◇SH1137◇企業法務への道(8)―拙稿の背景に触れつつ― 丹羽繁夫(2017/04/28)

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企業法務への道(8)

―拙稿の背景に触れつつ―

日本毛織株式会社

取締役 丹 羽 繁 夫

《都留重人先生と背広ゼミ》

 1973年9月より参加が許された、都留重人先生(当時、一橋大学学長)主催の背広ゼミとの出会いは、大学4年に遡る。大学3年のときに受講した青山秀夫教授(当時、京都大学経済研究所教授で、マックス・ウェーバーの研究者でもあった)による経済原論の講義では、当時の標準的な教科書であったサムエルソン『経済学』上・下巻(岩波書店)が使用されたが、マクロ経済学についての自身の理解を深めたいとの思いから、偶々書店で手にしたのがガードナー・アクリー『マクロ経済学の理論』I、II、III[1](岩波書店、1964年4月、1965年4月、1969年8月)であった。都留先生は、その「訳者序文」に、

  1.  「本書は、1961年の春公刊されたが、その当時私はアメリカにいて、多くの友人から、現代マクロ経済学の教科書として、アクリーの著書が一頭地を抜くものであると教えられ、・・・その年の夏のハーヴァード大学夏期講座では、これを教科書に使って講義した。アクリーが、長年にわたって、ミシガン大学で教えながらつくりあげた書物だけに、かゆいところにも手がよく行きとどいていて、類書の追随を許さない。・・・私は、1961年秋、日本に帰ってから、この書物を、私の主催する『背広ゼミ』の教科書として利用した。『背広ゼミ』とは、大学を出て銀行や会社などに就職した若い人たちが、大学時代の勉強をすこしでも続けたいとて、隔週に1回、夕食後の時間をさいて、私の家に集まり、もう15年も続けてきた研究会である[2]。・・・長く続いた研究会でもあることだし、何か一つ記念の仕事を共同でしようというので、おもいたって、本書の邦訳をすることにした。」(I巻、v・vi頁)

と記されている。この邦訳分担者の中に、当時日本興業銀行に勤務されていた大場康正氏がおられ、同行との懇親会の席で、私は、大場氏がこの本の邦訳分担者の一人に名を連ねておられたことを記憶していて、同氏にその旨を確認すると、同氏より私も参加されては如何かとご親切なお申出でがあり、都留先生のお許しを得て、1973年9月のある一夕、当時赤坂8丁目にあった先生のご自宅を訪ね、私の背広ゼミとのご縁が始まった。

 その当時の背広ゼミは、毎月第一及び第三金曜日の夕刻に都留先生のお宅に集まり、午後7時から9時頃まで、その時々に採り上げられた英語の文献の予め指定された章の要約を報告者が報告し、先生を含めてゼミ生との質疑応答と議論に費やされた。午後9時頃から10時頃までは、時々の時事問題について、シヴァス・リーガルのロック又は水割りを傾けながら、議論するとともに、先生からも、実業の世界に身を置いていた我々ゼミ生に対して、率直な意見を求められた。

 背広ゼミは、前掲書の他、その後、下記の書籍を分担のうえ翻訳し、公刊してきた。

  1. •  E.J.ミシャン『経済成長の対価』(岩波書店、1971年11月)。
  2. •  J.K.ガルブレイス『マネー』(TBSブリタニカ、1976年7月)*。
  3. •  J.K.ガルブレイス『不確実性の時代』(TBSブリタニカ、1978年2月)。
  4. •  K・ドップァー『これからの経済学』(岩波書店、1973年8月)。
  5. •  J.K.ガルブレイス『大衆的貧困の本質』(TBSブリタニカ、1979年4月)。
  6. •  F・ハーシュ『成長の社会的限界』(日本経済新聞社、1980年6月)*。
  7. •  F・ハーシュ&J.H.ゴールドソープ編『インフレーションの政治経済学』(日本経済新聞社、1982年2月)*。
  8. •  P.A.サムエルソン『サムエルソン 心で語る経済学』(ダイヤモンド社、1984年3月)*。
  9. •  G.クロウ&T.ホィールライト『オーストラリア 今や従属国家』(勁草書房、1986年7月)*。
  10. •  A.デーヴィッド&T.ホィールライト『日豪摩擦の新時代 アジア資本主義の幕開け』(勁草書房、1990年8月)。
  11. •  アーサー・シュレジンガー,Jr.『アメリカの分裂-多元文化社会についての所見』(岩波書店、1992年6月)。
  12. •  I.サックス『健全な地球のために-21世紀へ向けての移行戦略』(サイマル出版会、1994年4月)。
  13. •  M.シェンバーグ編『現代経済学の巨星-自らが語る人生哲学』上・下巻(岩波書店、1994年11月・12月)*。
  14. •  J.L.サックス『レンブラントでダーツ遊びとは 文化的遺産と公の権利』(岩波書店、2001年2月)*。

 私が翻訳分担に参加したのは、前掲の*をつけた『マネー』他7冊であったが、あまりの拙訳のために、ほとんど原型をとどめない程に都留先生の朱筆が入れられるのが毎回であり、今思い出しても、ただただ汗顔の至りである。



[1] Gardner Ackley “Macroeconomic Theory” (The Macmillan Company, New York, 1961).

[2] 背広ゼミは、私が生まれた翌日の1948年9月21日に開始された(背広ゼミ『背広ゼミ小史』128頁、1981年5月)。都留先生は、1948年3月に経済安定本部副長官を辞された後、1948年9月に一橋大学経済研究所教授に就任された。先生は、「研究所教官が学部での教育にタッチしないという点は昔のままで、よその大学に講義にいってもよいが、一橋では講義をしないのが建前であった。もちろん学部ゼミを担当するなどということは論外だったのであり」(背広ゼミ前掲書4頁)、「一橋大学には・・・ユニークな学部ゼミ制度がある。私も変則的な形で五回ほど、『都留ゼミ』をもったが、それは例外だった。もしも年々『都留ゼミ』を担当していたら、あるいは『背広ゼミ』は生まれなかったかもしれぬ。そういう逆説的な事情」があった、と述べておられる(背広ゼミ・前掲書1頁)。

 

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