法のかたち-所有と不法行為
第十五話 自由-「私のもの」を守ること
法学博士 (東北大学)
平 井 進
第十四話において、古代ローマ以来の正義の理念に関わるsuum概念が近代の始めまで思想的な伝統としてあり、それが人間主体において固有の譲渡不可能な「絶対」的な意義をもつと考えられていたことについて見てきた。その意義の第一は人の生命・身体であり、第二は人の自由である。近代の初期において求められていた人の自由について、代表的なものとして信仰の自由があった。
1 信仰の自由とそれを守る権利
16世紀初にルターがカトリック教会の教義に対して始めた改革運動に対して、カトリック勢力(教会と王権)が宗教かつ政治の体制であったことから、その改革勢力(プロテスタント)に対して体制による弾圧・迫害が加えられることになる。
当時のプロテスタント勢力にとっての課題は、弾圧する体制に対して抵抗することの正当性をいかにして主張するかということであった。その理論的な基礎付けとして、人として守るべきことがらが自由の概念において定式化されることになる。
カトリックであったチューダー朝のメアリー女王の時代(1553-1558年)に、迫害によって多くのプロテスタントがイギリスから大陸に逃れた。その一人でジュネーブに行った神学者のクリストファー・グッドマンは、『権力者はいかにして臣民から服従されるべきか』(1558年)において、臣民は、神から与えられて自らのもの(own possessio)としてもつものを法的に請求する(lawfullie clayme)ことができると述べている。[1]
このように、人には固有の自由があり、それを守るために法的な権利があるという観念は、16世紀後半のプロテスタントの抵抗思想において共通の基礎となっていた。[2]それは宗教的には信仰の自由であり、世俗的には生命・財産・幸福を守る自由である。この世俗的な自由の概念は宗教(宗派)によらないことから、その後、一般的な政治思想としても用いられていくようになる。
これらを自由と自由を守る権利の概念として定式化すると、次のようになる。
① 人には自らに固有の「実体」があり、その「実体」の状態を維持する自由がある。
② その自由を侵害する他者に対して、人にはその侵害の停止を求める権利がある。
[1] Cf. Christopher Goodman, How Svperior Powers Oght To Be Obeyd ofTheir Subiects: And Wherin They May Lawfully By Gods Worde be Disobeyed and Resisted, Geneva, 1558, Ch. XII, pp. 160-161, Reprint, Columbia University Press, 1972. 次も参照。Quentin Skinner, The Foundations of Modern Political Thought, Vol. 2, Cambridge University Press, 1978, p. 320.
[2] スキナーはこれを(スコラ主義による)私法的理論という。Skinner, supra, pp. 319-320. 抵抗権を「自然の権利」(droit naturel)や「人の自由の権利」という概念で基礎付けたのは、フランスの1574年のMornayその他の著者による文書に見られる。Ibid., pp. 328-329.