弁護士の就職と転職Q&A
Q45「新興事務所に参画するメリットはどこにあるか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
事務所の設立は、創業者にとっては、夢と希望のある取組みです。これまでの弁護士経験を踏まえて考え抜いた理想の事務所を具現化し、かつ、それを永続的な組織に発展させるのは、リスクや苦労を引き受けてでも取り組む価値があるプロジェクトです。しかし、「創業者の思い」は、第二世代、第三世代には必ずしも共有されません。創業者にとっては思い入れのある事務所も、後から参画する弁護士にとってみれば、「数ある法律事務所の中のひとつ」に過ぎません。ベンチャー企業のように「ストック・オプションを貰っておけば、上場によるキャピタル・ゲインも期待できる」というシナリオも想定できません。そのため、「設立当初でまだ経営が不安定な時期に飛び込んでまで得たいものとは何か?」はそろばん勘定だけでは見出しにくいものがあります。
1 問題の所在
伝統ある名門事務所は、「アソシエイトとしての修行を受けさせてもらう」という環境面では優れていたとしても、一人前になった後で「では、ここでパートナーとして弁護士業務を営むべきか?」については別の考慮が働きます。事務所から与えられた恩義と恩恵(ブランド力や設備)よりも、ネガティブな要素(経費負担や先輩パートナーとの調整による不自由さ)が上回れば、「独立」するのも合理的な選択です。実際、「出身事務所で培ってきたスキルを用いて、従前通りの業務分野の仕事を提供する」という範囲での業務継続は、クライアントから、一職人弁護士としての資質を信頼してもらえているならば、それほど難易度が高いわけではありません(利益相反が少なくなり、料金設定に自由度を得られるのも好材料となります)。
ただ、「新事務所で優秀な人材を採用して規模を拡大させる」「出身事務所では取り組めなかった分野にも進出する」となると、プレイヤーとしての資質を超えて、事務所経営者としての資質が問われるものとなり、成功のハードルは途端に上がります。創業者世代は、「これから成長する事務所である」「自分で事務所作りに参画できる」ことがセールスポイントになると考えがちです。しかし、「アソシエイト=労働者」にとってみれば、「成長」とは(経済的アップサイドではなく)むしろ「ハードワーク」を想起させるものです。また、「事務所作り」の面でも、労働条件を巡っては、使用者(パートナー)と労働者(アソシエイト)の利益は対立しがちです。現実にも、新興事務所に参画したアソシエイトからは、「名門事務所出身の創業者には、新興事務所のアソシエイトの辛さが分かっていない」「彼らも、アソシエイト時代にハードワークをこなしたかもしれないが、同時に、初任給1000万円超の高給や留学制度等の恵まれた条件も与えられていた」「それにも関わらず、経営者としては、『うちはベンチャーだから』といって、アソシエイトの給料の支払いには渋い」という愚痴も聞かれます。そして、結果として「『名門事務所のアソシエイトのハードワーク』と『中小事務所のイソ弁の低給与』が合体したようなブラック事務所が出来上がってしまっている」と評されていました。そこで、「制度が整った名門事務所よりも、新興事務所のほうが優れている」という点を、創業者やクライアントの視点だけではなく、第二、第三世代として事務所に参画する者の視点から考えてみる意義が生じています。
2 対応指針
新興事務所への参画のメリットは、本人の年次や置かれた状況に応じて、代替案との比較考慮の下に相対的に感じられるものです。
「パートナー(経費負担者)」にとってみれば、「信頼できる同僚弁護士と議論しながら仕事をできたら楽しいだろうな」という、ぼんやりとした姿を思い描くのをきっかけとして、次には、実務的に、現在の事務所経費の負担額を念頭に置いて、移籍後の経費負担、営業上のシナジーや「忙しい時に手伝ってくれる人手の確保しやすさ」等を比較して実現可能性を検討することになります。
「パートナー予備軍」にとってみれば、「そろそろどこかでパートナーのタイトルを手に入れなければならない」という課題を意識しつつ、名門事務所の所内における「生き残り戦略」(例えば、同一法分野の大先輩の仕事を手伝って恩を売っておくことで、その定年時に顧客を承継してもらえる相続人になる等)とは異なって、「同一法分野には先輩がいない環境で、自らが新事務所でこの分野の第一人者になる」という目標を設定したりして、移籍後の生存可能性を探ることになります。
「アソシエイト」にとってみれば、「事務所の成長=今後も先輩弁護士が増えてより忙しくなるかもしれない」だけであり、「下の世代に自分が使えるアソシエイトが増える(その稼働からフィーをピンハネして経済的アップサイドが生じる)」という「遠い未来」にまでは想像力が及びません。そのため、もっぱら、創業者の人間的魅力を背景に、近視眼的に「このパートナーの下で働いてみたい」という、純粋な「経験値獲得」が目的になります(ブティック事務所に対しては、特定法分野の専門性を磨くことが、総合事務所に対しては、幅広い種類の案件への関与が重視されがちです)。
3 解説
(1) 「パートナー(経費負担者)」の視点
既に「パートナー」として自分のアカウントを持って働いている弁護士にとって、新興事務所は、「人間関係」と「そろばん勘定」の2つの面で魅力的に映ることがあります。
現事務所に、尊敬できないシニア・パートナーがいたり、どうしてもウマが合わない同僚パートナーがいた場合に、「こいつらと一緒に一生、事務所経営をしていくのはシンドイ」という思いが生じます。ここで、大きな志があれば、自ら事務所を設立することになりますが、そうでなければ、対外的にも、「ひとり事務所」は信用を得にくくなっていますし、費用負担(会議室や図書・IT等)とアソシエイトの採用のことを考慮すれば、ひとりで事務所を設立するのは、割りに合わないという判断に流れがちです。
そこで、修習同期等の友人・知人関係で「気心」が知れた弁護士の独立先で、自分がフィットしそうな先はないかを探ることになります。この場合には、「大きな理想を掲げて価値観が共有できるか」ということよりも、「現在の自己の業務に支障が少ない先」であり、「できるだけ経費負担を軽く済ませられる先」が望まれることが多い印象があります。
(2) 「パートナー予備軍」の視点
「シニア・アソシエイト」や「カウンセル」世代にとってみれば、(インハウスに転向するのでなければ)「どこでパートナーの肩書きを得て、自己名義での営業を開始するか?」というのがキャリア形成上の重要な課題となります。名門事務所であれば、その事務所の看板に営業上の効果を期待することもできますが、パートナー審査が厳しくて、昇進できないこともあれば(必ずしも「弁護士としての能力を客観的に問われた結果」というわけでもありません)、同一法分野における先輩パートナーの層が厚すぎるために、「自己の顧客」を開拓することが難しい、という側面もあります。
その点、新興事務所のほうが、「パートナー」の肩書きを与えやすい、という事情もあります(財政的基盤が確立していない新興事務所にとっては、給与所得者であるアソシエイトを増やすよりも、経費負担者であるパートナーを増やすほうが望ましい側面があります)。また、自分が専門とする法分野に関する先輩パートナーがいない事務所であれば、「自らが、事務所におけるこの分野の第一人者」として、事務所クライアントに対する当該分野のリーガルサービスの提供で売上げ面でも貢献することもできる、という未来像を描くこともできます。
(3) 「アソシエイト」の視点
「就職活動時点において、名門の企業法務事務所に入りたかったが、落選してしまった」「そのために、やむなく、不本意ながらも、いまの職場(一般民事系事務所や社内弁護士)で働いている」という、ジュニア・アソシエイト世代にとってみれば、「改めて企業法務の第一線の法律事務所で修行し直したい」と考えて第二新卒採用に応募する先としては、そのような名門事務所から独立した新興事務所は有力な選択肢となります。
名門事務所では、人材獲得の軸を新卒採用に置いているので、「新卒採用で落とす程度のスペックの人材を改めて第二新卒で採用するか」という問題があります。これに対して、新興事務所は、新卒採用までは手が回らないことが多いので、「比較されるべき後輩がいない」という点でも、名門事務所ほどは採用倍率が高くないことからも、採用してもらえる現実的可能性が存在します。そして、実際に採用されたならば、「名門事務所で活躍していた現役世代」とマンツーマンで、オン・ザ・ジョブのトレーニングをさせてもらえるので、そこで得られる「経験値」は、名門事務所で得られるものにも引けを取りません(それどころか名門事務所よりも、密で幅広い経験を積める可能性すら存在します)。
問題は、既に、名門と呼ばれる事務所に居て、適切な訓練を受けられる環境にいるアソシエイトまでもが、敢えて、高待遇と整備された留学・研修制度を捨ててまで、新興事務所に挑戦する意義があるか、という点にあります。この点、「もともと仕事を一緒にしていたパートナーが独立してしまったので、その独立先事務所についていく」という形での移籍は過去にも例があります。ただ、それを超えて、人材市場を介してまで、見ず知らずの事務所に応募する、という事例はまだあまり多いわけではありません(「アソシエイトにとって、どのようなメリットがあるのか」については、今後、新興事務所の実態をもう少し探った上で、別の機会に報告させていただきたいと思っています)。
以上