◇SH3811◇最二小判 令和3年1月29日 殺人、殺人未遂、傷害被告事件(草野耕一裁判長)

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 自動車を運転する予定の者に対し、ひそかに睡眠導入剤を摂取させ運転を仕向けて交通事故を引き起こさせ、事故の相手方に傷害を負わせたという殺人未遂被告事件について、事故の相手方に対する殺意を認めた第1審判決に事実誤認があるとした原判決に、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとされた事例

 被告人が、自動車を運転する予定の者に対し、ひそかに睡眠導入剤を摂取させて運転するよう仕向けたことにより、走行中にその運転者が仮睡状態等に陥って自車を対向車線に進出させて対向車に衝突させる交通事故を引き起こし、対向車の運転者に傷害を負わせたという殺人未遂被告事件について、対向車の運転者に対する殺意を認めた第1審判決に事実誤認があるとした原判決は、死亡の危険性及びその認識に関する第1審判決の評価が不合理であるとする説得的な論拠を示していないなど、第1審判決が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえず(判文参照)、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり、同法411条1号により破棄を免れない。

 刑訴法382条、411条1号

 令和2年(あ)第96号 最高裁令和3年1月29日第二小法廷判決
 殺人、殺人未遂、傷害被告事件 破棄自判(刑集第75巻1号1頁)

 原 審:平成31年(う)第21号 東京高裁令和元年12月17日判決
 第1審:平成29年(わ)第2089号 千葉地裁平成30年12月4日判決

1 事案の概要及び審理の経過

 本件は、老人ホームで准看護師をしていた被告人が、⑴ 同僚のAにひそかに睡眠導入剤を摂取させ、自動車(以下「A車」という。)を運転して帰宅するよう仕向けたことにより、走行中のAを仮睡状態等に陥らせ、A車を対向車線に進出させ、対向進行してきたB運転車両に衝突させ、Aを死亡させるとともに、Bに傷害を負わせ(以下「第1事件」という。)、⑵ 同僚のC及びその夫のDにひそかに睡眠導入剤を摂取させ、Dに自動車(以下「D車」という。)を運転してCを同乗させて帰宅するよう仕向けたことにより、走行中のDを仮睡状態等に陥らせ、D車を対向車線に進出させ、対向進行してきたE運転車両に衝突させ、C、D及びEに傷害を負わせた(以下「第2事件」という。)という自動車運転者を利用した間接正犯等の事案である。

 被告人は、傷害罪のほか、Aに対する殺人罪、B、C、D及びEに対する各殺人未遂罪で起訴され、AないしEに対する殺意を争うなどしたが、第1審判決は、各殺意を認め、被告人を懲役24年に処した。被告人が控訴したところ、原判決は、対向車の運転者であるB及びEに対する殺意を認めた第1審判決には事実誤認があるとして破棄し、本件を第1審裁判所に差し戻した。

 当事者双方から上告があり、検察官は、B及びEに対する殺意が認められるとして、刑訴法382条にいう事実誤認の意義等について判示した最一小判平成24・2・13刑集66巻4号482頁等の判例違反、同条の解釈適用の誤り、事実誤認等を主張し、弁護人は、A、C及びD(以下「Aら」という。)に対する殺意を争うなどして、刑法199条の解釈適用の誤り、事実誤認等を主張した。

 本判決は、いずれも適法な上告理由に当たらないとしつつ、職権により、検察官の上告趣意をいれ、原判決には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとして破棄し、被告人の控訴を棄却した(裁判官全員一致の意見である。)。

 

2 説明

 ⑴ 未必の故意と認識ある過失の区別に関しては、判例・実務は認容説に立っており、死の結果に対する認識・認容を殺意と評価しているという理解が一般的であるが、消極的認容に実質はなく、認容説を採用しているとは限らないとする見解もある。佐伯仁志ほか『難解な法律概念と裁判員裁判〔司法研究報告書61輯1号〕(司法研修所、2009)。以下「司法研究」という。)11頁以下は、どの学説からも異論なく殺意が肯定できる事例を念頭に、裁判員に対し「人が死ぬ危険性が高い行為をそのような行為であると分かって行った以上殺意が認められる」と説明することを提案している(以下「司法研究の説明案」という。)。司法研究の説明案は、激情犯の事案を中心に広く用いられており、自動車を利用した直接正犯の事案でも活用例が見られるが、殺意の一般的定義を示しているわけではない(佐伯仁志「裁判員裁判と刑法の難解概念」曹時61巻8号(2009)2505頁)、殺意と同義ではなく、人が死ぬ危険性が高い行為であると認識しながら当該行為に及んだという情況証拠があれば、経験則上、特段の事情がない限り死の結果に対する認識・認容が認められるという事実上の推定を表したものである(半田靖史「故意の認定」木谷明編著『刑事事実認定の基本問題〔第3版〕』(成文堂、2015)71頁、中川博之ほか「殺意(下)」判タ1364号(2012)44頁以下等)、解釈の近似値のようなものである(山口厚ほか「座談会・裁判員裁判と刑法解釈の在り方」ジュリ1417号(2011)123頁[山口発言]等)といわれている。

 司法研究11頁以下は、死亡結果発生の単なる可能性しか認識していない場合には、学説上対立が生じ得るため、別異の説明を用意するのが適当であるとしている。殺意が問題になれば司法研究の説明案を利用するというのではなく、当該事案の特質にふさわしい説明の在り方を不断に追求していく必要があるとも指摘されている(河本雅也「殺意の認定」植村立郎編『刑事事実認定重要判決50選(上)〔第3版〕』(立花書房、2020)566頁)。学説上は、死亡結果発生の可能性を認識しながら、これを打ち消すことなく行為に出た以上は殺意があるとする見解(橋爪隆「裁判員制度のもとにおける刑法理論」曹時60巻5号(2008)1424頁等)、殺意の範囲は認識的要素と意思的要素の相関的な考慮により決められるから、死亡結果発生の蓋然性を認識していた場合は消極的認容があれば殺意があるが、認識した死亡結果発生の可能性がそれほど高くなく、意欲もないという中間領域においては、積極的認容がなければ殺意がないとする見解(佐伯仁志『刑法総論の考え方・楽しみ方』(有斐閣、2013)251頁、井田良『講義刑法学・総論〔第2版〕』(有斐閣、2018)179頁、高橋則夫『刑法総論〔第4版〕』(成文堂、2018)180頁等)などが主張されている。

 ⑵ 第1審判決は、「被告人の行為は、運転者、同乗者のみならず、巻き込まれた第三者を死亡させる事故を含め、あらゆる態様の事故を引き起こす危険性が高く、被告人はその危険性を現実のものとして認識していた」などとして、Aら及び事故に巻き込まれた第三者が死亡するかもしれないがそれでもやむを得ないという未必の殺意があったと判断した。この説示は司法研究の説明案と同旨をいうものと理解することも可能であるが、異なる理解の仕方もあり得た。

 これに対し、原判決は、①被告人が運転を仕向けた後にも、AやDが運転を開始しなかったり中止したりする可能性があった上、交通事故を起こしたとしても、Aら又は事故の相手方が死亡するに至らない可能性が相当程度あったから、被告人の行為は、人が死亡する危険性が高いとまではいえない、②対向車の運転者は、A車やD車が自車の車線上にはみ出してきても、これを避けて自らの命を守ろうとする行動をとることが一応可能であるから、死亡の可能性はAらと比較しても低かったと評価した。その上で、「人が死亡する危険性が高いとはいえない行為について殺意を認めるためには、人の死亡の危険性を単に認識しただけでは足りず、その人が死亡することを期待するなど、意思的要素を含む諸事情に基づいて、その人が死亡してもやむを得ないと認容したことを要する」という判断枠組みを示し、Aらと事故の相手方を区別することなく、認識の対象となる危険性の程度を引き下げ、あらゆる態様の事故を引き起こす危険性の認識の有無のみに基づいて殺意を認めた第1審判決は、判断枠組みないし認定手法を誤っていると指摘した。B及びEについては、もともと死亡の可能性が低く、被告人がそれを想起し難いことに加えて、死亡を期待する理由はなく、前記の意思的要素を備えていたとも認められないとして、殺意を認めた第1審判決は、論理則、経験則等に照らして不合理であるとした。

 原判決のいう「判断枠組み」は、殺意の範囲は認識的要素と意思的要素の相関的な考慮により決められるという前記の学説を参考としつつも、「殺意の有無は認識的要素と意思的要素を相補的に考慮して認定すべきであり、認識した死亡結果発生の危険性が必ずしも高くない場合には、行為意思にとどまらない意思的要素(前記の危険性に向けられた積極性、執拗性等)の強度を総合考慮して、死亡しても構わないと思ったといえるかどうかを判断する」という殺意認定の手法(遠藤邦彦「殺意の概念と証拠構造に関する覚書」植村立郎判事退官記念『現代刑事法の諸問題⑵』(立花書房、2011)206頁以下等)を念頭に置いたものと解される。もっとも、原判決は、事故の相手方との関係では、死亡の可能性が低いため、それを想起し難いとしており、認容の前提となる認識を欠いていると判断しているから、死亡結果の期待等の意思的要素の有無に関する説示は殺意否定の結論を導くために不可欠なものではなかったといえる(玄守道「判批」刑ジャ65号(2020)105頁)。結果発生の認識・認容を要求する判例・実務の立場を前提としても、殺意の存否にとっては、死亡結果発生の危険性を十分に認識していたといえるかが決定的に重要であり(橋爪隆「故意の認定をめぐる問題」警察学論集70巻1号(2017)141頁等)、第1審判決と原判決の一次的な判断の分かれ目は、死亡の危険性及びその認識にあったといえる。

 ⑶ 本判決の引用する前掲最一小判平成24・2・13は、「刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」として、無罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決には同条の解釈適用を誤った違法があると判断し、同法411条1号により破棄した。最一小判平成26・3・20刑集68巻3号499頁により、この論理則・経験則違反説は、第1審判決が有罪の場合であっても妥当することが示されている。

 本判決は、第1審判決を、被告人の行為には事故の態様次第で事故の相手方を死亡させることも具体的に想定できる程度の危険性があり、被告人はその危険性を認識しながらAやDに運転を仕向けたとして、B及びEに対する未必の殺意を認めたものと解し、認識の対象となる危険性の程度を引き下げているという原判決の指摘は、必ずしも第1審判決を正解したものとはいえない旨説示した。第1審判決及び原判決が危険性の高低に関し様々な表現を用いていたこと、人が死ぬ危険性が「高い」という意味の受け止め方には種々あり得ること(前掲遠藤214頁)などを考慮した上での説示であると推察され、本件のような事案に司法研究の説明案を用いることを否定する趣旨ではないと思われる。

 その上で、本判決は、一次的な判断の分かれ目となった死亡の危険性及びその認識に関し、原判決は第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示しているかを検討している。死亡の危険性については、Aらが自らの判断で運転を止める可能性や他の者が運転を制止する可能性は低かったこと、顕著な急性薬物中毒の症状を呈していたAらが仮睡状態等に陥り、制御不能となったA車やD車がAらの自宅までの道路を走行すれば、交通事故を引き起こして事故の相手方が死亡することも十分あり得る事態であることを指摘して、原判決は、第1審判決の危険性の評価が不合理であるとするだけの説得的な論拠を示しているとはいい難いとした。死亡の危険性は低かったとする原判決の評価それ自体が不合理であるとするものか、確実性の高い経験則(東京高等裁判所刑事部陪席裁判官研究会(つばさ会)「裁判員制度の下における控訴審の在り方について」判タ1288号(2009)8頁等)を用いておらず、第1審判決とは別の見方もあり得ることを示したにとどまり、不合理性の論証には成功していないとするものであろう。死亡の危険性の認識について、原判決は、被告人の行為により事故の相手方が死亡する危険性は低かったとの評価を前提に、事故の相手方が死亡することを想起し難いとしたが、本判決は、事故の相手方を死亡させることも具体的に想定できる程度の危険性があるとした第1審判決とは前提を異にする指摘であるとしており、認識の対象となる危険性の評価について不合理性の論証に成功していない以上、危険性の認識に関しても第1審判決の判断が不合理であるとする説得的な論拠を示していないと判断したものと解される。さらに、本判決は、被告人が、ひそかに摂取させた睡眠導入剤の影響によりAらが仮睡状態等に陥っているのを現に目撃しており、第1事件の前にはその影響によりAが物損事故を引き起こしたこと、第2事件の前には第1事件でAが死亡したことを認識していた事実などを指摘し、B及びEを含む事故の相手方に対する殺意を認めた第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえないと判断した。そうすると、原判決の刑訴法382条の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼし、破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるとした。

 なお、検察官は、上告趣意書の第5において、B及びEに対する未必の殺意は認められないとする原判断を前提としても、Aらに対する殺意が認められる以上、同一構成要件内の方法の錯誤に関する最三小判昭和53・7・28刑集32巻5号1068頁等によれば、B及びEに対する殺人未遂罪が成立するから、原判断は判例と相反する旨主張していた。本判決は、原判決にはB及びEに対する未必の殺意の認定に関し法令違反があると判断しており、この点を是正すれば判例との抵触は問題となり得ないため、前記の主張に対する判断を省略している。同様に刑訴法405条の判例違反の主張に対する判断を省略して同法411条により職権破棄した先例としては、最一小判昭和53・6・29刑集32巻4号967頁等がある。

 ⑷ 本判決は、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとして高裁判決を破棄した事例であって、代表的な裁判員裁判対象事件である殺人未遂被告事件における殺意の有無について判断を示すとともに、自動車運転者を利用した殺人未遂の間接正犯を認めたものとして、意義があると思われる。

 

 

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