1 事案の要旨
本件は、過度の飲酒による急性アルコール中毒から心停止に至り死亡したAの相続人であるXらが、Aが死亡したのは、長時間の時間外労働等による心理的負荷の蓄積によって精神障害を発症し、正常な判断能力を欠く状態で飲酒をしたためであると主張して、Aを雇用していたYに対し、不法行為又は債務不履行に基づき、損害賠償を求めた事案である。
2 事実関係等の概要
事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) ソフトウェアの開発等を業とする会社であるYにシステムエンジニアとして雇用されていたA(昭和55年生まれ)は、長時間の時間外労働や配置転換に伴う業務内容の変化等の業務に起因する心理的負荷の蓄積により、精神障害(鬱病及び解離性とん走)を発症し、病的な心理状態の下で、平成18年9月15日、さいたま市に所在する自宅を出た後、無断欠勤をして京都市に赴き、鴨川の河川敷のベンチでウイスキー等を過度に摂取する行動に及び、そのため、翌16日午前0時頃、死亡した。
Yは、Aの死亡について、Yの従業員がAに対する安全配慮義務を怠ったことを理由として、不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償義務を負う。もっとも、Aにも過失があり、過失相殺をするに当たってのAの過失割合は3割である。
(2) Aの死亡による損害は、Aの逸失利益4915万8583円及び慰謝料1800万円、Aの父母であるXらの固有の慰謝料各200万円並びにX1の支出に係る葬儀費用150万円である。
(3) X1は、平成19年10月16日、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく葬祭料として68万9760円の支給を受けたほか、控訴審(事実審)の口頭弁論終結の日である平成24年2月9日の時点で、労災保険法に基づく遺族補償年金(以下、単に「遺族補償年金」という。)として合計868万9883円の支給を受け、又は支給を受けることが確定している。
X2は、控訴審の口頭弁論終結の日である上記同日の時点で、遺族補償年金として合計151万6517円の支給を受け、又は支給を受けることが確定している。
3 問題の所在
上記のとおり、Xらは、Aの死亡という同じ原因により、損害賠償請求権を取得するとともに、遺族補償年金の支給を受けるなどしている。そこで、本件では、この遺族補償年金と損害賠償請求権との調整が問題となるものであるが、この点に関し、死亡事案と後遺障害事案において、次のとおり、趣旨の異なる判例がある。
すなわち、最二小判平成16・12・20裁判集民事215号987頁(以下「平成16年判決」という。)は、死亡事案において、遺族補償年金等がその支払時における損害金の元本及び遅延損害金の全部を消滅させるに足りないときは、遅延損害金の支払債務にまず充当されるべきものであるとした。
これに対し、最一小判平成22・9・13民集64巻6号1626頁(以下「平成22年9月判決」という。)は、死亡事案についての平成16年判決とは異なり、後遺障害事案についてではあるが、労災保険法に基づく保険給付や公的年金制度に基づく年金給付について、①同性質かつ相互補完性のある損害の元本との間で損益相殺的な調整を行うべきであり、②特段の事情のない限り、その塡補の対象となる損害は不法行為の時に塡補されたものと法的に評価して損益相殺的な調整をすべきであるとした。また、最二小判平成22・10・15集民235号65頁も平成22年9月判決と同様の判断をしている。
平成16年判決に対しては、強い批判もあったところであり、平成22年9月判決が出された後、死亡事案についても後遺障害事案についての平成22年9月判決の判断と同様に解すべきかが問題とされていたものである。
4 原々審及び原審の判断と最高裁の判断等
原々審は、遺族補償年金は死亡による逸失利益に塡補されるがその遅延損害金から充当されるとして、平成16年判決に従った判断をした。
これに対し、原審は、①遺族補償年金は、これによる塡補の対象となる損害と同性質であり、かつ、相互補完性を有する関係にあるAの死亡による逸失利益の元本との間で損益相殺的な調整をすべきであり、同元本に対する遅延損害金を遺族補償年金による塡補の対象とするのは相当ではない、②遺族補償年金は、制度の予定するところと異なってその支給が著しく遅滞するなどの特段の事情のない限り、その塡補の対象となる損害が不法行為の時に塡補されたものとして損益相殺的な調整をすることが相当であるとして、平成22年9月判決に沿った判断をした。
原判決に対し上告受理申立てをしたXらの上告受理申立て理由(排除部分を除く。)は、原審の判断は平成16年判決に違反するというものであったが、最高裁大法廷は、第一小法廷から回付された本件について、判決要旨のとおり判断し、平成16年判決は本判決の判断と抵触する限度において変更すべきであるとして、Xらの上告を棄却した。
5 損益相殺的な調整の対象
(1) まず、被害者が不法行為によって死亡した場合において、その死亡を原因として被害者の相続人が労災保険法に基づく保険給付の支給を受け、又は支給を受けることが確定したときに、これを同人に賠償すべき損害額から控除すべき場合があることは確立した実務の扱いである。
賠償すべき損害額から控除する理論的根拠について、本判決も引用する最大判平成5・3・24民集47巻4号3039頁(以下「平成5年判決」という。)は、不法行為と同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と利益との間に同質性がある限り、公平の見地から、その利益の額を損害額から控除することによって損益相殺的な調整を図る必要がある旨の判示をしている。平成5年判決は、公平の見地からする損害の補塡による「損益相殺的な調整」が控除の理論的根拠となることを示したものと理解される(平成22年9月判決についての綿引万里子ほか『判解』判解民平成22年度(下)(2014)562頁)。
(2) 利益が労災保険法に基づく保険給付である場合について、いかなる場合に損害額から控除すべきかに関し、最二小判昭和62・7・10民集41巻5号1202頁(以下「昭和62年判決」という。)は、「保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合」について、損害の塡補がされるものと判断している。
労災保険法に基づく保険給付については、昭和62年判決のほか、最三小判昭和58・4・19民集37巻3号321頁も労災保険法に基づく障害補償一時金及び休業補償給付は精神上の損害を塡補するためのものではない旨の判示をしているなど、損害の性質等と関連なくあらゆる損害について控除を認めるのではなく、損害の性質等を考慮して判断するのが一貫した判例の立場であるといえるであろう。
したがって、遅延損害金についても、遺族補償年金の支給を受けるなどしたことによる控除が認められるのか否かについては、同性質で相互補完性を有するか否かについての検討を要するものである。
平成16年判決のうち、遺族補償年金及び厚生年金保険法に基づく遺族厚生年金(以下、単に「遺族厚生年金」という。)についても遅延損害金の支払債務にまず充当されるべきと判断した部分については、主として実務家から批判を受けていたものであるが、その批判のうちの大きな根拠は、遅延損害金について、遺族補償年金や遺族厚生年金とは、同性質で相互補完性を有するとはいえないという上記のような観点から述べられたものである。
(3) 遺族補償年金は、一定の範囲の遺族のうち「労働者の死亡の当時その収入によって生計を維持していたもの」(労災保険法16条の2)が受給できるとされていることなどに照らせば、労働者の死亡による遺族の被扶養利益の喪失を塡補することを目的としたものということができる。したがって、その目的等に照らせば、遺族補償年金が塡補の対象とする損害(すなわち、遺族の被扶養利益の喪失による損害)は、被害者の死亡による逸失利益等の消極損害と同性質であるということができる。
また、保険給付である遺族補償年金と逸失利益等の消極損害に係る民事上の損害賠償とは、(本件の場合にはいずれも労働者の死亡後における遺族の生活を保持するためのものとなるなど)相互補完性があるということもできる。
これに対し、遅延損害金は、逸失利益等の消極損害についてのものといえども、飽くまでも債務者の履行遅滞を理由とする損害賠償債権であるから、履行が遅れたことによる損害を塡補するものである遅延損害金の目的は、遺族の被扶養利益の喪失の塡補という遺族補償年金の目的とは明らかに異なるものであって、遺族補償年金による塡補の対象となる損害が、遅延損害金と同性質であるということも、相互補完性があるということもできない。
本判決は、このような点を踏まえて、判決要旨1のとおり、遺族補償年金は、逸失利益等の消極損害の元本との間で損益相殺的な調整を行うべきとの判断をしたものと思われる。
6 遅延損害金の請求の可否
(1) 次に、遅延損害金の請求の可否についてみると、不法行為による損害賠償債務は、不法行為の時に発生し、かつ、何らの催告を要することなく遅滞に陥るというのが、確立した判例理論である(最三小判昭和37・9・4民集16巻9号1834頁参照)。そうであれば、たとえ損害の元本との間で損益相殺的な調整をすべきとしても、不法行為の後に遺族補償年金の支給がされた場合、不法行為の時から当該支給までの間の損害の元本に対する遅延損害金は既に発生しているものとして、これを請求することができるのかが問題となるものである。
(2) そこで、まず、人身損害に係る損害賠償の性質という観点からみると、逸失利益など不法行為がなければ将来得られたはずの利益に係る損害についても、不法行為の時に発生したものとしてその額を算定することになるが、そのような損害に関し、例えば、不法行為がなければ被害者には10年後にどの程度の収入があり、生活費としてどの程度の支出があったのかなどを具体的に主張立証することは困難であることから、その損害額の算定については、本判決も説示するとおり、不確実、不確定な要素に関する蓋然性に基づく将来予測や擬制の下に行わざるを得ないものである。
そうであるところ、そのような将来予測や擬制に関し、具体的な認定を行うことが困難であるからといって、事案ごとに全く異なる将来予測や擬制の下で損害額を算定することは、裁判に対する信頼を損ない、被害者の迅速かつ適正な救済にも反する結果となるものである。そのため、人身損害に係る損害賠償については、事案ごとの法的安定性を維持しつつ公平かつ迅速に損害賠償額を算定し、もって、裁判に対する信頼を確保するとともに被害者の迅速かつ適正な救済を図るための一定の仕組みを確保するということも重要であり、その仕組みの内容については、不確実な将来見通しによる人身損害に係る損害賠償額の全体のバランスをも見据えた合理的かつ妥当なものとすることが求められるように思われる。
そして、確かに、逸失利益は中間利息を控除して不法行為時における現価として算定されているものであり、このような逸失利益について、遺族補償年金が支給されるまでの間の遅延損害金の請求ができないとなると、被害者に不利であるようにも思われるが、他方で、遅延損害金について、例えば弁護士費用のように現実には不法行為時に支出しているものではない損害についても不法行為時から請求することができる(最三小判昭和58・9・6民集37巻7号901頁)など被害者に有利な取扱いがされている損害費目もあるところである。
そうであれば、そもそも、遅延損害金に関し、不法行為の時に損害賠償債務が発生し、何らの催告を要することなく遅滞に陥るものとして、不法行為の時からの遅延損害金の請求ができるとする判例理論自体が、事柄の本質的性質に起因するものではなく、いわば公平等の観点からの判断に基づく擬制によるものである中で、逸失利益等の消極損害と同性質である損害を塡補する遺族補償年金については、その給付の意義等によっては、不法行為の後一定期間が経過した後に遺族補償年金が支給されたとしても、当該支給までの間の遅延損害金の請求はできないと考えることは、決して不合理ないし相当性を欠くものではないと思われる。
そして、遺族補償年金の給付の意義等についてみると、遺族補償年金は、労働者の死亡による遺族の被扶養利益の喪失の塡補を目的とする保険給付であり、遺族の被扶養利益の喪失が現実化する都度ないし現実化するのに対応して、その支給を行うことを制度上予定しているものと解され、制度の趣旨に沿った支給がされる限り、その支給分については当該遺族に被扶養利益の喪失が生じなかったとみることが相当なものといえる。
以上のような人身損害に係る損害賠償に関する損害の算定の在り方と遺族補償年金の給付の意義等に照らせば、本判決が説示するとおり、不法行為により死亡した被害者の相続人が遺族補償年金の支給を受けるなどしたことにより、上記相続人が喪失した被扶養利益が塡補されたこととなる場合には、その限度で、被害者の逸失利益等の消極損害は現実にはないものと評価できるものである。
本判決は、このような点を踏まえて、判決要旨2のとおり、被害者の相続人が遺族補償年金の支給を受けるなどしたときは、制度の予定するところと異なってその支給が著しく遅滞するなどの特段の事情のない限り、その塡補の対象となる損害は不法行為の時に塡補されたものと法的に評価して損益相殺的な調整をすることが相当であるとの判断をしたものと思われる。
7 平成16年判決の判例変更等
(1) 本判決は、その判断と抵触する限度において、平成16年判決を変更すべきとした。これにより、平成16年判決のうち、遺族補償年金について遅延損害金の支払債務にまず充当されるべきとした判断が改められたことは明らかである。
(2) 本判決は、平成16年判決において遺族補償年金とともに言及された遺族厚生年金については、直接判示しているものではない。
しかし、遺族厚生年金も、一定の範囲の遺族のうち「被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時(中略)その者によって生計を維持したもの」(厚生年金保険法59条)が受給できるとされていることなどに照らせば、その目的は遺族補償年金と同種のものということができるのであり、また、遺族補償年金と同様に、定められた額が定められた時期に定期的に支給されるものであること(厚生年金保険法36条3項・60条1項・2項)などにも鑑みれば、遺族補償年金について判示した本判決の趣旨が当てはまり、遺族厚生年金についても、本判決と同様の判断をするのが相当ではないかと思われる。
(3) なお、自賠責保険金については、賠償責任を塡補する損害保険金であるという性質上、平成16年判決が民法491条1項の定める充当順序に従うべきと判示したことは相当であり、判例及び実務ではそれを前提とした取扱いがされている。自賠責保険金と遺族補償年金とでは性質が異なるものであり、その判断と抵触する限度において平成16年判決を変更すべきとした本判決によって、平成16年判決のうち、自賠責保険金についての判断は何ら変更されたものではないことは明らかであろう。
(4) さらに、労災保険法に基づく保険給付のうち、葬祭料については、本件の上告受理申立て理由において論旨として採り上げられておらず、本判決の判断するところではない。
しかし、遺族補償年金と同様、制度の趣旨目的に従い特定の損害について必要額を塡補するために支給される葬祭料について、遺族補償年金と異なる解釈を採るべき理由も乏しいように思われる。
8 終局済みの判決等に与える影響
最後に、本判決の効力に関し、本判決が既に終局している判決の判決効に何らかの影響を与えるものでないことはいうまでもない。また、本判決と異なる解釈を採って裁判外ないし裁判上の和解が既にされていた場合においても、当然に当該和解の効力が錯誤等により影響を受けるものでもないことも明らかであると思われる。
9 結論
本判決は、損益相殺的な調整をするに当たっての遺族補償年金の扱いについて判示し、併せて、上記のとおり平成16年判決を変更したものであり、理論的にも実務的にも重要な意義を有するものと考えられる。