法のかたち-所有と不法行為
第七話 イギリスの土地利用関係と地代
法学博士 (東北大学)
平 井 進
1 イギリス中世以来の土地利用関係
次に、土地利用に関して最も先進的であり、そのために革命が起こることがなかったイギリスについて見て行きたい。
第六話で述べた三圃制においては、その生産力の向上による余剰生産物が市場化することにより、荘園制は次第に崩壊し、独立自営層が現れるようになる。
三圃制の農法では、冬季は飼料が不足して家畜を飼育できなかったが(冬の前に家畜を殺して保存食とする)、独立自営層の改良により、17世紀頃のフランドルでは土地の輪栽の農法が始まり、イギリスでは18世紀頃から、大麦-クローバー(地力回復用)-小麦-カブ(家畜飼料)の順に4年周期で行うノーフォーク農法が登場する。この輪栽により、冬季も家畜を飼育し、かつ休耕地をなくすことが可能となる。これは農業革命といわれており、これがイギリス経済をヨーロッパで最も先進的なものとする契機となる。
イギリスにおいては、14世紀頃から従来の封建的な荘園の制度が崩壊し、上記の独立自営農(ヨーマン層)のうち資力をもつ者が広域の長期借地権者(リースホールダー)となる。この大規模な借地経営は、経済的に地主に対抗する力をもつようになり(この借地層にジェントリー層や都市の市民層が加わる)、また、放牧地で得られる羊毛による織物の産業資本を形成することになる。この大規模な農業経営層の自由な参画と上記の農業革命とは、互いに関係していたと見られる。
従来の金融資本も土地に投資するようになるが、その大きな理由は、当時、教会が高利(usury)を禁止していたことに対して、地代関係であればそれを免れることができたことにあり、また、それは、都市の商人層の力によって王権が封建領主の力を弱めて絶対主義的になることと対応していたとされる。[1]
上記において、資本が土地の所有ではなく、賃借を対象にしていたのは何故か。封建制における物的財産・権利については、土地所有階層の保守性を反映して、土地の取得・所有に関する手続が複雑であったが、土地の賃借権に関しては法的に動産(chattel)として扱われており、また(不動産の場合と異り)そこに上位の領主特権が干渉することがなかった。[2]
さて、上記の14世紀頃、農地利用に関する法的保護は、所有地への侵入(trespass)という不法行為に対する保護であった。これはリースホールドの占有の場合にも適用され、さらにこの保護は賃貸人による侵害に対しても可能となる。
この不法行為に対する保護は、コモン・ローにおいては損害賠償を認めるだけであったが、その後、エクィティ裁判所により差止命令が出ることを反映して、1499年にコモン・ロー裁判所においても占有回復が認められるようになる。(この法理は、賃借地のみならず、所有地についても複雑な物的訴訟に代わって用いられていく。)[3]
このようにして、イギリス法における土地の賃借権は、上記のように不法行為に対して差止を認めることにより、第三者に対する対抗力と妨害排除の権限を得ることになる。これは、大陸法が土地貸借を債権として構成しながら、賃借権を物権化することに理論的な問題を抱えてきたことと対比すると、法関係として無理のない構成であったといえる。
[1] 参照、水本浩『借地借家法の基礎理論』(一粒社, 1966)20, 32-33頁。Frederick Pollock and Frederic William Maitland, The History of English Law before the Time of Edward I, Vol. 2, 1895, p. 112.
[2] 参照、水本・前掲, 29-31頁。Pollock and Maitland, supra, pp. 114-117.
[3] 参照、水本・前掲, 63-66, 82, 87, 91頁。William Blackstone, Commentaries on the Law of England, Book 3, 6 ed., 1770, p. 199-200. さらに、1833年に物的訴訟は廃止され、土地の侵害に関しては不法行為訴訟のみとなり(同100頁)、また、賃借権の譲渡も認められるようになる(同118頁)。