法のかたち-所有と不法行為
第八話 日本の江戸・明治時代の土地所有関係
法学博士 (東北大学)
平 井 進
2 統治における公の私に対する優越
第六話で見たように、ヨーロッパの封建制においては、統治者が分割所有権の上位の所有権をもつとして構成されていた。ここにおいては、統治という(今日から見て)公法的な事柄に所有という私法的なモデルが用いられており、公私の区別がなされていない。このことは、19世紀において、貴族の支配権がその財産(家産)によって保護されており、封主によって否定されるべきではないという理論を生むことにもなる。[1]
一方、前述のように、日本の封建制では、秀吉以来、大名の統治は農業生産量である石高に基づく観念的な支配であって私有ではなかった。徳川時代において、各大名は将軍の代替り毎にその所領について改めて領知を認められていたのであるが、そこにおいて将軍を天皇に代えることによって明治の版籍奉還(1869年)はなされたのである。家臣の家禄も同様に私有ではなかったので、1876年に家臣の家禄(秩禄)も処分されることになる。[2]
日本のこのような封建体制は、ヨーロッパには見られなかった大きな特徴である。ヨーロッパの封建制においては、その統治が私的なものと一体となっていた(家産的)ために、その中で人の私的な権利を区別すべく個人の自由という対抗概念を必要としたのに対して、日本における純公法的な統治とそれによる私法領域との区分は、統治のあり方として先進的なものであったといってよいであろう。この公法的な統治の制度的な基礎をなしていたのは、上記の石高制(土地ではなく、石高という観念による支配)であった。