法のかたち-所有と不法行為
第四話 物権と債権の「峻別」は体系たりうるか
法学博士 (東北大学)
平 井 進
1 法作用のレベル(債権)、法作用の結果状態のレベル(物権)
パンデクテン法体系について、物権と債権を対立させる構造について見てみたい。
サヴィニーによると、財産法(物権法・債権法)を人間がその意思によって外界(自然、他者の行為)を支配すること(自由の拡張)として考える。[1]そのことを実現するために「他者に求めること」を法関係としていかに規定するのか。代表として、契約・不法行為・所有について、法作用(他者に義務を請求すること)とその結果のそれぞれのレベルとして見ると、次のようになる。ここでは、人の身体・自由・名誉のようなことがらをその人の「実体」ということにする。
(1) 法作用のレベルにおける規定。
他者との約束の実現 → 債権(契約)
人の「実体」の状態の維持・回復 → 債権(不法行為)[2]
(2) 法作用の結果として可能となる状態のレベルにおける規定。
人の外にある物の利用状態の維持・回復 → 物権
ただし、法作用のレベルでは上記を妨げる人に対する請求
このように、他者に対する作用としての法関係において、物権のみは作用の結果として可能となる状態のレベルとして規定される。しかし、第二話で見たように、その規定から法作用は演繹できないので、それを法作用のレベルにある債権と対比することは、論理的には不可能である。
物権は、目的とすることがらの利用状態の維持・回復を妨げるいかなる第三者に対しても作用しうる(第二話で述べた地位的な概念である)。同様の構造は不法行為ももつが、そこでは法作用(義務者の責任、義務の範囲)を規定するのに対して、物権は法作用を規定しないという形式をとる。
なお、地上権・永小作権などのように、債権でもあり物権でもあるという構成をとる法関係があるのは、地位概念に第三者に対する関係が、所有者との間の関係と併存するからである。賃貸借関係一般に、借り手の第三者に対する関係をいかに構成するかということが物権的な地位であり、本来、所有権を含めた物権とは、そのような対第三者関係の地位の構成(そのあり方)である。[3]
2 「峻別」とは論理が停止(破綻)していること
パンデクテン法体系における物権と債権の対比は、後で見るように、ローマ法に関する中世以来の理解によるものであるが、それを論理空間の相違を無視して(空間が異るが故にことさらに)「峻別」しようとするところに特色がある。
一方、例えば、実数と虚数について空間を異にして構成することについて、数学者は実数と虚数を「峻別」するとはいわず、また、「峻別」せずとも実数と虚通の性質が互いに混ざることなどありえない。
法学における「峻別」という思考様式について、次のように述べている見解がある。「中世の学者は法規相互の矛盾をより高き統一裡に根本的に解決してしまおうとは試みなかつた。彼等は峻別の方法によって各条規にそれぞれの領域を指定し、妥協的に各自を並列させようとしたのである。」[4]
[1] Friedrich Carl von Savigny, System des heutigen Römischen Rechts, Bd.1 (1840) S. 333-340. 367-373.
[2] ただし、サヴィニーは、人の生得的なことがら(上記の「実体」)は実定法による承認を要しない「原権」であるとする(その法体系の対象に含めていない)。Ibid., S. 335.
[3] ちなみに、イギリスでは、今日も形式的には、国王は封建関係における封主として国土の「所有者」であり、他国でいう土地所有権に相当するのはその封臣としての封地(fee)の占有(その絶対的な形式)であって、1925年の財産法(Law of Property Act)第1条にいうAn estate fee simple absolute in possessionである。イギリスの土地法における賃貸借の歴史に関して、次を参照。水本浩『借地借家法の基礎理論』(一粒社, 1966)第一部。ここにおいて、国王の「所有権」も観念的な地位概念であることが分かる。
[4] 栗生武夫「法律解釈学の神学性はいかにして始つたか」『法の変動』(岩波書店, 1937)87頁。Roderich Stintzing, Geschichte der deutschen Rechtswissenschaft, Abt. I, 1880, S. 106を引用する。