違法収集証拠として証拠能力を否定した第1審の訴訟手続に法令違反があるとした原判決に、法令の解釈適用を誤った違法があるとされた事例
警察官が、被告人の自動車内にチャック付きビニール袋を確認した旨の疎明資料を作成して同車に対する捜索差押許可状及び強制採尿令状を請求して上記各令状の発付を受け、同車内から覚醒剤等の薬物を差し押さえ、被告人から尿の任意提出を受けたなどの本件の事実経過(判文参照)の下では、同薬物並びに同薬物及び被告人の尿に関する各鑑定書の証拠能力の判断に当たり、警察官が上記ビニール袋は同車内になかったのに上記疎明資料を作成して上記各令状を請求した事実の存否を確定せず、その存否を前提に上記各証拠の収集手続に重大な違法があるかどうかを判断しないまま、証拠能力が否定されないとした原判決は、法令の解釈適用を誤った違法があり、刑訴法411条1号により破棄を免れない。
(補足意見がある。)
刑訴法1条、317条、411条1号
令和2年(あ)第1763号 最高裁令和3年7月30日第三小法廷判決
覚醒剤取締法違反、大麻取締法違反、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律違反被告事件 破棄差戻(刑集75巻7号930頁)
原 審:令和2年(う)835号 東京高裁令和2年11月12日判決(刑集75巻7号1028頁)
第1審:平成30年(特わ)1073号 東京地裁令和2年3月17日判決(75巻7号1024頁)
1 事案の概要及び審理の経過
本件は、被告人が、覚醒剤を自己使用し、覚醒剤等の違法薬物を所持したとして起訴された事案である。
警察官は、職務質問を行うため被告人運転車両(以下「本件車両」という。)を停止させ、被告人を留め置いている間に、本件車両運転席ドアポケットに中身の入っていないチャック付きビニール袋の束(以下「本件ビニール袋」という。)が入っていることが確認された旨の疎明資料を作成して本件車両に対する捜索差押許可状及び強制採尿令状(以下「本件各令状」という。)を請求して本件各令状の発付を受け、本件車両内から覚醒剤等の違法薬物(以下「本件薬物」という。)を差し押さえ、被告人から尿の任意提出を受けた。
本件では、本件薬物並びに本件薬物及び被告人の尿に関する各鑑定書(以下「本件各証拠」という。)は違法収集証拠として証拠能力が否定されるのではないかが争点となった。
第1審において、被告人は、ドライブレコーダーの映像や本件ビニール袋が押収されていないことなどを指摘し、警察官が自ら用意していた本件ビニール袋を前記運転席ドアポケットに入れて本件車両から発見された物であるかのように装ったなどと主張した。
第1審裁判所は、本件ビニール袋がもともと本件車両内になかった疑いは払拭できないから、警察官が、本件ビニール袋は本件車両内にもともとなかったにもかかわらず、これがあることが確認された旨の疎明資料を作成して本件各令状を請求した事実(以下「本件事実」という。)があったというべきであるとして、これを前提に本件各証拠の収集手続には重大な違法があると判断してその証拠能力を否定し、覚醒剤の自己使用及び本件薬物の所持について無罪を言い渡した。
当事者双方が控訴したところ、原判決は、違法収集証拠として証拠物等の証拠能力を否定するためには、将来における違法な捜査の抑制という法政策的見地に立って排除が要請されるような状況が必要であるとした上で、本件ビニール袋がもともと本件車両内になかったものであるとの疑いを拭い去ることはできないが、その疑いはそれほど濃厚ではないところ、その程度にとどまる事情だけを根拠に本件各証拠の証拠能力を否定しても、将来における違法捜査抑止の実効性を担保し得るか疑問があるから、この事情をもってしても、本件各証拠を証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないとまではいえないなどと説示し、このような疑いが残ることなどを考慮しても本件各証拠の証拠能力は否定されないとの結論を導き、検察官の訴訟手続の法令違反の控訴趣意をいれ、第1審判決を破棄して差し戻した。
被告人が上告し、最一小判昭53・9・7刑集32巻6号1672頁(以下「昭和53年判例」という。)等の判例違反、法令違反、事実誤認を主張した。本判決は、判例違反をいう点は適法な上告理由に当たらないとしつつ、法令違反があるとして原判決を破棄して差し戻した(裁判官全員一致の意見である。)。
2 説明
⑴ 昭和53年判例は、証拠物の押収等の手続に令状主義の精神を没却するような重大な違法があり(以下「違法の重大性」という。)、これを証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合(以下「排除相当性」という。)、証拠能力は否定されるとする違法収集証拠排除法則を示し、以降、同法則を適用した多数の裁判例が積み重ねられている。同法則の適用に当たっては、違法の重大性判断に必要な範囲で捜査経過等を認定し、それを前提に違法の有無・程度を検討してきた。排除相当性の判断に際しては、重大な違法行為の存在が前提となっており、違法の重大性を認めながら排除相当性を否定した事例は見当たらず、認定された捜査経過等を前提とする違法の重大性の有無が証拠能力判断の分水嶺ないし先決すべき基本的な要件とされてきた(大澤裕=杉田宗久「違法収集証拠の排除」法教328号(2008)71頁[大澤発言]、中谷雄二郎「違法収集証拠の排除」三井誠ほか編『刑事手続の新展開(下)』(成文堂、2017)398頁等)。
⑵ 本判決は、昭和53年判例を前提として、本件の事実経過の下では、本件各証拠の証拠能力を判断するためには、本件事実の存否を確定し、これを前提に違法の重大性を判断する必要があるところ、原判決は、本件事実の存否を確定し、これを前提に違法の重大性を判断したものと解することはできず、本件各証拠の証拠能力の判断において本件事実の持つ重要性に鑑みると、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反するとした。
違法な先行手続を利用して証拠物等の証拠を収集した場合の当該証拠の収集手続の違法の重大性については、①先行手続の客観的な違法(法規からの逸脱)の内容・程度、②令状主義潜脱の意図の有無・程度、③先行手続の違法と当該証拠の収集手続との関連性(因果関係)の程度、④当該証拠の収集手続自体の違法の有無・程度等が考慮されて判断されている(朝山芳史・最判解刑事篇平成15年度36頁、石井一正『刑事実務証拠法〔第5版〕』(判例タイムズ社、2011)151頁等)。本件事実の存否次第で、これらの点が大きく異なってくるから、本件事実が証拠収集手続の違法判断に関する重要な事情であることは明らかである。本件においては、立証責任に従い本件事実の存否を確定してからでなければ違法の重大性は判断できないということであろう。
原判決は、違法収集証拠排除法則の適用に当たり、排除相当性の評価の中で本件事実があった可能性の程度を考慮したものと解される。これに対し、本判決は、まずもって違法の重大性の判断とその前提となる本件事実の存否の確定が求められることを示したものといえる。排除相当性は、同様の違法捜査を抑制するために証拠能力を否定するのが相当といえるかという判断であるから、前提となる違法行為とこれに対する評価が明らかにされる必要があり、それを行わずに排除相当性(ひいては本件各証拠の証拠能力)を判断することはできないという考え方が前提となっているものと解される。
もとより、本判決は、違法の重大性に影響しない事実(違法の有無・程度を左右しない詳細な事実を含む。)についてまで確定を求めているものではないと解される。また、本判決は、違法の重大性判断の前提となる本件事実を確定しておらず、本件事実の存否の判断やこれを前提とした証拠能力についての判断は、差戻し審に委ねられている。
本判決には、戸倉三郎裁判官の補足意見が付されており、原判決のように、本件事実があった疑いの程度を考慮して証拠能力が認められると判断することは、立証命題の明確性や立証責任の原則との関係でも問題をはらんでいる旨の指摘がされている。
⑶ 本判決は、事例判断ではあるものの、最高裁における違法収集証拠排除法則の適用に関する1事例を加えるとともに、同法則における違法の重大性判断とその前提となる事実の確定の持つ位置付け等を確認した点で、意義を有すると思われる。