2017年12月21日最高裁決定における
ハーグ条約及び同実施法の解釈について(2)
神川松井法律事務所
弁護士・ニューヨーク州弁護士 神 川 朋 子
第3 子の異議と裁判所の裁量
子が返還を拒んでいることは、条約(13条)でも実施法(28条)でも返還拒絶事由とされている。また、日本が締約している国連児童の権利条約には、子の最善の利益が考慮される権利(3条)、子が意見を表明する権利、及び、表明した意見を考慮される権利(12条)が規定されており、ハーグ条約のみならず、国連児童の権利条約によっても、裁判所は、子の意見を考慮しなければならない義務を負っている。
実施法は、子の異議を返還拒否事由としつつ、子が返還を拒絶する意見を述べていても、裁判所は一切の事情を考慮して子を返還することが子の利益に資すると認めるときは、子の返還を命ずることができると規定しており(28条1項)、子の最善の利益の考慮と、子の意見表明の権利をいずれも尊重すると同時に、子の拒絶にかかわらず、返還を命ずることができるのは、返還が子の利益に資する場合でなければならないことを明示した規定となっている。
本決定の変更前決定である大阪高裁決定(以下「変更前決定」という。)は、実施法28条1項但書きの裁量権を行使し、年長の子に同法28条1条5号の返還拒否事由(子の異議)があることを認めながら、きょうだい分離を避けるために返還することが「子の利益に資する」として、適切な監護養育の経済基盤がない状況への子の返還を命じ、「子の利益に資する」かどうかの判断はほとんど無限定に裁判所の裁量に委ねられているかのように振る舞った。なお、変更前決定の論理によれば、異議が認められる成熟度に達していないきょうだいがいれば、異議が認められる成熟度に達している子の異議は常にきょうだい分離を避けるために無視されることになるという奇妙な結果になる。これに対し本決定は、監護養育態勢が悪化している状況に子を返還することは子の利益に資するものとは認められないと判断した。このことから、子の利益は子の置かれた具体的な状況を考慮して判断されること、及び、きょうだいの分離を避けるとの理由だけで子の異議を無視して返還を命じることがないことが明らかにされた。
ハーグ条約の締約国である英国の裁判例には、年長の子が返還に異議を述べているが、母が年少の子を連れて帰ることに同意しており、子の異議を認めると年長の子のみ英国に残すことになるときに、裁判所が子の利益の保護のために年長の子の返還を命じたものがある(HC/E/UKe 813)。一問一答[1]133頁では、子の異議にかかわらず返還を命じることができる例として、きょうだい分離を避ける、との記載があるが、上記裁判例を単純化しすぎたものと思われる。
条約16条、及び、実施法152条が、監護の権利について本案の決定をしてはいけないとしていることから、子の利益に資するかどうかを判断するにあたって、子が置かれている環境や返還後の子の環境を考慮することは考慮すべきではないとの議論もあるが、返還が子の利益に資するかどうかの判断と、誰が監護者として適切であるかの判断は別の問題である。子が返還されないことが確定すれば、別途日本の裁判所で監護の本案に関する裁判をすることになる(実施法152条)。
実質的に考えても子の利益に資するかどうかの判断において、返還先の具体的な監護養育態勢を考慮できないのであれば、子の利益について適切な判断をすることは困難である。
スイスでは、子がスイスから監護養育態勢のないオーストラリアに返還され、子が複数の里親を転々とし、1年半後にオーストラリアの裁判所が子をスイスの母の元に戻した事案をきっかけに、返還先の監護環境の整わない場合にまで子を返還することが適切なのかが議論され、2007年、ハーグ条約の解釈は子の最善の利益を考慮要素とすることを明示する立法がなされた[2]。また、欧州人権裁判所では2010年以降、子の利益の保護を目的として、本案の内容に入った調査をすべきとの判断がなされている[3]。
2017年12月になされた本決定も、これらの近年のハーグ条約の解釈の流れの中に位置付けられるものと思われる。
[1] 金子修編『一問一答 国際的な子の連れ去りへの制度的対応――ハーグ条約及び関連法規の解説』(商事法務、2015)
[2] 早川眞一郎「ハーグ子の奪取条約の現状と展望」国際問題607号(2011)23頁
[3] 北田真里「ハーグ子の奪取条約『重大な危険』に基づく返還の例外と子の最善の利益――ノイリンガー論争の行方」家族<社会と法>No.31 (2015)116頁以下