◇SH1189◇企業法務への道(15)―拙稿の背景に触れつつ― 丹羽繁夫(2017/05/26)

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企業法務への道(15)

―拙稿の背景に触れつつ―

日本毛織株式会社

取締役 丹 羽 繁 夫

《コナミでの海外知的財産権訴訟の遂行 2》

 コナミグループにおける知的財産問題への取組みの、第二の契機となったのは、「ダンスダンスレボリューション」または「DDR」の名前で知られていた、ダンス・シミュレーションゲーム機の開発とその後の係争という経験だった。

 「ビートマニア」を市場投入した翌年の、1998年の春には、「ビートマニア」のコンセプトを継承する新たなゲーム機の創作が課題となっていた。「音楽を聞くと体を動かしたくなる」という人間の本能的な欲求に着目し、「ビートマニア」の基本的なコンセプトである「音楽の再現」と「体を動かす」という要素を結びつけて、「音楽」+「体を動かす」=「ダンス」という発想に結びつけ、ダンス・シミュレーションゲームに発展させた。98年5月頃、業務用ゲーム機を制作する制作部門で、足で操作、入力するゲーム機を開発していたので、これからヒントを得て、ダンスをモチーフとして、足で操作、入力するゲーム機を開発する方針が決定された。このゲーム機の開発に際しては、「ゲームセンターのユーザーの目に止まるような外観を備え、一度プレイをしたユーザーが引続き遊びたくなるような、ゲームの奥深さを備えるとともに、ユーザーに気持ちよく踊ってもらえるか否か」が至上命題であった。

 この命題を達成するためには、次のような課題を解決する必要があった:

  1. ⑴ ユーザーに、足で、どのように入力してもらうのか;
  2. ⑵ ユーザーがモニター画面に表示される指示方向のパネルを踏むタイミングを指示するマークをどのように表示するのか;
  3. ⑶ ユーザーが足で入力する入力手段となるフットパネルをどのように開発するのか。「DDR」の開発の中で、この課題が、技術的に最も困難であった。

 このような課題を解決するために、次のような方法が考案された:

  1. ⑴ ユーザーに上手に踊ってもらうために、指示される画面から目を離さずに足を反射的に動かしてもらう必要があるが、この要求を満たす指示方法として、フットパネルに矢印の指示マークを付けることが採用された。その際に、ユーザーのプレイのしやすさを考慮し、矢印の方向を十字とし、指示方向も4つに限定した;
  2. ⑵ ユーザーに格好よくダンスをしてもらうために、指示マークを下から上に移動させ、タイミングを指示する静止マークをユーザーの目線の高さにあるモニター画面最上段に表示させるようにした;
  3. ⑶ ユーザーが足で入力するフットパネルは、耐久性が要求されるとともに、入力装置でもあるので、足でどのパネルを踏んでもセンサーの反応に差が生じないような工夫が必要となった。

 この他、演出装置についても、ユーザーにダンス・ステージでダンスをしているような感覚を持ってもらうようにするために、フットパネルの高さを15cm とし、ユーザーがステージに上がっているように思わせるとともに、ダンスをしているユーザーにスポットライトを当てるために、ゲーム機筐体上部に照明装置を取り付けた。また、ユーザーのプレイ中の安全を考慮し、フットパネル後方に転落防止用の逆U字型バーも取り付けた。

 「ダンスダンスレボリューション」のネーミングについても、このゲーム機のコンセプトが画期的であり、これまでのゲーム機の流れを変革するものであって欲しいという期待を込めて、「レボリューション」という言葉を採用し、認識されやすい短縮形として「DDR」と命名した。

 このような過程を経て開発された「DDR」から創作された発明は、「ダンスゲーム装置」として、日本では、1998年7月に出願され、翌99年11月に登録を受けた。「DDR」は、日本では、98年10月より販売を開始し、韓国でも翌99年5月頃より販売を開始した。その後、このゲーム機が日本、韓国、次いで米国で多くのユーザーから好評を博し、韓国では「DDR」ブームという一大旋風を巻き起こした。米国でも、ダンスをしながらダイエット効果も得られるということで、ウェストバージニア州の公立学校では体育のプログラムにも採用されるなど、根強い人気に支えられていた。

 「DDR」と「ビートマニア」は元々業務用に開発されたゲーム機であるが、ゲームセンターのみならず広く家庭でも楽しんでいただくために、その後、業務用ゲーム機から家庭用のゲームソフトに移植し、業務用のフットパネルについても、足で操作することのできるマットを操作コントローラとして採用した。同様に、「ビートマニア」についても、キーボードを型取ったコントローラを開発し、家庭用のゲームソフトとしても楽しんでいただけるように工夫した。

 「DDR」も、「ビートマニア」と同様に、韓国および米国で、ユーザーの熱い支持を受けたことから、韓国では99年9月ころから、「DDR」模したゲーム機が出回るようになったので、コナミはまず、2000年3月に、韓国で、「DDR」意匠権に基づき、このゲーム機を製造、販売した韓国のメーカーに対して、製造・販売の差止めと損害賠償を求める訴訟を提起した。これに対して、同社より、当社が米国で販売した「DDR」が同社のフィットネス関連の米国特許を侵害しているとして、販売の差止めと損害賠償を求める訴訟が米国で提起された。その後、同社の取得した米国特許に無効事由があることが、裁判の中で明らかになるに及び、2002年8月に、両国の訴訟を和解により解決し、同社に対して、米国および韓国の「DDR」特許を許諾した。

 米国では、その後も、他の米国ディベロッパー、販売業者3社が家庭用のダンス・シミュレーションゲームを制作、販売していたので、当社より2005年5月に、制作・販売の差止めと損害賠償を求める訴えを米国で提起し、2006年9月から10月にかけてこれら3社とも交渉により解決した。この訴訟を契機にして、「DDR」とともに根強い人気のある、家庭用の音楽シミュレーションゲームの分野で、「ビートマニア」特許を中核とした音楽関連ゲーム特許を米国の大手ゲームデベロッパーに許諾することにもつながった。

 ゲーム業界においては、ゲームのコンセプトやルールそのものを「発明」にすることはできないが、ゲーム機器のディスプレイ画面の表示とコントローラの配置を組み合わせることにより、新たなゲームを創作する工夫が生まれる。コンテンツを活かす表示手段、入力手段、評価手段等の工夫をすることが、ゲーム業界における「発明」につながるものと考えていた。即ち、新たなコンテンツが創出されるとともに、そのコンテンツを活用する技術開発を通して、新たな「発明」が創造されるのである。

 2000年1月に長銀を退職し、翌2月にコナミに入社した後、2000年3月の「DDR」意匠権に基づく韓国ゲーム機メーカーに対する販売差止めと損害賠償を求める訴訟を皮切りに、日本のゲーム機メーカー2社との和解交渉、「DDR」特許権に基づく韓国及び米国での特許侵害差止め及び損害賠償請求訴訟、「ビートマニア」特許権に基づく韓国での特許侵害差止めと損害賠償請求訴訟並びに同特許無効審判請求手続と同特許の最終的な有効性の確立に至る2007年7月まで、一貫してこれらの係争に関与することができたのは、本当に仕事冥利に尽きる幸運であった、と思っている(この稿は、私が執筆した、2008年4月18日の「発明の日」に行われたコナミ株式会社上月景正代表取締役社長による基調講演の草稿を加筆修正したものであり、読者の理解を促すために、2つゲームの制作過程及び特許権の取得過程についても、やや詳細に説明した)。

《コナミでの、その他の知的財産権訴訟への関与》

 コナミでは、前述の知的財産権訴訟に加えて、サッカー・ゲームソフト内での「フランス・ナショナル・チーム」という言葉の使用をめぐるフランス・フットボール連盟との5年半に及ぶ係争(最終的に、同連盟からライセンスを取得することにより、和解で解決した)[1]や、コナミのドル箱商品となったカードゲーム「遊戯王デュエル・モンスター」での「モンスター」という言葉の使用をめぐる米国Monster Inc.社とのフランス及びイタリアでの係争(いずれの訴訟においても、最終的に、同社の主張が斥けられた)、並びに、サッカー・ゲームソフトでは当時世界ナンバー・ワンの売上げを誇っていたサッカー・ゲームソフト「Pro Evolution Soccer」をめぐるドイツ・リーグとの係争[2]等に、多くのエネルギーを投入した。しかしながら、これらの係争の過程で、前述の韓国及び米国の弁護士の方々に加えて、フランス、イタリア及びドイツ各国の弁護士の方々からも知遇を得たことは、私には大きな財産となった。



[1] 余談であるが、第一審のパリ地裁で口頭弁論が開かれた法廷は、天井に法廷らしからぬきらびやかな装飾が施されており、ブルボン朝最後の王妃マリー・アントワネットが(1793年であったか)死刑を宣告された法廷であった。

[2] ドイツのプロサッカー界では、選手と選手が所属するクラブチームとの間で締結されている雇用契約に基づき、選手の氏名及び肖像を使用する権利が選手からクラブチームに独占的に使用許諾されているが、選手会は選手の氏名及び肖像を集合的に使用する権利を主張する一方、クラブチームを統括してリーグとしての試合を実施するドイツ・リーグはリーグそのものについての「グループマーケティング権」という新たなコンセプトの権利を主張し、当時、三つ巴の主張が交錯していた。

 

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