弁護士の就職と転職Q&A
Q109「『景気低迷期はキャリア再考の好機である』は単なる強がりか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
新型コロナウイルスの被害は、東アジアに留まらず、その中心はヨーロッパに移ってきました。そして、WHOがこれをパンデミックと認めたことで、民間における経済活動の自由よりも、非常事態としての感染拡大防止策が優先されるフェーズに移行しています。日本のリーガルマーケットの関係者にも悲観的なムードが漂っていますが、「個々の弁護士のキャリア選択」という問題に限れば、「こういう時こそ、自分が本当にやりたいことを考えることができる。」と語る楽観主義者もいます。
1 問題の所在
キャリア選択に「もしも、……していたら」という仮定の話を持ち出したら切りがありませんが、「いつか現職を辞めようと思っていた」という転職予備軍からは、「転職の時機を逃した」という後悔が聞かれます。敢えて、これに「たら/れば」論で応じるならば、コロナ騒動前に「好景気時における価値基準」に基づいて転職先を決めていたら、新しい職場で景気低迷を迎えることになっていたに過ぎない、とも言えます。「与えられた状況下で最善を尽くす」のが実務家の仕事ですから、「コロナ騒動で流れが変わった今だからこそ、本当に自分が何をしたいのか、何に適性があるかを改めて考え直したい。」と考える楽観主義者のほうが、「依頼者から頼られる代理人像」に近付けるように思われます。
実際、人材紹介業を営んでいると、「キャリアの成否は、外側からではわからない」ということを痛感させられます。大規模な事務所で多額の売上げを立てているパートナー弁護士は成功者のように見えますが、アソシエイトや事務職員等の「扶養家族」を大勢抱えてしまえば、(もはや自己の主観的満足度を基準に行動することを諦めて)ディマンディングなクライアントとの付き合いを続けて、ストレスフルでも採算の良い仕事を受けなければならない状況に陥ってしまうこともあります。むしろ、細々としたひとり事務所でも、気の合う依頼者又はやりたい分野の仕事だけを受けて、売上げの出来る限りを経費算入できる生活費にも振り分けて、課税所得を抑えつつ、生活水準を高めることに成功している弁護士のほうが幸福度は高い、とすら言えそうです。
主観的満足度を高めるためには、自己の状況を他者と比較せずに、社会的地位や名声を求めないことが近道ですが、学歴がよいエリート弁護士は、受験競争の延長として、無自覚的に、キャリアの出世スゴロク又は売上げ獲得レースに参加してしまいがちです。そして、好景気の下で、そのレースの先頭集団における位置をキープし続けられているうちは、「レースから降りる」という選択肢が頭に浮かんでも、それを実行に移しづらいものがあります(本人が大病したり、親しい人が亡くなったりして、「人生の有限性」を強く意識する機会でも持たない限りは)。その点、景気低迷が、レース勝者への賞金を減額するルール変更をもたらすことは、「不本意ながらもレースに参加し続けているプレイヤー」にとっては、「自分の主観的幸福度を優先したキャリア選択とは何か?」を問い直す契機にはなりそうです。
2 対応指針
キャリアチェンジ(転職や独立)は、少なからず、現職に対する不義理を生じさせます。現職の上司やクライアントに対する不満を抱いていても、自ら「波風を立て/事を荒立て」てまで転職や独立を実現するためには、強い意思を貫き通さなければなりません。この点、不景気は、自己主張が苦手な若手弁護士にとってみれば、「相性が合わない上司や依頼者」との縁を切る好機ではあります。
また、好景気時には、「事務所一丸となってチームで大型案件を取りに行く」という団体競技における自己の役割を確保する戦術が重視されがちですが、不景気になれば、「各自がそれぞれ自分の食い扶持を稼いでくる」というゲリラ戦法的な個人競技の様相を呈してきます。そのため、専門分野も「(自己が所属する)事務所内の空きスペース」に見出すポジショニングよりも、リーガルマーケットにおいて「クライアントニーズがどこにあるか?」を自ら直接に探る努力が求められます。
収入面においては、「高額な給与を保障してくれる優良ポスト」を得ることは難しくなるため、一旦は、給与水準を維持することを諦めてでも(一時的に給与ダウンが生じることも甘受して)「固定給は低くとも、良い経験を積める先/良い人脈を築ける先」に潜り込むことを目標に設定して、リスクをとった進路選択をすることが将来のキャッシュ・フローを生むための自己投資につながります。
3 解説
(1)「満足していない人間関係」の解消の好機
職場における「現状を維持し発展させるのが善」とする価値観からは、「転職の前提となる自己都合退職=現状を壊す悪」であり、「転職者=加害者」「残された人々=被害者」という図式につながります。そのため、若手弁護士の中には、「いまの事務所はパートナーになりたいと思えるような職場ではない。」という転職希望を抱いていても、「ただ、今すぐに辞めなければならないほど大きな問題があるわけではなく、もうしばらくは耐えられる。」「今すぐに辞めたら、パートナーにも同僚にもクライアントにも迷惑をかける。」という理由から、具体的な転職については「とりあえず情報収集だけ」という状況に留まっている事例も相当数で存在します。
好景気が続くと、「とりあえず、内定をもらった事務所に就職してみる。」「とりあえず、留学をしておく。」「とりあえずは帰国して事務所に復帰する。」「とりあえず、パートナー選考を受けてみる。」「とりあえず、ジュニア・パートナーとして少し仕事をしてみる。」という、現状維持型の行動を続けているうちに、もはや、転身ができない年次になっている、という事態が生じます(外側からは、成功したキャリアに見えるため、別にそれを失敗事例と位置付ける必要はありませんが)。
これが、不景気になれば、事務所側も「優秀なアソシエイトがやめるのは残念であるが(他にもっと辞めてもらいたいアソシエイトがいるが)、経営側でリストラ策を立てることも胸が痛むので、自主的に辞めてくれる人がいるのは(経費削減の観点から)ありがたい。」という事情があるために(パートナーに昇進させてあげられる見込みも立たないままに慰留することも難しいために)、引き留められることなく、自分の希望を貫きやすくなります。
(2) 専門分野の選択
好景気における「発展型モデル」の下では、法律事務所も(特に大規模な先ほど)「小さい案件を積み重ねるよりも、事務所のブランド力とマンパワーを用いて、大型案件をチームで取りに行く」という団体戦の色彩が強まります。そのため、アソシエイトが専門分野を選択する際にも「この事務所において、自分の年次で、専門家が欠けている分野はどこか?」という発想をすることが欠かせません(近い期のアソシエイト間で分野が被ってしまうと、「所内における専門分野のレギュラー・ポジション争い」が生じてしまいます)。
これに対して、不景気になれば、「自分で対外的な売上げを立てられる若手パートナーの育成」が重視されるようになってきます(仮に、まずは、年間3,000万円の売上げしか立たないとしても、実績を積み重ねることで、それが2倍、3倍に増えていくことも現実的に期待できます。所内下請けに稼働時間を積み重ねるだけでは、対外的な売上げを立てられえるようにならないこととは質的な違いがあります)。
自ら対外的な売上げを立てることを考えていくならば、「所内的に専門分野の空きスペースがどこにあるか」という発想から脱却して、企業においてどういうリーガルサービスのニーズがあるかを自ら客先に探しに出向かわなければなりません。ただ、クライアント開拓は、タイムチャージベースではフィーを請求できない活動にも相当な労力を投じなければならないために、リアライゼーション(発生ベースで仕事に投じた実働時間のうち、クライアントからリーガルフィーを回収できる時間の割合)が下がることも覚悟しておく必要があります。
(3) リスクテイク
司法制度改革により、弁護士資格の希少価値が薄れたことは理解しながらも、なお、若手弁護士には「せっかく時間と費用を投じて弁護士資格を得たのだから、普通のサラリーマンよりは高い給料をもらいたい」と願う人が沢山います。ただ、弁護士資格自体は、毎月の弁護士会費負担を生じさせるだけであり、キャッシュフローの源泉は、「資格を用いて依頼者から案件を受任する」という営業力にあります。
それでも、好景気の「人手不足」時には、法律事務所の下請け的ポストにも相応の給与を保障する求人が行われますが、今後、景気が低迷すれば、「財政が健全な法律事務所」ほど不要不急の採用を控えて人件費を抑えてしまいます。
そうなってくると、「保障される給与額が多いほうが良い事務所である」という価値観を捨てることが必要です。「アソシエイト期間=修行を積むための期間」と割り切って、一時的な給与ダウンのリスクを取ってでも、「将来につながる経験/人脈」を得ることを最優先すべきだと思われます(その賭けに勝った場合に、パートナー年次以降の経済的アップサイドを享受するチャンスが生まれます)。
以上