◇SH3475◇債権法改正後の民法の未来93 契約交渉の不当破棄(下) 奥津 周(2021/02/05)

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債権法改正後の民法の未来93
契約交渉の不当破棄(下)

堂島法律事務所

弁護士 奥 津   周

(承前)

4 審議の概要

(1)審議された論点

 契約交渉の不当破棄について、論点としては、①このような規定を設けることの是非、②法的性質(不法行為責任なのか契約責任なのか)、③規定を設けるとしたときの要件、④効果(損害賠償の範囲)、などについて議論がなされた。

 このうち、特に繰り返し議論がなされたのは、③の要件のところであるが、以下では法制審議会の中で議論されたことの一部を紹介する。

(2)規定を設けることの是非と濫用への懸念

 契約交渉を不当に破棄したときに損害賠償責任を負うことがあること自体については、過去の裁判例でも認められてきたものであるし、そのこと自体に対する異論はなかった。

 もっとも、契約交渉の破棄が不当であるかどうかは個別の事案に応じて判断される事柄であり、一般的な規定を設けるのは困難ではないかといった指摘もあった。

 また、民法の中に具体的に規律をおくことにより、例えば、消費者契約において、悪質な事業者が執拗に消費者を勧誘し、なかなか断り切れない消費者が最終的に交渉を打ち切ったときに不当破棄にあたるとされる懸念はないか(少なくとも事業者側から不当破棄だから損害賠償をしろと言われてやむなく契約に応じる交渉材料にされないか)、明文をおくことによって立法の意図を越えた形で濫用されるような場面があるのではないか、といった指摘がなされた。

 法制審議会では、規定をおくこと自体には賛成する意見が多く、具体的な内容、要件の定め方に関する議論が多くなされたが、特に経済界などから、規定をおくこと自体に反対する方向での意見が述べられるなどしていた。

(3)法的性質

 交渉を不当に破棄した者の責任の法的性質については、契約責任なのか不法行為責任なのか、従前から議論があるところであった。裁判例は、この点を明示せずに、契約準備段階における信義則上の注意義務と構成するものが多かった。

 契約責任と理解するか、不法行為責任と理解するかにおける違いは、消滅時効の時効期間や、当事者が交渉に補助者を関与させた場合の責任に関する規律などに影響をする。

 この点について、法的性質を明確にするべきという意見もあったが、基本的には引き続き解釈に委ねることでよいという意見が多く、法制審議会の過程で案として提案されたものも、いずれも法的性質については明示しないものであった。

(4)契約を破棄しても責任を負わないという原則の明示

 上記のとおり、契約締結の自由がある以上、契約を締結せずに交渉を打ち切ったとしても、何らの責任を負わないのが原則であり、契約交渉に要したコストや、相手方に契約締結してもらうための交渉材料として負担したものは自己負担とされる。そして、交渉の不当破棄に関する条項をおくとしても、この原則をまずは明示し、交渉を破棄した者の責任が広がりすぎないようにすることが考えられ、部会資料41-1や中間試案においては、契約が成立しなかったとしても、何らの責任を負わないという原則を明示するという案が提案されていた。

 これに対して、部会資料75-Aでは、契約自由の原則そのものを明文化する以上、交渉を破棄しても責任を負わないという規定を設けることは重複した規定を設けることになるから、交渉を破棄しても責任を負わないという規定はおかないという提案がなされた。

(5)不当破棄としての責任を負う場合の要件

 交渉を不当に破棄した者が責任を負う場合の要件について、法制審議会では重点的に議論がなされ、上記の部会資料の提案内容からもわかるとおり、法制審議会において事務局から提案されるものも提案されるごとにその内容は変わっていった。提案の変遷経過等については以下のとおりである。

  1. ア  中間試案においては、それまでの法制審議会での第1読会、第2読会での議論の結果をふまえて[1]、①相手方が契約の成立が確実であると信じたこと、②契約の性質、当事者の知識及び経験、交渉の進捗状況その他交渉に関する一切の事情に照らしてそのように信ずることが相当であると認められること、③当事者の一方が契約の成立を妨げたこと、④契約の成立を妨げたことについて正当な理由がないこと、を要件として定めることが提案されていた。
  2.    このうち、①は、契約の拒絶は本来的に自由であるのに、例外的に損害賠償義務が認められるのは契約が締結されるという相手方の信頼を保護するためであるという理解による。この点については、交渉破棄が信義則に反するとされる場合は様々であり、例えば交渉が一定期間にわたり実際に反復継続するに至った以上、契約成立の信頼が生ずるかどうかにかかわらず、契約成立に向かって誠実に交渉する義務が生じ、正当な理由なくこの義務に違反した者はその義務違反によって生じた賠償責任を負う場合もあるなど、契約成立が確実であると信じた場合に限定する必要はないという指摘もなされていた[2]
  3.    また、②について、単に相手方が一方的に契約の成立が確実であると思い込んだだけで損害賠償義務を負担させることは妥当ではないことから、契約の成立が確実であるという相手方の信頼が合理的なものであることが必要であるという理解に基づく。さらに、この点に関して、契約の成立が確実であると信ずることが相当であるかどうかの考慮要素として、契約の性質、当事者の知識及び経験、交渉の進捗状況などを具体的に明示することが提案されていた。例えば、消費者保護の観点からすると、事業者が執拗に勧誘して消費者が断り切れずに交渉を継続したときに、消費者が契約締結を最終的に拒絶したとしても、損害賠償責任が簡単には生じないような規範が必要であるが、契約の性質や当事者の知識及び経験などを考慮要素とすることで、執拗に勧誘する事業者が契約の成立が確実であると信じたとしてもそれは相当なものとはいえないと考えられる[3]
  4.    ③については、典型的なケースを交渉の当事者が自ら契約締結を拒絶した場合としながら、これに限らず、契約交渉が破綻するような事態を故意に招来したようなケースを含むことが想定されていた。
  5.    ④は、契約の成立を妨げたとしても、正当な理由に基づく場合にまで損害賠償責任を負うことは妥当ではないから、正当な理由がない場合のみに対象を限定したものである[4]
  6.  
  7. イ  以上の中間試案に対するパブリックコメントでは、これまでの裁判例で損害賠償義務が認められた事案よりも適用範囲が広く解釈され、自由な交渉を萎縮させるおそれがあるとの意見や、規定が濫用されて紛争が増えるのではないかといった意見が出された。
  8.    これらの意見もふまえて、第3読会で提案された内容は、上記の③、④は同じであるが、①、②の点について、「契約の成立が確実であると相手方に信じさせるに足りる行為をした」というものに変更された。
  9.    これは、中間試案の案では、相手方が相当な理由によって契約成立を信じたのであれば、その信頼が必ずしも当事者の行為によって引き起こされたものでなくてもその当事者の損害賠償義務を発生させるとも理解できるが、それは適用ではないという理解に基づいている。
  10.    ただ、この案については、対象を限定しすぎているのではないか、これまで損害賠償責任が認められてきた(そしてそれが妥当と評価できる)裁判例の事案を包摂することができるのか、といった懸念が示された[5]
  11.  
  12. ウ  これらの議論の経過をふまえて、部会資料80-Bでは、損害賠償義務を負う場合の要件を具体的に定めるのではなく、「契約を締結しようとする当事者は、信義に従い誠実に交渉を行わなければならない」という規定のみをおくことが提案された。
  13.    これは、中間試案の案では抽象的になりすぎて濫用の危険があることが懸念され、一方部会資料75-Aのように具体的に要件を絞った形で規定しようとすると、これまでの裁判例における認容事例を包摂することができず、事案によっては妥当な結論を導くことができなくなることが懸念されたことから、具体的に損害賠償義務を負うことを定めるのではなく、交渉段階においても信義則が適用されるという原則のみを規定することが提案されたものであった。

(6)損害論

 従来の契約準備段階の過失の議論において、交渉を不当に破棄した者の損害賠償責任の範囲について、信頼利益に限定するべきであるという見解があり、裁判例においても、このような考え方に沿ったものもあると評価されてきた。

 一方、信頼利益の概念は明確なものではなく、裁判例においても、信頼利益と履行利益を明確に区別して損害賠償の範囲を定めているとは限らないことから、損害の範囲については、個別に判断すれば足りるものとし、特段の規定はおく必要はないという意見が大半であった。

 このため、法制審議会での部会資料での提案でも、損害論については何らからの規定をおくという案は提案されなかった。

 

5 立法が見送られた理由[6]

 契約交渉の破棄によって損害賠償義務が生ずる場合の要件を定めるにあたって、これまでの裁判例における認容事例において重視された判断要素を包摂しようとすれば、要件が抽象的なものになることは避けられず[7]、それに対しては規律の適用範囲が不明確であり濫用のおそれがあるとの批判がある。

 一方、要件を絞って具体的に定めようとすれば[8]、これまでの裁判例における認容事例を包摂することができず、妥当な結論を導けるとは限らないとの批判もあり、要件設定について、議論の一致をみなかった。

 そこで、上記のとおり、部会資料80-Bでは、具体的な損害賠償責任の要件を定めるのではなく、交渉過程においても信義則が適用されるという原則のみを規定するという考え方が提案されたが、これに対しては、このような抽象的な規律であれば明文化する必要性に乏しいという意見や、このような抽象的な規律を設けた場合には規律が濫用されるおそれがあるといった意見があり、このような抽象的な規定を明文化することに反対する意見があった。

 このように、法制審議会で繰り返し議論はなされたが、交渉の不当破棄についてどのような内容で明文化するのかについて議論の一致をみず、立法は見送られることになった。

 

6 コメント

 大阪弁護士会では、交渉を不当に破棄した者の責任ついて、明文をおくことについては一貫して賛成していた。既に多数の裁判例において認められている法理であり、紛争類型としても珍しくないことからすると、明文をおくべきというのが素直な理解である。

 ただし、具体的な定め方としては、あくまでも交渉を破棄した者が責任を負うことは例外的であることから、交渉を破棄しても責任を負わないという原則を明示するべきであるし、特に消費者保護の観点から事業者から濫用的に主張されることを避けるために、考慮要素として、当事者の属性、交渉経緯、契約の性質などを具体的に定めておき、消費者が交渉を破棄したときに不当に責任を問われないよう配慮すべきであると考える。

 今回は、特に経済界サイドから濫用の懸念が示され、学者の中においても要件の定め方については様々な議論があったところであり、議論の一致をみず、明文化は見送られた。

 もっとも、明文化が見送られたことは、従前の裁判例において認められてきた責任を否定するという趣旨ではないし、法制審議会の議論において、交渉を破棄した者の責任をより拡大させるべきだという議論がなされたわけではない。そうすると、今回の議論が今後の実務に直ちに影響を与えるということはないと理解されるし、今後の議論の成熟と将来の明文化に向けて、さらなる裁判例の積み重ね等が期待されるところである。

以上

 


[1] 全体会での議論に加えて、分科会でも議論の対象とされ、第3分科会において、交渉の不当破棄の規定を設けるとした場合の具体的な規定内容について議論された(第3分科会第5回)。

[2] 部会資料41-1・20頁

[3] 中間試案の補足説明338頁

[4] 例えば交渉の相手方が反社会的勢力の構成員であると判明した場合などは正当な理由があるとされる(中間試案の補足説明339頁)。

[5] 第84回議事録59頁以下

[6] 部会資料80-B、部会資料82-2参照

[7] 部会資料41-1や中間試案は抽象的な規定となっていたり、考慮要素を具体的に羅列する形にしている。

[8] 部会資料75-A

 


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(おくつ・しゅう)

京都大学法学部卒業、2004年弁護士登録(大阪弁護士会)。同年堂島法律事務所に入所し、現在は同事務所パートナー弁護士を務める。国立大学法人大阪大学大学院高等司法研究科非常勤講師。

【主要著作】
(共著)『実践! 債権保全・回収の実務対応』(商事法務、2008)、(共著)『書式で実践! 債権の保全・回収』(商事法務、2010)、(共著)『不動産明渡・引渡事件処理マニュアル』(新日本法規、2017)等

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