金融機関のサイバーセキュリティに関する日米ガイドラインの比較分析
第3回 金融機関のデジタル化
株式会社FOLIO フィンテックコンプライアンスアドバイザー
木 嶋 謙 吾
金融機関の高コストのテクノロジーインフラ
大量の業務を瞬時に実行できるテクノロジーインフラを構築、維持する必要があるために「金融は装置産業」と言われることがある。米国の大手金融機関ではテクノロジー要員数がグローバルで1万人を超えることは珍しいことではない。この巨大インフラを維持するコストは高価であり、毎年巨額の投資を行ってきた。2008年の世界金融危機前から、コストを削減するために、米国金融機関はベンダーまたは賃金の安い海外へのアウトソーシングを積極的に行ってきた。更なるコスト削減と効率性を高めるためにバックエンドシステムのデジタル化を急速に進めて、伝統的な装置産業からの脱却を目指している。日本の大手金融機関でも大量の業務を簡素化するテクノロジーインフラの構築は進んだ。我が国の大手金融機関ではテクノロジー部門が分社化されていることが多く、金融機関に所属するテクノロジー要員数は米国と比較すると少ないが、関連会社のテクノロジー要員を含めると数千人規模になると聞いている。メガバンクグループを中心とした大手金融機関はデジタル化を積極的に推進しているが、中小金融機関ではデジタル化への転換は思うように進んでいない。
日米金融機関のテクノロジーインフラの相違点
米国の大手金融機関のテクノロジーインフラの特徴を一言で説明するなら、「グローバル化」である。米国の大手金融機関では、株式、債券、為替等のフロントエンドシステムは自社開発したグローバルプラットフォームで取引ができる。決済管理、顧客管理、法定帳簿作成等のバックエンドシステムも自社開発したグローバルプラットフォームを利用する。一部、現地の規制・言語に基づいたカスタムメイドが必要になるが、基本的には世界共通仕様となっている。このグローバル仕様のインフラを開発、管理しているのは英語を共通言語としたマルチナショナルのテクノロジー要員である。
我が国の大手金融機関のテクノロジーインフラの特徴は「ローカル」である。国内を重視した経営戦略を採用しているのでグローバルでの共通仕様という概念は薄く、基本はローカル仕様であり、テクノロジー投資の多くは国内のインフラに集中している。テクノロジー要員は当然日本人中心となる。
米国金融機関のデジタル化への進化
2008年の世界金融危機前から米国大手金融機関ではフロントエンドシステムを中心としたデジタル化が始まり、近年ではバックエンドシステムのデジタル化が始まっている。もちろんデジタル化は本国のみならず各国グループ会社でも推進される。フロントエンドシステムのデジタル化のパイオニアとして、金融工学と高速コンピュータを駆使して開発したUltra High frequency trade(超高速度・高頻度取引)が挙げられる。大量の情報を瞬時に分析して人間の判断のスピードを上回るスピードの細分化した自動発注が可能となるアルゴリズムにより、株価上昇局面でも下落局面でも利益が生まれるソリューションを投資家に提供している。我が国でも2010年から導入された東証arrowheadやその後始まったコロケーションサービスによって、取引所の流動性を高めることにより海外投資家の資金を国内に呼び込む目的でインフラが整備された。現在市場取引に占める超高速・高頻度取引の割合(約定ベース)は、米国では5割程度、欧州でも4割程度を占めており、東証でも既に4割を超えるイノベーションとなった。超高速・高頻度取引が導入された時、デジタル化という用語は一般化されていなかったが、私はデジタル化のパイオニアであったと考える。
インターネット取引の導入後、この5年間のスマートフォンの急速な普及によって、個人顧客のニーズが、従来の安全性を重視した対面式金融サービスから、利便性をより重視したモバイル金融サービスへと変化し、米国金融機関のデジタル化を加速した。米国の銀行では国内送金、外国送金、振替、口座照会、為替取引、ローン、有価証券投資等すべての取引がスマートフォンで24時間行うことができる。銀行に行くのは現金をATMから引き出しに行く時だけである。スマートフォンのログイン画面から取引実行までのプロセスは簡素化されていて、顧客がパスワードを忘れた場合でも、パスワードの再発行手続きは数分で完了できるように簡素化されている。このインフラにフィンテックとの業務提携によりロボアドバイザー等のイノベーションが付加することになる。更にはスマートフォンを利用してシンプルで迅速なソリューションを顧客に提供して伝統的な銀行のサービスと競合するフィンテックスタートアップが登場した。
我が国金融機関のデジタル化への課題
我が国でも金融機関のデジタル化の必要性は叫ばれているが、米国と比較すると我が国のメガバンク・グループを除いた金融機関のデジタル化は相当出遅れているという印象がある。デジタル化が遅れた理由はいくつか挙げられる。バブル期以降のいわゆる失われた20年間の金融機関の体力低下によりテクノロジー投資が抑制されたこと、経験のあるテクノロジー要員の絶対数の不足、更には度重なる経営統合の結果、テクノロジー部門のリソースが経営統合プロジェクトに多く費やされたことである。この遅れを取り戻すためには、金融機関はデジタル化に経験のあるテクノロジー要員を緊急確保する必要があるが、国内に十分なリソースプールがない以上、海外のリソースに頼らざるをえない。しかしそこには「日本語の壁」が存在している。金融セクターにおける世界共通言語が英語であり、経験のある外国人テクノロジー要員は、通常、英語は話せるが日本語が話せない。日本の金融機関が外国人テクノロジー要員を採用する際に重視するのが日本語のコミュニケーション能力であり続ける限り、外国人テクノロジー要員を補強することは容易なことではない。日本語の壁を乗り越えるには、少なくともテクノロジー部門内の公用語を英語にする等の大胆な試みが必要かもしれない。