◇SH1154◇企業法務への道(11)―拙稿の背景に触れつつ― 丹羽繁夫(2017/05/12)

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企業法務への道(11)

―拙稿の背景に触れつつ―

日本毛織株式会社

取締役 丹 羽 繁 夫

《韓国財閥企業グループとの取引支援》

  1983年5月に中東経済研究所から帰任し、89年4月のニューヨーク赴任まで6年程在籍した国際調査部の本来の役割は、国際金融案件の審査業務であった。私と韓国財閥企業グループとのご縁は、1986年4月に、当時6社存在した韓国のマーチャントバンクとの取引拡大と新規開拓を兼ねた現地ヒアリング調査を実施したことに始まる。その後、長銀の香港現地法人LTCB Asiaが現代建設グループ及び大宇グループとの取引拡大を志向していたので、取引拡大を支援する目的で、これら財閥グループを構成する中核企業群の財務状況や操業状況の調査を工場実査を含めて実施し、彼らが国際金融市場で資金調達を行う際に投資家に交付される幾つかの発行目論見書(Prospectus)の作成作業にも関与させて戴いた。

 87年に入ると韓国の民主化を求める運動は一層の激しさを増していた。87年5月にソウルのヒルトン・ホテルの一室で3日間の予定で進めていた、大宇株式会社(Daewoo Corporation)の初めてのユーロ債(Floating Rate Notes, FRN)発行目論見書の作成作業がデモ隊のホテル内への乱入と警察による催涙ガスの発射により一時中断を余儀なくされたことは、今も印象深く記憶している。1億7500万ドル、期間8年の同社のFRNは87年7月に無事発行に漕ぎ着け、引受・分売のシンジケーションも成功裏に終了することができた。

 

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