法のかたち-所有と不法行為
第十二話 有限性・不可逆性・経済外部性
法学博士 (東北大学)
平 井 進
1 不可逆的現象と経済外部性-不法行為を中心とする法体系
以前、我々の社会をモデル化するにあたり、採られていた世界像は次のようなことであった。
第一 世界が無限であること
また、市場経済において、取引が成立する前提としていたことは次のようなことであった。
第二 現象が可逆的であること
第三 経済外部性がないこと
上記第一の無限性に関して、環境や資源の問題は、地球が有限であることによって問題となっている。カントはつとに、地球は球体であってその表面が無限でないことから、その共同の占有(利用)のあり方について論じていた。[1]近年では、1972年のローマ・クラブによる報告書『成長の限界』[2]が知られている。技術が進歩してさらに有限資源の残りが見出されるとしても、事情は変わらない。
上記第二の可逆性に関して、所有権により対象物を取戻すことができる場合はそれが可逆的であることによるが、不法行為に関する現象のほとんどは不可逆的である(それ故に原状回復が難しく、侵害に対して差止が求められることになる)。
上記第三の経済外部性に関しても、外部性がない場合は(返還可能な)所有権的なモデルで対応可能であるが、物理的に外部性が存在する場合、ほとんどは不法行為の問題となる。
私法において所有権を中心とする体系は、上記第二と第三である世界をモデルとしていたといってよい。しかし、現実には、上記第二と第三について、適切な経済取引と価値の維持が成立する条件が整っている状況はきわめて限定的である。現実の主たる状況は不可逆的現象と経済外部性の存在にあるのであって、このような現象の中で法を体系化するときには、それらを扱う不法行為がその中心に位置する。(不法行為が一般解であり、所有権は特殊解である。)
ちなみに、カントはその哲学において物理学のあり方を常にモデルとしていたが、彼の時代にあったのはニュートン力学、すなわち時間に関して対称的であって可逆的な法則であった。しかし、そのために必要な物理理論がなかったために、カントはその批判哲学において不可逆的な現象を理論化することはなかった。不可逆過程に関する物理理論の登場は、約1世紀後のボルツマンの熱力学(1872年)まで待つことになるが、それ以後、不可逆過程が自然理解の中心となる。
[1] Vgl. Immanuel Kant, Die Metaphysik der Sitten, 1797, S. 262, 267, 311.
[2] Cf. Dennis L. Meadows, et al, The Limits to Growth, Universe Books, 1972.