◇SH0564◇法のかたち-所有と不法行為 第九話-3「明治の民法典制定」 平井 進(2016/02/19)

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法のかたち-所有と不法行為

第九話  明治の民法典制定

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

3  富井政章の見解-所有権の規定は原因と結果を混同する

 富井政章は、その民法公布前の著書において、所有権の規定が原因と結果を混同しているとして、次のように述べている。物権は「社会一般の人に対する権利」であるにも関わらず、「所有者と物件との直接の関係を見るのみにして全く第三者の加はることなし」として、このように人に対する権利と対比する思想は「謬見の最も太甚しきものにして、学理上寸毫の価値なきもの」であり、物権という対人的な権利を「其権利の本体と目せずして」その作用の結果(富井は「効果」という)に見ているとする。[1]

 また、民法公布の年に刊行された岡松参太郎の解説書(富井校閲)も、次のように述べている。所有権の定義は「所有権より生ずる効果と所有権其ものとを混同し、結果を以て原因を説明せんとするもの」であり、「所有権の意義を結果より観察」したものであって、所有権の体ではないとする。[2]

 富井が、民法の規定する所有権について上記のように「学理上寸毫の価値なき」「謬見」としていたことは、前述の民法典論争における演説で述べていた考え方と関係していたと見られる。彼は、そこで物権と人権(債権)の大別が間違いであるという最近の学説を参照していたのであるが、それは、フランスにおいて所有権を「人と物の関係」とすること(古典派)に対して、「人と人の関係」とするいわゆる反古典派の学説を指しており[3]、彼はそれをほぼ定説と見なしている。また、その時期にはドイツでもヴィントシャイトらが新たな権利論を出している。富井としては、旧民法におけるボワソナード流の講釈は時代遅れのものと見えたのであろう。

 さて、富井は法典調査会の起草委員の一人であり、彼の上記の見解からすると、梅が起草した上記の規定案に対して、その提出の前に強く反対できていた筈であるが、公開されている資料を見る限り、そのことはうかがえない。一つの推測として、彼は前述のようにドイツ法学に期待していたのであるが、ドイツ民法(第二次草案)は基本的に従来の所有権概念を踏襲していて、結局のところ彼の期待にそぐわず、フランス・ドイツの規定が共に旧態たる中で、(学説としては上記のように述べていても)日本の所有権の規定に新風を入れることを(少なくともその時点では)諦めていたのであろうか。後考に待ちたい。



[1] 富井政章『損害賠償法原理 完』(日本同盟法学会出版, 1895)7-11頁。

[2] 岡松参太郎著、富井政章校閲『註釈民法理由』中巻・物権編(有斐閣書房, 初版1896)134-135, 144頁。

[3] 下記の著作からすると、富井はプラニオル等を指しており、Marcel Planiol, Traité élémentaire de droit civil: conforme au programme officiel, 1899などの刊行前から反古典派の論議が盛んであったことを知っていたと見られる。物権の「債権」説に関しては、次を参照。佐賀徹哉「物権と債権の区別に関する一考察-フランス法を中心に-(一)-(三)」法学論叢, 98 (5), 99 (2) (4) (1976)。なお、その後の富井政章『民法原論 第二巻・物権上』(有斐閣, 1906)5-14頁では、両方の学説を折衷して述べている。

 

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