◇SH3435◇著者に聞く! 西田章弁護士『新・弁護士の就職と転職』(前編) 西田 章/重松 英(2020/12/28)

法学教育

著者に聞く! 西田章弁護士『新・弁護士の就職と転職』(前編)

弁護士 西 田   章

(聞き手) 重 松   英

 

 商事法務より、『新・弁護士の就職と転職――キャリアガイダンス72講』が発売されました。同書の著者である西田章弁護士は、商事法務ポータルの「弁護士の就職と転職Q&A」の連載において、コロナ禍に際して、Q111「外出自粛期間を『創造的休暇』にできるか?」Q116「ステイホームに順応したアソシエイトは勤労意欲を回復できるか?」といった分析を行っていましたが、同書は、連載を収録するのではなく、あらたに書き下ろされています。

 インタビューの前編である今回は、西田弁護士が、前作(『弁護士の就職と転職』(商事法務、2007))から13年振りに、新作を執筆するに至った経緯についてお尋ねしてみたいと思います。(聞き手 重松英弁護士、2020年12月18日開催(場所 商事法務会議室))

 

前作(『弁護士の就職と転職』(商事法務、2007))は、私が法学部生時代に発刊されて、ロースクール生時代に読ませていただきました。当時、「弁護士」と言えば、法廷に立つイメージしかありませんでした。「企業法務系の弁護士になった後の姿」を想像させてくれる本がまったくなかったので、とても参考になりました。
ありがとうございます。前書を出版した当時、私は36歳でした。まだ弁護士登録9年目の若造が「『(金払いの)よいお客さん』を見つけられなければどうすればよいか。方法は2つしかない。『よい仕事』をすることをあきらめるか、『商売』として弁護士をすることをあきらめるか。そのどちらかだ」(『弁護士の就職と転職』5頁)なんて偉そうに言い切っているのですから、生意気ですよね。先輩弁護士の先生方からは厳しいご指摘もいただきました(苦笑)。
弁護士業界で9年目というのは、今回の書籍で示された分類でも、まだ「修行期」ですからね。私が、今、丁度、9年目なので、自分が言うことを考えると、結構、勇気が要ります(笑)。先輩方からは、どのような指摘を受けたのでしょうか。
そうですね、一番、印象に残っているのは、「そもそも、弁護士に『就職』とか『転職』という言葉を使うことがケシカラン!」というお叱りです。弁護士は登録したら、自分で依頼者に責任を持たなければならないので、会社に就職するような気分で事務所に入るべきではない、という考え方が根底にあったのだと思います。
今では、日弁連が「ひまわり求人求職ナビ」のサイトを運営していますし、弁護士が普通に民間の転職斡旋業者を利用するようになりましたね。変化のきっかけは何だったのでしょうか。
司法試験合格者の増員とリーマンショックを受けて、新規登録先を見付けられない修習生のことを、マスメディアで「弁護士の就職難」と呼んだのが契機だと思います。ただ、同期世代がアソシエイトを採用する側の年次になって思うと、「弁護士が『就職』とか『転職』という言葉を使うべきではない!」と仰っていた先輩の気持ちもわかるような気もします。
それはどういう意味でしょうか。
個人事務所は減り、共同事務所が増えてきましたが、「経営者とサラリーマン」の集合体ではなく、「ひとりでも食っていける弁護士」の集合体であることを目指すべき、という意味です。「黙っていても毎月給料が振り込まれてくる」という悪いサラリーマン根性が染み付いてしまうと、そこから抜け出すのが難しくなってしまいます。
なるほど、法律事務所でも事業主としての矜恃を持っていなければパートナーにはなれませんよね。ところで、前作は、ヘッドハンターになって1年経ったところで書かれたそうですが、そもそも、なぜ、西田さんは、大手事務所を辞めて人材紹介業を始められたのですか。
前向きな理由と後ろ向きな理由があるのですが(笑)、どちらから話しましょうか。
では、前向きなほうからお願いします。
弁護士人口が増える、と言われていたので、「弁護士が増えて、限られたパイを奪う競争に参加するのか?」「いっそ、弁護士が増えることで市場が拡大するような仕事に従事するべきではないか?」と考えたのが前向きな理由です。
戦略的ポジショニング、というやつですね。それでは、後ろ向きな理由も教えてください。
大手法律事務所では、出向明けはパートナー審査を意識して、稼働時間の長さでも、仕事のクオリティでも自分をアピールしていかなければならない時期に入りますが、その競争に参加するのは無理だと自覚したので、ドロップアウトした先に「何をしようかなぁ」と試行錯誤を重ねて行き着いた先、というのが実態ですね(笑)。
ご家庭の事情については前書のあとがきにも触れられていましたよね。
日銀に出向しているときに、次男がダウン症で生まれて心臓の手術を受けることになりました。妻と2人で待合室で次男の手術が終わるのを待っていた時に「クライアントのビジネスをサポートするために深夜までオフィスで働くよりも、できるだけ自分の家族と一緒にいられる生活」を最優先すると決めました。優秀なアソシエイトは他にたくさんいるんだから、自分がいなくなってもクライアントは何も困らないだろうと思いました。
西田さんはご家族を大事にされていますよね。
でも、父親の役割で「家で一緒にいること」が最重視されるのは子供が小さいうちだけですね。手術が成功したおかげで今は息子は3人とも元気で、もはや「家に居なくていいから、外でしっかり稼いでくること」のほうが求められています(笑)。
ワークライフバランスについては、新書でも取り上げていましたが、インハウスになることは考えなかったのでしょうか。
もちろん、真っ先にインハウスになることを考えて転職活動をしました。そして、ある事業会社さんから、役員面接を受けた結果、「理事待遇」とまで言ってもらえて、年俸1,000万円台後半のオファーをいただいて、これを受諾する寸前まで行きました。
魅力的な条件ですが、受諾されなかったのですね。
自分では条件にも満足してオファーを受諾するつもりでした。でも、返事をする前に、最後に、その会社のことを良く知っている大先輩の弁護士に「念の為」の相談をしておきたいと思いました。アポイントをもらってランチタイムに事務所に伺うと、その先生は、鰻屋の個室に連れて行ってくれて、昼からビールを飲ませてくれました(笑)。そして、徐に「転職相談だけど、そこはヤメたほうがいい」と言われました。
なぜでしょうか。
先生からは、こんな風に言われました。「西田くんが『ワークライフバランスを確保したくてインハウスになりたい』というのはわかった。でも、その会社は、プライベートを大事にしたい人がいくところじゃない。大企業だが、巨大な個人商店だ。昼夜を問わず会長のために働く社員だけが評価される。西田くんに馬車馬のように働く覚悟があるならば止めないが、『家族との時間を持ちたい』と期待していく会社じゃない。西田くんに高給を払うということは、それ以上の外部弁護士費用を削減する働きが求められると考えたほうがよい」と。
とても踏み込んだアドバイスですね。
はい。でも、本当にありがたかったです。それまでに何人も転職エージェントに相談していたのですが、彼らは、成功報酬目当てに無責任なアドバイスをしてきます。あるエージェントは、ぼくが「子供に障害があって家族との時間を大切にしたい」と1時間もかけて説明した後で、「わかりました、あなたにぴったりなのは、この法律事務所です」と言って、業界で最も忙しいと言われている最大手の事務所の名前を挙げていました(笑)。「誰もぼくのキャリアを真剣に考えてくれる人なんていない……。」と自暴自棄になりかけていた時だったので、大先輩からの誠実なアドバイスが身に染みました。
だから、インハウスになるのを止めたのですね。でも、そこからどうしてご自身で人材紹介業をするようになったのですか。
その後も、転職エージェントへのキャリア相談を続けたのですが、どれも、先輩のアドバイスの足元にも及ばないような低レベルなものばかりでした。そのうちに「むしろ自分でキャリア相談を受ける側をやってみたい!」と思うようになりました。今思えば、自分自身がキャリアで迷走している立場で、他人のキャリアにアドバイスをしようなんて、図々しかったですね(笑)。
最初からヘッドハンターとして独立することを目指されたのですか。
最初は、サーチ会社にリクルータとして雇ってもらうことを考えていました。社長に採用側(企業や法律事務所)を営業してもらって、自分は候補者の勧誘に専念する、という分業が成り立つと思っていたのです。でも、そのモデルではうまくいかないと気付きました。
専門性を活かした分業だと思いますが、なぜうまくいかないのでしょうか。
社長は、弁護士ではないので、彼にとってみれば、「良いクライアント=金払いがよい先」なんですよね。紹介手数料さえ貰えたら、怪しいビジネスをしていようと、労働環境が劣悪だろうと構わないんです。
いつそれに気付いたのでしょうか。
仕事を始めてすぐ、悪い噂が立っている法律事務所にアソシエイトを勧誘するように指示されたときです。「すでに着手金をもらっているから、誰か紹介しろ」と言われて。その後、そこのボス弁は夜逃げして、事務所が解散してしまいましたので、紹介しないで済んで本当によかったです。
そんな酷いこともあるのですね。
それは極端な事例ですが、それだけでなく「人材紹介業者の発想には付いていけない」と感じたのは、サーチ会社の社長の仕事に対する姿勢がわかったときでした。彼は、あるPEファンドが、弁護士を採用したというニュースを聞いた時にとても悔しがっていました。「自分はファンドの代表も知っているし、移籍した弁護士のことも知っている。両者を知っているのに紹介に関与できなかった」と。ぼくには、その発想がまったく理解できませんでした。当事者間で直接に転職が成立する事案に、むりやり割り込んで紹介手数料を稼ごうとしているのです。
成功報酬型のビジネスモデルにはそういうところがありますよね。
それじゃあ、紹介業者は「付加価値」を提供しているのではなく、「負荷価値」をかけているようなものじゃないですか。ぼくは、当事者が自分たちでは見付けられなかった選択肢を提供することに紹介業者の「付加価値」があると思っていたので、寄生虫のようなビジネスモデルには納得できませんでした。
それで独立されたのですね。
はい、仮にも弁護士資格をもってキャリアのアドバイスをする以上は、「自分が行きたくもない事務所や企業」に勧誘することはできないと思いました。だからこそ、自分で、職業紹介事業のライセンスを取って、自分自身が働いてみたくなるような法律事務所や企業だけを依頼者にしようと決めました。
独立はすぐに軌道に乗ったのでしょうか。
最初の1年間は鳴かず飛ばずでしたね(笑)。「転職相談者にとって価値のある情報を提供すること」と「ビジネスとして紹介業を成立させること」とが両立しませんでした。
たとえばどういうことでしょうか。
一番印象に残っているのは、外資系投資銀行への紹介が失敗した事例です。留学帰りで米国系法律事務所に勤めていたアソシエイトを、投資銀行に紹介してオファーが出ました。その内定者がオファーを受諾してくれたら、何百万円もの成功報酬が手に入る、という直前でした。
それが成立しなかったのですか。
内定者が「インハウスになったら、面白い仕事ができなくなるのではないか」という不安を口にしました。それで、ぼくから「事業会社だったらそうかもしれないけど、この投資銀行は違うよ。自分の学生時代の先輩に、この投資銀行出身のファンドマネージャーがいるから、会って話を聞いてみない?」と提案しました。そして、3人で飲み会を開いたら、その先輩が「俺たちフロント部門は自分たちが気に入った外部弁護士を使う。インハウスが何しているか? 知らないなあ。あいつら毎日、守秘義務契約でもチェックしてるんじゃねえか?」と言い出したのです。内定者は、自分の不安が的中したと知って、投資銀行の内定を蹴って、別のエージェントを通じて他の外資系事務所に転職してしまいました。
それでは成功報酬が手に入らなかったのですね。
そうです。それに加えて、投資銀行の法務部長からは激怒されました。オファーが出た直後に、欧米のサブプライム問題が深刻化して新規採用が凍結された時期と重なってしまったため、「もう別の候補者にオファーを出すこともできないんだぞ! エージェントのクセに、候補者のコントロールもできないのか!」と。
それは落ち込みますね。
資金繰り上も、成功報酬をアテにしていたので、経済的なピンチに陥りました。それだけでなく、「自分の何が悪かったんだろう?」と悩みました。だって、自分は、「弁護士資格をもったエージェントとして候補者のためになる情報提供をしよう」と目標を掲げているにもかかわらず、候補者の期待に応えるために情報収集の場を設けた結果、内定を辞退されてしまうのです。「このビジネスモデルには根本的な間違いがあるのではないか?」と落ち込みました。
そこからどうやって脱出されたのでしょうか。
それで最後の手段として「本を書こう」と思いました。キャリアに悩むと、みんなゼロから転職活動を始めることになります。そして、試行錯誤の末に、自分なりの結論を出して次の職場で働き始めたら、もはやそのノウハウが次の転職者に生かされることはありません。それがすごく勿体ないことのように思えたのです。そこで、ぼくが転職の仲介をして学んだことを発表しておきたくなりました。本を出すことができたら、仮にぼくが廃業しても、この1年間の試行錯誤が無駄になるわけではない、と思うことができたのです。
それで前作(『弁護士の就職と転職』)を書かれたのですね。
はい。長い前置きですいません。
本を出すことが結果的にヘッドハンターとしての成功につながったのですね。
成功と呼べるハードルを「生き残ること」まで落としても構わないならば、そうですね。営業でも、候補者の勧誘でも、知らない人が会ってくれるようになったので、少しずつ人脈を広げられるようになりました。
ということは、本を出す前は、人と会うのに苦労されていたのですか。
前職では、「経済産業省の課長補佐」とか「日本銀行の法務主幹」という肩書をもらっていたので、それまで「人に会う苦労」をしたことがなかったのです。所属と肩書を言えば誰でも会ってくれたので。それが、独立してからは、知らない人にメールを送っても無視されてばかりでした。知っている人からも無視されたのはショックでしたね。2007年は、年賀状の返事をもらえる数がガクンと減ったのをよく覚えています(笑)。
本を出すことで、人材紹介業が軌道に乗り始めたのですね。
はい、前作がぼくの名刺代わりになり、人材紹介業を続けることができました。前作がなければ、ぼくは廃業してたでしょうね(笑)。
それから13年が経ちました。先ほども話があったとおり、弁護士に「就職」とか「転職」という言葉を用いることも普通になりました。SNSでもキャリア論が展開されるようになっています。前作と新作と、一番、異なる点は何でしょうか。
一番異なる点は、ぼく自身の心理状態でしょうね。前作を書いた時は、弁護士として成功している同期が羨ましくて、それに対して自分は何をしてるんだろう、って自信がないが故に、自己正当化に必死でした。文章にもネガティブなオーラが付き纏っていると思います(笑)。それに比べて、今は、心穏やかで仕事も楽しくて幸せです。
新作には、フローチャートや適性診断クイズが付いていたりして、遊び心も現れていますよね。それでは、リーガルマーケットや人材マーケットの観点からの最大の変化はどうでしょうか。
危機管理や不正調査関係の仕事がここまで拡大したのは予想外でした。それだけに、仕事を取ってくる営業力が、受任した仕事をこなす弁護士のスキルと切り離れてきた感じもします。人材マーケットは、インハウスの人数も増えて、紹介業者の数も増えて、市場は活性化したように見えますが、まだまだジュニア層が中心であり、いわゆる「エグゼクティブ・サーチ」がターゲットするようなシニア層・経営層の流動化はこれからだと思います。


マーケットの変化については、また後ほど具体的にお伺いしたいと思います。ところで、13年振りに本を書こうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。新刊を出されると聞いて、てっきり、商事法務ポータルでの連載が書籍化されるのかと思いました。
コロナ禍に伴うステイホームの期間によって、若い弁護士に「悩む時間」が与えられたような気がします。そこで、仕事よりもプライベートを重視したい、という相談をいくつも受けました。ぼく自身が、家族の健康問題をきっかけにキャリアを見直した経験があるので、それには基本的に同意できるのですが、他方、「将来、プライベートを重視した生活を確保するためにも、今は、バリバリと働くべき時期なんじゃない?」と思うこともありました。それを自分でもうまく説明できなくて、言語化したい、という思いが生まれました。
それが「修行期」と「活躍期」「円熟期」といったステージ分けにつながるわけですね。

<以下、次号に続く。>

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