被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後訴訟能力の回復の見込みがないと判断される場合と公訴棄却の可否
被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後、訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断される場合、裁判所は、刑訴法338条4号に準じて、判決で公訴を棄却することができる。
(補足意見がある。)
刑訴法1条、刑訴法314条1項、刑訴法338条4号
平成27年(あ)第1856号 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 平成28年12月19日第一小法廷判決 破棄自判(刑集70巻8号865頁登載)
第2審:平成26年(う)第164号 名古屋高判平成27年11月16日
第1審:平成7年(わ)第353号 名古屋地岡崎支判平成26年3月20日
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本件は、統合失調症に罹患していた被告人が、平成7年5月3日、愛知県内の神社の境内で、面識のない2名を文化包丁で刺殺したとして、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反により起訴された事案である。
第1審において、被告人が訴訟能力を欠くとして約17年間公判手続が停止されたという経緯があり、被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後、その訴訟能力の回復の見込みがない場合、裁判所がいかなる措置を講ずるべきか、具体的には、そのような場合に第1審裁判所が公訴棄却の裁判をすることの可否が争点となった。
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第1審の名古屋地裁岡崎支部は、被告人に訴訟能力の回復の見込みがないと判断した上で、本件については、「公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き、後発的に『公訴提起の手続がその規定に違反したため無効』になったもの」として、刑訴法338条4号を準用して公訴棄却の判決をした。
これに対し、検察官が控訴し、第1審判決には不法に公訴を棄却した誤りがある旨主張した。控訴審の名古屋高裁は、被告人に訴訟能力の回復の見込みがないとした第1審判決の判断に誤りはないとしつつ、検察官が公訴を取り消さないのに裁判所が公判手続を打ち切ることは基本的に認められておらず、検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理であると認められるような極限的な場合に限り裁判所による打切りが可能である旨判示した上で、本件はそのような場合には当たらないとし、第1審判決が刑訴法338条4号の解釈適用を誤って不法に公訴を棄却したとして第1審判決を破棄し、事件を第1審に差し戻す判決をした。
これに対し、弁護人が上告した。
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上告審では、弁護人は、憲法違反、判例違反を主張したほか、刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法がある旨主張した。検察官は、被告人の訴訟能力の回復可能性を否定した原判決の判断を批判しながら、原判決は結論において正当である旨主張していた。
本判決は、上告趣意のうち、判例違反をいう点は前提を欠き、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由に当たらないとした上で、職権で、要旨次のとおり判示し、第1審判決を破棄した原判決には刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法があるなどとして原判決を破棄し、同号を準用して本件公訴を棄却した第1審判決は正当であり、検察官の控訴も理由がないとして、検察官の控訴を棄却した。
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本件において、被告人が起訴されてから第1審の公訴棄却の判決に至るまでの審理経過等については、第1審判決が詳細に説示している。その概要は本判決第2の1(1)のとおりである。
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刑訴法314条1項は、被告人が「心神喪失の状態」すなわち訴訟能力を欠く状態にあるときは、原則として、「その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない」と規定している。そして、被告人に訴訟能力の回復の見込みがない場合に、検察官が同法257条により公訴を取り消せば、裁判所は、同法339条1項3号により、公訴棄却の決定をもって手続を打ち切らなければならない。しかし、刑訴法は、被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後、その回復の見込みがない場合で、検察官が公訴を取り消さないとき、裁判所がいかなる措置をとることができるかについて、明文の規定を設けていない。そこで、このような場合における裁判所による訴訟手続の打切りの可否等が問題となる。
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この問題について判示した最高裁判例はない。ただし、最三小決平成7・2・28刑集49巻2号481頁(平成7年判例)において、被告人の訴訟能力に疑いがある場合には、審理を尽くし、訴訟能力がないと認めるときは、原則として公判手続を停止すべきであるとする法廷意見に加え、公判手続停止後も訴訟能力の回復の見込みがない場合に裁判所自らによる手続の最終的打切りの余地を肯定する趣旨の千種秀夫裁判官補足意見が付されていた。なお、千種裁判官補足意見は、手続の打切りのための裁判の形式や理論的根拠には言及していない。
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学説では、この問題について、平成7年判例と前後して、様々な見解がみられるようになった。大きく、①裁判所による訴訟手続の打切りを肯定する積極説と②これを否定する消極説に分かれ、①積極説の中でも、裁判の形式としてⅰ公訴棄却説とⅱ免訴説があり、その理論的根拠は多岐に分かれている。ただし、この問題を明示的に論じている学説の中では、打切りを認める明文規定の不存在や解釈上の難点等を指摘して②消極説に立つ見解があるものの(土本武司「訴訟能力の欠如と公訴棄却」捜査研究757号(2014)10頁)、①積極説が多数である。①積極説の中では、ⅱ免訴も可能な場合があるとする免訴説(刑訴法337条準用により免訴も認める説として渡辺修「聴覚障害者と刑事裁判の限界――最決平成七.二.二八を契機に」判タ897号(1996)38頁、最大判昭和47・12・20刑集26巻10号631頁[高田事件大法廷判決]に則り免訴も可能とする説として佐々木史朗「訴訟能力の欠如と公判手続の停止」『ジュリスト臨時増刊 平成4年度重要判例解説』(有斐閣、1993)202頁)もあるが、ⅰ公訴棄却説が多数である。ⅰ公訴棄却説の中でも、裁判所において代替的に公訴を取り消したものと擬制して刑訴法339条1項3号準用により決定で公訴を棄却すべきとする説(指宿信「聴覚言語障害を理由とした訴訟無能力と手続打切り――米・加の裁判例を参考にして」判タ977号(1998)15頁)や被告人死亡の場合に準じて同法339条1項4号準用により決定で公訴を棄却すべきとする説(鈴木茂嗣『刑事訴訟法〔改訂版〕』(青林書院、1990)44頁)よりも、同法338条4号に準じて判決で公訴を棄却すべきとする説(松尾浩也『刑事訴訟法(下)〔新版補正版〕』(弘文堂、1997)166頁、高田昭正「訴訟能力を欠く被告人と刑事手続――岡山地裁昭和62年11月12日判決を契機として」ジュリ902号(1988)39頁、青木紀博「判批」判例評論448号(1996)230頁、長沼範良「訴訟能力に疑いがある場合と公判手続の停止(最高裁判決平成7.2.28)」ジュリ1108号(1997)114頁、田口守一「公判手続の停止と打切り」研修597号(1998)3頁等)が多い状況にある。なお、一般論としては、手続を打ち切るべき事情や理由は事案によって異なり、その手段を択一的に考える必要はないであろう。
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本判決は、この問題について、訴訟手続の主宰者である裁判所において、被告人が心神喪失の状態にあると認めて公判手続を停止する旨決定した後、被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合、「事案の真相を解明して刑罰法令を適正迅速に適用実現するという刑訴法の目的(同法1条)に照らし、形式的に訴訟が係属しているにすぎない状態のまま公判手続の停止を続けることは同法の予定するところではなく、裁判所は、検察官が公訴を取り消すかどうかに関わりなく、訴訟手続を打ち切る裁判をすることができるものと解される。刑訴法はこうした場合における打切りの裁判の形式について規定を置いていないが、訴訟能力が後発的に失われてその回復可能性の判断が問題となっている場合であることに鑑み、判決による公訴棄却につき規定する同法338条4号と同様に、口頭弁論を経た判決によるのが相当である。」と説示した上で、裁判所が刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却することができる旨判示し、裁判所による訴訟手続の打切りを肯定し、その理論的根拠と裁判の形式を明確にした。
このような場合における訴訟手続の打切りについて、明文の規定はないものの、刑事訴訟の趣旨等に照らすと、刑訴法314条1項による公判手続の停止は、あくまでも公判手続の再開を前提とした手続であり、裁判所において被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合には、その判断の内容に照らし、当然に同法338条4号に準じて形式裁判である公訴棄却の判決によって訴訟手続を打ち切ることができる、と判断したものと推察される。
なお、第1審判決が、公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き、後発的に「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効」になったものとして、刑訴法338条4号を準用する旨判示しているのに対し、本判決はこのような点に言及していない。本判決は、その判文からもうかがわれるように、必ずしも訴訟条件論の一環として刑訴法338条4号の類推適用というアプローチにより結論を導いているのではなく、刑事訴訟の趣旨等に照らし訴訟係属状態を維持すべきではないという観点から形式裁判である公訴棄却により訴訟手続を打ち切り、判断の内容等に照らし判決でこれを行うことを導き、刑訴法338条4号に準じて処理するというアプローチを採っているものと解されることに留意する必要がある。
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本判決には、池上政幸裁判官により、補足意見が付されている。
まず、訴訟能力の回復可能性が問題となる事案における訴訟手続に関して、公判手続停止決定に至るまでの段階や公判手続停止決定後の段階において、訴訟能力の有無やその回復可能性について慎重に審理し、また、訴訟能力が回復したときは速やかに公判手続を再開すべきことなどが述べられている。ここで指摘されている点は、この種の事案における裁判所の訴訟運営に当たって参考になるものと思われる。このような補足意見が付された背景には、平成7年判例後それほど間を置かずに起訴された本件において、被告人の訴訟能力をめぐる第1審裁判所の訴訟運営(特に比較的早い段階におけるもの)に課題があったことがうかがわれる(この問題を指摘するものとして、三好幹夫「判批」刑ジャ54号(2017)163頁。)。
次に、裁判の在り方との関連では、訴訟手続打切りの論拠につき、刑訴法339条1項4号参照として「被告人が実質的に欠けて基本的な訴訟構造が成り立たなくなったこと」が指摘されるなど、法廷意見より実定法解釈に引きつけた具体的な意見が述べられている。
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本判決は、被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後訴訟能力の回復の見込みがないと判断される場合と公訴棄却の可否という問題に関し、平成7年判例における千種裁判官補足意見をもって裁判所による手続打切りの余地を肯定する方向性が示唆されていたところ、刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却することができる旨を最高裁として初めて明確にした点に、判例として重要な価値があると考える。今後、同様の事案において、裁判所、検察官、弁護人による意思疎通を円滑にし、検察官による公訴の取消しの活用を含め、適切な運用がなされることが期待される。
なお、本判決後、第1審段階において、被告人の訴訟能力の回復可能性を踏まえ、検察官による公訴取消しを受けた裁判所による公訴棄却決定や、裁判所による公訴棄却判決の実例が現れているようである。さらに、検察官による公訴取消しが認められない控訴審段階(刑訴法257条参照)において、裁判所による公訴棄却判決の裁判例も現れている(刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却すべきとしつつ、控訴審における処理としては、同法397条1項、378条2号により1審判決を破棄した上、同法400条ただし書により自判するというものもあるようであるが、より簡明に同法404条、338条4号準用により公訴棄却判決をするものとして、札幌高判平成29・3・14札幌高検速報185号、東京高判平成29・12・8東京高検速報3627号がある。)。控訴審段階以降における訴訟能力の有無の判断や訴訟手続の打切りの在り方は、今後の課題である。