQ株式会社との協業の発表の中には、「MNTSQのプロダクトはNO&Tが実施する法務デュー・デリジェンス業務において実際に活用されており、現在、契約書の内容を機械学習機能で解析し、基本的な情報の整理や危険な条項の検出を自動で行うことが可能となっています。」という事実が開示されました。すでに新技術が実用化の段階に入っていることが開示されたことに続き、「これにより、法律事務所のサービスにおける作業アウトプットの精緻化や業務の効率化に寄与しており、弁護士や事務所スタッフの作業時間の削減にも成功しております。」と謳われたことにも、大きな衝撃が走りました。
2 対応指針
起業は、損得勘定の末に導き出されたキャリア選択というよりも、「この時代に生まれた自分の使命感」を感じて、熱に浮かされて行うようなところがあります。創業間もないスタートアップ企業への参画にもそれに準ずるところがあるため、ここには、他者がキャリア・アドバイスできることはあまりありません(事業が立ち上がらない、又は、会社に合わないと悟った時点で、遅滞なく再転職を相談しやすい環境を整えてあげることぐらいです)。
最近では、「従来型業務スタイルを続けること」のリスクを高く見積ることで、損得勘定から、リーガルテック企業への参画を選択肢に入れる若手も現れるようになってきました。損得勘定を起点とする場合には、「この会社は、リーガルテックの本流になりうるプロダクトを開発できるのか?」という視点で、エンジニアの技術力や法律情報のリソースを確保できているかを確認することが進路選択のポイントになっています。
リーガルテックは、現状では、企業向けサービスで上場を目指すほどの市場規模が見えているわけではありません(巨大IT企業が本気でこの分野に参入してきたら、すべて消し飛んでしまうだろうという見方もあります)。そのため、「早期に入社して、株やストックオプションを貰っておいたら、億円単位のアップサイドを狙える。」という期待を抱く、というよりも、むしろ、「将来、弁護士又は法務部員に戻った際のアドバンテッジが得られる。」と考えられることに価値を見出すほうが現実的です(クライアントワークだけでなく、ナレッジマネジメントの観点からも)。
3 解説
(1) 開拓者精神に基づく参画
50期代が「従来型業務」と位置付けている業務も、それほど歴史が古いわけではありません。20期代、30期代の渉外弁護士が、伝統的訴訟業務を行う国内系弁護士からは「国際行政書士」などと評されながらも開拓してきた渉外法務分野を、40期代が精緻化して、それを50期代が受け継いできました。そのように、連続性のある業務の最先端に身を投じることを、エキサイティングと捉える若手弁護士がいる一方で、それでは、『男子一生の事業』とするに足りない、又は、「自分でなくてもできる仕事」と捉える若手弁護士もいます。
この点、リーガルテックは、いま、この時代にリーガルサービスを担っている現役世代に対して課されたテーマであり、その後に主流となるプロダクトの開発に関与できたならば、企業法務の歴史に名を残すことができる偉業と言えそうです。
そのような使命感を抱いて、リーガルテック企業を興し、又は、早期に参画すること自体は、他者からの冷静な批判に反論して時間と労力を費やすだけ無駄であり、時機を失することなく、トライしてみるしかないのだと思われます。キャリアリスク管理としては、「この事業はうまくいかない」又は「この会社のメンバーとは合わない」ということが明らかになった場合には(意地を張るのではなく、すぐにミスを認めて)早期に方針転換をすることで時間的ロスを最小限に止めることのほうが重要だと思われます。
(2) リーガルテック企業の見極め
弁護士業務において、テクノロジーの活用が進むというシナリオ自体は、もう既定路線になっているとしても、「どのプロダクトが生き残るか?」はこれからの勝負にかかっています。そして、「リーガルテック企業に参画するというキャリアはリスクが高いかどうか?」という問題ではなく、「どのリーガルテック企業のプロダクトが生き残りそうか?」という点から、リーガルテック企業を見極めることがキャリア形成上、重要になってきています。
これは、法律事務所における職人的キャリアとは異なる視点です。法律事務所であれば、「ボスは人間的には尊敬できないので、事務所は永続しないだろうけど、和解交渉や依頼者扱いのスキルには見習うべき点がある」としてスキルアップを図ること自体は可能でした。しかし、リーガルテック企業への参画は、「どのプロダクトに精通しているか?」によって、その後の人材市場における価値に差が現れてくることが予想されます。そのため、「リーガルテック企業に参画するならば、生き残るプロダクトを扱っている先を選ぶべきである。」又は「自分が参画した先のプロダクトが生き残れるように、全力を尽くさなければならない(又は、それが無理だと判断したならば、早期に撤退することも考えるべきである。)」ということが言えそうです。
(3) 参画のアップサイドと中長期キャリア
一般に、アーリーステージのスタートアップ企業への参画には、「株式やストックオプションを貰っておくことで、上場した場合に、エクイティのアップサイドを期待できる。」というのがキャリア選択の経済的なインセンティブとなっています。これに対して、リーガルテック企業は、必ずしも、上場を唯一のゴールに置いて創業されるわけではありません(日本の企業法務のリーガルマーケットはそれほど大きいわけではなく、大手の法律事務所でも、年間の売上高は数百億円規模であり、千億円規模にまでは広がる気配がありせん)。
むしろ、企業法務分野のリーガルテックは、未上場の組織である法律事務所が展開するリーガルサービスを進化させて、又は、補完するために開発されたプロダクトを提供するものであり、リーガルサービスの一翼を担う存在のように思われます。それが故に、リーガルテック企業内の業務に携わることが、新種の弁護士業務そのものであるという見方もできるために、中長期的なキャリアとしては、「リーガルテック企業で定年まで務める」というよりも、リーガルテックの活用が定着した将来においては、法律事務所又は企業の法務部門において、リーガルテック企業での経験を生かして活躍するシナリオを想定することもできそうです(ナレッジマネジメントの分野でIT化が進むことは確実であり、それに留まらず、クライアントに対しても、事務所が利用しているプロダクト込みで営業活動を行う未来も想定することができます)。