◇SH3422◇企業結合・業務提携の独禁法上のガイドライン・審査制度における日本の傾向とその実務的示唆~2019年経済産業省委託調査における国際比較より~ 企業結合編(下) 石垣浩晶/矢野智彦/竹田瑛史郎(2020/12/17)

未分類

企業結合・業務提携の独禁法上のガイドライン・審査制度におけ
日本の傾向とその実務的示唆

~2019年経済産業省委託調査における国際比較より~

企業結合編(下)

NERAエコノミックコンサルティング

石 垣 浩 晶
矢 野 智 彦
竹 田 瑛史郎

 

承前

1.3. 経済分析の活用

1.3.1. 経済分析とは

 1.1節で述べたとおり、日本及び欧米を中心とした諸外国・地域において、従来の市場シェア・集中度を最重要視する企業結合規制のあり方から脱却する中で、事案に即した競争評価の手法として、「経済分析」を重視する実務が定着しつつある。

 経済分析とは経済学の理論(主にミクロ経済学および産業組織論)あるいはデータ分析(統計学・計量経済学)に基づいて行われる分析のことである。経済分析は、主として、当事会社が提出した資料の定性的な評価だけでは判断が難しい論点について、定量的な評価を行うために用いられ、多くの場合、当事会社側の経済分析専門のコンサルティング会社(当社もその一社である。)や競争当局のエコノミストにより実施される。

 最近の日本の企業結合案件では、ヤフーとLINEの経営統合に対する企業結合審査で経済分析が用いられたことが公表されている。同案件では、消費者を需要者としたコード決済事業分野における審査において、当事会社は転換率と呼ばれる指標を算出する経済分析を実施し、その結果に基づき、当事会社が提供するコード決済サービス(PayPayおよびLINE Pay)の間の競争は、PayPayと他のコード決済サービスの競争関係ほどに強くないことを主張した。公取委は当事会社による当該経済分析と主張について一定の留保をおきつつも当事会社の主張を「合理性があると認められる」と判断している。本件において経済分析に大きく依拠した判断がなされた背景には、コード決済市場における各社のシェアが還元キャンペーンによって大きく変動してしまい市場シェアを手掛かりにすることが困難であるなど、経済分析以外の手法による評価が困難であったことがあると考えられる。

 そのほかにも、2018年の石油元売4社の2件の経営統合(出光と昭和シェルの統合およびJXと東燃ゼネラルの統合)の審査においては、LPガス市場において、統合が当事会社が複雑に持分を有する販売子会社・関連会社間のカルテルのような企業間による協調行動をもたらし得るか検討するため、公取委は経済モデルと実際のデータに基づくシミュレーション(下記の「合併シミュレーション」と類似した分析)を実施し、その結果に基づき当該統合は問題解消措置がとられない場合にはLPガス市場における競争を実質的に制限すると判断し、また、どのような問題解消措置であれば競争を実質的に制限しないことになるか判断を行った。

 経済分析の具体的な手法の詳細は本稿では割愛するが、例えば、市場需要の自己価格弾力性分析、臨界損失分析(臨界弾力性分析)、価格を用いた分析(価格相関分析・定常性分析・グレンジャー因果性分析)、販売数量を用いた分析(購買パターン分析・Elzinga-Hogartyテスト)、輸入分析、サーベイ分析、転換率分析、顧客スイッチング分析、入札市場分析、GUPPI、UPP、IRP、価格弾力性分析、合併シミュレーション、ショック分析、パススルー分析など、様々なものがある。

 NERA調査報告書においては、これらの分析手法の詳細や国内外の企業結合審査における使用例について詳しく紹介しているが、本稿では一例として転換率をとりあげる。ヤフーとLINEの統合の審査において用いられた上述の転換率は、差別化された商品・サービスの市場において、企業間、ブランド間、商品間の代替性の程度を評価する上で基本となる指標である。転換率は、企業結合審査においてしばしば争点となる、当事会社同士が最も近接した競争者かどうかの評価に、直接的な答えを与えることが出来る。

 商品Aから商品Bへの転換率は、商品Aの値上げによる商品Aの需要の減少分のうち、商品Bに対する需要に転換される割合を指す。例えば、商品Aが何%かの値上げを行ったことにより、100人の消費者が商品Aの購入をやめたとする。このうち、20人が商品Bを代わりに購入したとすると、商品Aから商品Bへの転換率は20/100=20%と計算される。商品Aから商品Bへの転換率が高いほど、商品Aを販売する企業と商品Bを販売する企業が合併した場合に、単独での商品Aの価格引上げを行う蓋然性は高まる。商品Aの価格引上げによって失われる需要のうち、商品Bへの転換という形で結合企業内に留まる割合がより大きくなるからである。

 これらの手法の具体的内容、および、各国・地域における具体的な経済分析の活用状況については、NERA調査報告書において詳細な報告を行っているので、そちらを参照されたい。不確実な将来予測に対する客観的な証拠を提供する手法として、経済分析の活用は今後更に広がっていくものと考えられる。

 

1.3.2.経済分析の活用に関する国際比較

 経済分析は不確実な将来予測に対する客観的な証拠を提供するという重要な利点を有する一方、個々の事案に応じて適切な分析手法を用いて判断を行うという経済分析の特性上、ともすれば審査の透明性、予見可能性を低下させる可能性がある。また、経済分析には極めて高度な専門知識が必要とされる。

 各国・地域においては、こうした難点を乗り越え、質の高い経済分析が当事会社、競争当局の双方で実施され、企業結合審査の質の向上に資することを担保するための様々な仕組みや取組が実施されている。以下では、各国・地域におけるこうした仕組みや取組のうち、①経済分析の組織体制、②ベストプラクティス、③事後検証の3点について諸外国・地域と日本の比較を行いつつ紹介する。

  1. ① 経済分析の組織体制
  2.    高度な経済分析を企業結合審査の限られた時間の中で実施するためには、人的リソースを中心とした経済分析の組織体制の整備が不可欠となる。各国・地域においては、経済分析を専門的に担う正式な部署の設置、経済分析に従事する専門家(経済学博士号取得者等)の採用や、組織全体の経済分析を統括し、競争当局の他部門や学界と連携しながら経済分析活用の方針決定、各事例における分析の質の担保、外部とのコミュニケーション等の役割を担うチーフエコノミスト職の設置が行われている。
  3.    日本においては、公取委の企業結合課が経済分析を担当するが、企業結合事案以外でも経済分析が行われることがある。専門的な経済分析を行うエコノミストの人数は数名程度となっている。また、チーフエコノミスト職に相当する役職はない。公取委においては企業結合課に所属するエコノミストが通常の審査業務と並行して経済分析を行う体制になっており、経済分析実施のための十分なリソースが確保されにくい。その結果として、各事例における経済分析の必要性が「通常のプロセス」として検討されることなく、経済分析が行われるべき事例においてリソース不足のために行われないということが生じている可能性が否めない。
  4.    これに対し、欧米の競争当局においては経済分析を専門に行う部署が設置され、日本と比べると経済分析実施のために多くのリソースが確保されている。
  5.    米国においては、FTCの経済局、DOJ反トラスト局の経済学セクションがそれぞれ経済分析を担当する。FTCとDOJの合算で130人近い博士号取得者が在籍しており、反トラストや消費者保護の案件において経済分析を実施するほか、研究活動を行っている。チーフエコノミストに相当する各組織のディレクター職には、内部でキャリアを積んだエコノミストか、大学から移籍してきた(一流の)経済学者が就くのが通常となっている。
  6.    EUにおいては、競争総局のチーフ競争エコノミストチームが分析を統括・支援する。関係部局で140名程度エコノミスト(内、博士号取得者30名程度)が在籍している。チーフ競争エコノミストは、米国と同様大学等で業績を積んだ経済学者が務めている。
  7.    英国においても同様に、経済分析を専門的に担当する部署に十名~数十名程度の博士号取得者を含むエコノミストが在籍し、チーフエコノミストの指揮の下、経済分析を担当している。
  8.    このように、日本では欧米と比べ経済分析実施のための十分なリソースが確保されにくいと言えるが、この背景には、そもそも経済学博士号取得者等の専門家の人数が諸外国・地域と比べて圧倒的に少ないという問題がある。加えて、公取委には欧米の競争当局のようなチーフエコノミストという制度がないため、組織全体として経済分析をどのような形で活用していくのか方向性が見えにくい、経済分析を行うべき事例においてその必要性を内部から訴える主導役が存在しない、審査事例間での経済分析の質にばらつきが生じやすいといった問題が生じている可能性がある。チーフエコノミスト職や経済分析を専門的に担う部署といった組織整備に加えて、待遇の改善や研究活動と両立しやすい仕組み作り等の方策により専門家の採用を進めていくことが、日本における今後の重要な課題となっている。
  9.    この点、日本の公取委は、最近(2020年10月)になり、リソースの確保のための動きを見せている。公取委は令和3年度概算要求において、外部の専門家を活用した高度な経済分析に関わる経費、および、独占禁止法違反の措置に必要な経済分析に関わる経費として、約1億3400万円の増額を要望している。この一部は企業結合審査における経済分析リソースの確保を目的としたものであると考えられる。このような傾向が今後も続くのであれば、経済分析が行われるべき事例においてリソース不足のために行われないといった問題は徐々に解消されていくものと期待できる。
     
  10. ② ベストプラクティス
  11.    競争当局が限られた時間内で経済分析を実施するためには、データ提供等の点で当事会社の協力が欠かせない。また、当事会社は、ビジネスモデルや市場構造、保有するデータの特徴等について競争当局よりも理解があることが通常であり、弁護士や外部のエコノミストと協力しながらより適切に競争の実態を捉えた経済分析が可能な立場にある。このような当事会社側の経済分析を活性化させることは、企業結合審査の質を高める上で重要となる。そのため、特に経済分析の活用が進んでいる国・地域では、当事会社に対してデータや経済分析を提出する際の指針を定めた経済分析のベストプラクティス(経済分析の最適な実施方法や報告方法を定めたもの)を公表している。
  12.    日本においては、経済分析のベストプラクティスに相当するものはない。これに対して、諸外国では経済分析のプラクティスが公表されている傾向にある。
  13.    米国においては、FTCがベストプラクティスを公表している。FTCのベストプラクティスは、データの提出、経済局のスタッフが行う経済分析、当事会社に期待することの3セクションから構成される。データの提出に関しては、早期にデータの利用可能性や適切性等について競争当局と議論を開始することが推奨されている。当事会社に期待することとしては、分析手法やデータについて詳細な報告を行うことや早期に分析結果を共有すること等が挙げられている。
  14.    EUのベストプラクティスでは、当事会社が競争当局に経済分析を提出する際に考慮するべきことが、一層具体的にまとめられている。特に、経済分析が答えようとする問いを適切に形成すること、データの関連性と信頼性の程度を説明すること、特定の実証分析手法を選択した理由を明確にすること、明確に、再現性のある形で分析結果の報告と解釈を行うこと、頑健性のため例えば複数のモデルの結果を提示して示すこと、仮にリソースの関係で当事会社側が出来なかったが実施したい分析があれば、その旨を提案することが推奨されている。
  15.    英国のベストプラクティスでは、明確性と透明性(経済分析の結果を明確にすることだけでなく、方法や仮定、それらの妥当性、結果の頑健性について明記すること)、完全性(すべての仮定の議論や、テクニックの選択の説明、計量分析結果、判断テスト、頑健性チェックなど分析について完全に描写すること)、結果の再現性(競争当局による再現のため、コードやデータファイルを用意すること)を満たすべき三原則として掲げた上で、提出物の構造と内容について具体的な推奨を行っている。
  16.    日本では、ベストプラクティスが存在しないことから、必ずしも経験が豊富ではない当事会社が競争当局のデータ提出要請に適切に対応することや、自ら経済分析を活用することの障害となっている可能性がある。早急に経済分析のベストプラクティスを整備することが有益であると考えられる。
     
  17. ③ 事後検証
  18.    事後検証とは、過去に実施された企業結合を対象に、当該企業結合による価格等への影響や、問題解消措置の効果を定性的・定量的に分析することで、当時の企業結合審査の判断が適切であったかどうかを評価する取組である。継続的に事後検証を行っていくことは、経済分析に依拠した企業結合審査が適切に機能していることを確認し、必要な場合には判断基準を修正し、審査の質を長期的に高めていく上で重要な役割を果たす。各国・地域では、こうした事後検証が活発に行われている。また、評価の公平性を担保するため、しばしば事後検証を外部組織に委託することが行われている。
  19.    日本においては、公正取引委員会競争政策研究センター(CPRC)が、いくつかの事案における事後検証の結果を公表している。事後検証を実施した主体は公取委の内部組織であり、外部組織に委託をする形とはなっていない。
  20.    これに対し、欧米では競争当局内外で事後検証が豊富に行われている。
  21.    米国においては、競争当局内部で合併の事後検証を豊富に行っている。例えばFTCは2017年に、2006年から2012年の間の89件の問題解消措置付きの統合案件について事後評価を行い、結果を公表している。また、経済学者ジョン・クウォカによる事後検証等、外部のエコノミストが積極的に事後検証した論文が豊富にあり、分析結果に対する競争当局を交えた議論も活発である。
  22.    EUにおいては、事後検証についても外部エコノミストと連携し、透明性を確保する運用がなされている。2015年に競争当局は、研究者グループに依頼し事後評価の体系的なレビューを実施している。また、特定の産業における合併の事後検証についても、外部エコノミストやコンサルティング会社に依頼して実施している。
  23.    英国においては、競争当局内外で事後検証を積極的に行っている。事後検証により競争当局にとって芳しくない結果(例:問題解消措置がないため、あるいは不十分であったため価格が合併後著しく上昇したという結果)があっても、公表する運用がなされている。
  24.    このように、日本は欧米と比べて事後検証が行われにくい傾向にあり、事後検証の結果に基づいて判断基準の修正を行う等、審査の質を長期的に高めるというプロセスが働きにくい傾向にあると考えられる。
  25.    以上の通り、日本は欧米と比べて、経済分析実施のための十分なリソースが確保されにくく、また、事後検証が行われにくい傾向があり、欧米には存在するベストプラクティスが存在しない。またこれらに加え、1.2節で述べた通り、審査結果の公表においても、日本は欧米と比べて経済分析の内容や評価の詳細が公表されない傾向にある。このような問題の一部は徐々に解決されつつあるが、さらなる取組を進めていくことにより、質の高い経済分析が当事会社、競争当局の双方で実施され、企業結合審査の質の向上に資することを担保されることが期待される。

 

1.4. まとめ

 企業結合編では、経済学の理論の発展と共に市場シェア・集中度の重要性は相対的に低下したが国・地域や市場環境により、市場シェア・集中度に対する考え方は異なること、審査結果の公表について、日本は審査結果を主要な企業結合事例に限り公取委が自主的に公表するものとなっているのに対し、海外では国によっては制度として審査結果を詳細に公表していること、そして、日本は欧米と比べて、経済分析実施のための十分なリソースが確保されにくく、また、事後検証が行われにくい傾向があり、欧米には存在するベストプラクティスが存在しないことなどについて説明した。

 最後に、本稿で報告した調査結果を踏まえ、企業結合審査に際し企業が持つべき姿勢について述べておきたい。

 第一に、企業結合後の市場シェアの高さのみを重視しないことが望ましい。1.1節で述べた通り、現在では、市場シェア・集中度は市場支配力を判断する上での限定的な指標に過ぎず、企業結合が競争にもたらす影響については競合他社との競争等の実態を踏まえて多面的に評価される。近年、我が国の企業結合事案においては、海外からの輸入が増大しつつある、サプライチェーン構造の変化により需要者からの圧力が強くなっている等、市場シェアに表れない各種の競争圧力によって、企業結合後も当事会社が必ずしも自由に価格等を左右できるわけでない場合がある。

 こうした事情により、企業結合後の市場シェアが高かったとしても、競争を実質的に制限することにはならないと判断されるケースも少なくないことから、企業結合後の市場シェアの高さのみを重視して独禁法に抵触することを懸念し、案件の進捗をためらう必要はない。

 第二に、経済分析を活用しつつ競争評価を行うことである。企業結合審査における最終的な判断基準は、「当該企業結合が競争を実質的に制限することとなるか否か」であることから、企業は、市場シェアに限らない競争評価をしっかりと行うことが必要である。

 その際、当事会社が日常的に直面しているマーケットの状況は、当該企業結合を行おうとする動機であると同時に、企業結合審査において企業が主張・立証すべき要素(各種競争圧力)を特定するヒントにもなり得る。こうした肌感覚を独禁法上の意味のある法的主張に昇華させていくため、その立証方法として経済分析の活用を行っていくことは有用である。1.3節で述べた通り、日本における経済分析の活用は近年急速に進みつつあり、公取委は積極的に経済分析を取り入れる姿勢を示している。特に、重大・困難な事案であるほど、客観的な証拠としての経済分析を活用し、受け身にならず積極的に主張していく必要がある。その際、自らの企業結合計画の正当性を適切に説明するため、経済分析を含む法的論拠を十分に練っておくことが求められる。1.2節で述べた通り、審査においてどのような経済分析が実施され、その結果が証拠としてどのように評価されたかについては近年になり詳細に報告されるようになりつつあることから、審査結果を参考にすることが望ましい。

(業務提携編)につづく

 

タイトルとURLをコピーしました