◇SH0165◇最一小判 平成26年10月9日 損害賠償請求事件(白木勇裁判長)

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1 事案の概要

 本件は、大阪府泉南地域に存在した石綿製品の製造、加工等を行う工場又は作業場(石綿工場)の元従業員又はその承継人である原告らが、国による石綿の粉じん規制が不十分であったため石綿工場での作業により石綿肺などの石綿関連疾患にり患したなどと主張して国家賠償を求めている事案であり、「泉南アスベスト訴訟」と呼ばれている事件である。

 原告らは、国が行うべきであった石綿の粉じん規制として、労働省令により石綿工場に局所排気装置を設置することを使用者に義務付けるべきであったなどと主張している。すなわち、労働大臣は、昭和46年4月28日、旧労働基準法(旧労基法)の委任に基づき、特定化学物質等障害予防規則(旧特化則)を制定したが、旧特化則は、石綿粉じんを含む有害な粉じんの発散源に局所排気装置を設置することを使用者に義務付け、使用者がこれに違反した場合には旧労基法違反として罰則が科されることになった。原告らの主張は、労働大臣は、昭和33年頃には、旧労基法に基づく省令制定権限を行使して旧特化則と同様の規制を行うべきであったなどというものである。

 ①件及び②事件は、同一弁護団により提起されたものであるが、大阪高裁の別々の部で審理されることとなった。先行事件である②事件の控訴審判決は、国の規制の違法を認めず、原告らの請求を棄却したが(判タ1398号90頁・判時2135号60頁。1審判決は判時2093号3頁)、その後の①事件の控訴審判決は、国の規制の違法を認めて原告らの請求を認容した(公刊物不登載。1審判決は判タ1386号117頁)。このように高裁の判断が分かれたため、最高裁の判断が注目されていたが、最高裁は、局所排気装置に関する国の規制を違法とした①事件の控訴審の判断を是認し、これと異なる②事件の控訴審判決を破棄した。

2 事実関係の概要

  (なお、①事件と②事件では判文中の事実関係に若干の差異があるが、これは各事件の控訴審判決の認定事実が異なるためであると考えられる。)。

 ・石綿は、古くから紡織品等に広く使用されていたが、戦前から戦後にかけて行われた調査研究によって、昭 和33年頃には石綿工場の労働者の石綿肺り患の実情が相当深刻なものであることが明らかとなっていた。

 ・昭和33年頃、局所排気装置の設置は石綿工場における有効な粉じん防止策であったが、当時の我が国では、石綿工場の特殊性に応じて有効に機能する局所排気装置の実例に乏しく、そのような技術が確立しているといった状況ではなかった。もっとも、我が国では、昭和33年頃までには、局所排気装置に関する実用的な知識や技術の普及が進み、他の粉じん作業を行う工場において徐々に局所排気装置が設置されるようになり、局所排気装置の製作等を行う業者も一定数存在していた。このような状況の下、労働省は、昭和30年度から局所排気装置に関する研究を専門家に委託し、その研究の成果が昭和32年9月に書籍(昭和32年資料)として発行された。そして、昭和33年5月26日、石綿に関する作業を含む粉じん作業等について労働環境の改善措置の実施を指示する通達(昭和33年通達)が発出され、石綿に関する作業については局所排気装置を設け、その技術方法については昭和32年資料を参照するものとされた。

 ・労働省は、昭和33年通達が発出される前後において、行政指導により粉じん作業について局所排気装置を設置するよう指導していたが、石綿工場における局所排気装置の設置は進まなかった。

3 国の規制権限不行使に関する判例学説の状況

 現在の学説や裁判例では、規制権限の行使につき裁量が認められていても一定の場合には国に作為義務が生じ、権限不行使が国賠法上違法となるものとされており、学説や下級審裁判例には、裁量権収縮論(①国民の生命、身体に対する侵害の危険性及び切迫性、②予見可能性、③結果回避可能性、④補充性などの要件を充たした場合には、行政庁の裁量権が収縮して権限行使が義務付けられ、その不行使が違法となるとする見解)や裁量権消極的濫用論(規制権限の不行使が裁量の範囲を逸脱し、裁量権の濫用に当たる場合には、権限の不行使が違法となるとする見解)などがある。

 この点に関する最高裁判例としては、筑豊地区の炭鉱でのじん肺被害に対する規制権限の不行使について国の責任を認めたいわゆる筑豊じん肺訴訟判決(最三小判平成16年4月27日民集58巻4号1032頁)、水俣病による健康被害に対する規制権限の不行使について国の責任を認めたいわゆる水俣病関西訴訟判決(最二小判平成16年10月15日民集58巻7号1802頁)などがある。これらの判例によれば、規制権限の不行使が国賠法上違法となるのは、「権限を定めた法令の趣旨等に照らし、許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる場合」であるとするのが判例の立場であり、具体的な違法性判断においては、①被侵害利益の重大性、危険の切迫性、②予見可能性、③結果回避可能性、④実施された措置の合理性、⑤規制権限行使以外の手段による結果回避困難性(被害者による結果回避可能性)などが考慮されているものと解される。そして、筑豊じん肺訴訟判決は、鉱山保安法に基づく省令制定権限につき、鉱山労働者の生命、身体に対する危害を防止し、その健康を確保するために、できるだけ速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく、適時かつ適切に行使されるべきものであると判示している。

4 ①事件及び②事件の控訴審の判断の概要

 いずれの控訴審も、旧労基法に基づく労働大臣の規制権限の不行使は、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠く場合には国賠法上違法となるとしている。

 しかし、①事件の控訴審は、旧労基法に基づく労働大臣の規制権限について、筑豊じん肺訴訟判決と同様、労働者の生命、身体に対する危害を防止するため、できるだけ速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく、適時かつ適切に行使されるべきものであるとした。そして、昭和33年当時の石綿肺の被害の深刻さや、当時の技術状況に照らして一般の石綿工場に局所排気装置を設置することは技術的に可能であったといえることなどを考慮して、石綿に関する作業について局所排気装置を設置すべき旨の昭和33年通達が発出された昭和33年5月26日以降、労働大臣が旧労基法に基づく省令制定権限を行使して局所排気装置の設置を義務付けなかったことは国賠法上違法であるとした。

 これに対して、②事件の控訴審は、旧労基法に基づく労働大臣の規制権限について、工業製品の社会的必要性等を踏まえた労働大臣の高度に専門的かつ裁量的な判断に委ねられているとした上で、昭和46年までの間には、石綿工場において有効に機能することが検証された局所排気装置の設置例及びその経験的技術の集積が少なく、局所排気装置に関する実用的な工学的知見(控訴審判決の内容からすると、実用的な工学的知見とは、「一定の性能要件を満たす局所排気装置の設置等を作業場の実態に応じて具体的に実践する知見であり、試行錯誤と設置例の集積によって得られるもの」を意味すると解される。)が確立していなかったから、国は石綿工場に局所排気装置を設置することを義務付けることはできなかったとして、昭和46年の旧特化則制定まで労働大臣が局所排気装置の設置を義務付けなかったことも違法ではないとした。

5 本判決の内容等

 ・本判決は、①事件について国の上告受理申立てを受理した上、局所排気装置に関する控訴審の判断を正当として是認した。そして、②事件について原告らの上告受理申立てを受理した上、控訴審判決を破棄し事件を原審に差し戻した。

  筑豊じん肺訴訟判決において規制権限の根拠とされた鉱山保安法が、職場における労働者の安全と健康を確保すること等を目的とする労働安全衛生法の特別法の性格を有するものであることなどを考慮すると、鉱山保安法に基づく通商産業大臣の規制権限について同判決の判示するところは、旧労基法に基づく労働大臣の規制権限についても妥当すると考えられよう。

  また、①事件の控訴審判決と②事件の控訴審判決では、局所排気装置の設置を義務付けるために必要な技術的知見が存在したといえるかについての判断が異なっているが、国の規制権限の行使の可能性(結果回避可能性)については、被侵害利益の重大性や危険の切迫性の程度等の他の事情との相関によって判断すべきものであると考えられる。本件の局所排気装置の設置の義務付けが罰則を伴うものであることなどからすれば、一般の石綿工場において局所排気装置を設置することが可能な状況にあることは必要であるが、石綿肺が労働者の生命、身体に関わる重大な疾患であり、昭和33年当時の石綿肺の被害の状況が深刻であったことなどの本件の事情を考慮すると、試行錯誤や事例の集積により石綿工場の特殊性に応じて有効に機能する局所排気装置を設置し得る技術が確立していない限り、局所排気装置の設置を義務付けることができないとすることは相当でないというべきであろう。そして、本件の局所排気装置に関する技術の進展状況等に照らせば、昭和33年当時には、一般の石綿工場において局所排気装置を設置し得る実用性のある技術的知見が存在しており、国において局所排気装置の設置を義務付けることは可能となっていたと考えられる。本判決は、以上のような考え方から局所排気装置に関する①事件の控訴審の判断を是認し、これと異なる②事件の控訴審判決を破棄したものと考えられる。

  現在、建設現場でのアスベスト被害についてのいわゆる建設アスベスト訴訟が各地で提起されているが、本判決は事例判例であって、その射程が直ちに建設アスベスト訴訟に及ぶものではない。この点、本判決は、建設アスベスト訴訟で問題となっている防じんマスクに関する規制権限不行使の違法性を否定している。しかし、本判決は、その判示からも明らかなとおり、石綿工場での作業の性質上、防じんマスクは石綿工場における粉じん防止策としては補助的なものにすぎないことなどから石綿工場での作業について防じんマスクに関する規制権限不行使の違法性を否定したものであって、石綿工場以外における粉じん作業についてその射程が及ぶものではないと考えられる。また、①事件の控訴審判決は、原告らの損害の2分の1につき国の損害賠償責任を認めており、国は賠償責任を負う損害の範囲についても上告受理申立て理由としていたが、この点は上告受理の範囲から排除されている。本判決は、本件における国の損害賠償責任の有無について判断したものであって、賠償責任を負う損害の範囲について何らかの判断を示したものではないと解される。

 ・本判決は、アスベスト被害に関する国の規制権限の不行使の違法性を肯定した事例として、実務上重要な意義を有するものと考えられる。

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