◇SH1732◇2017年12月21日最高裁決定におけるハーグ条約及び同実施法の解釈について(5・完) 神川朋子(2018/03/29)

未分類

2017年12月21日最高裁決定における
ハーグ条約及び同実施法の解釈について(5・完)

神川松井法律事務所

弁護士・ニューヨーク州弁護士 神 川 朋 子

 

第5 小池判事の補足意見

3 6週間審理モデル

 ハーグ条約11条は、司法当局が手続を開始した日から6週間以内に決定を行うことができない場合には、申請者は遅延の理由を明らかにする権利を有するとし、実施法151条も同様の規定をおいている。これを受けて裁判所は「6週間審理モデル[1]」を策定している。通常の事件の裁判や調停が概ね1か月に1度程度の頻度で期日が開かれていることと比べると、この審理モデルが家庭裁判所にとって大きな負担であることは容易に想像がつく。ハーグ条約には、常居所、監護権、同意、子の異議、子の成熟度、重大な危険等の多数の論点があり、条約解釈をめぐって現在も各締約国内、締約国間で議論が続いている。解釈においても事実認定においても、通常の事件と比べて容易であるとは到底言えない類型の事件である。そして、その判断の結果は、子の人生にとって極めて大きな影響を及ぼすものである。小池補足意見が求める、条約および実施法の趣旨、構造を理解し、子の利益の保護という合目的的な裁量による後見的な作用という高度な判断を適切かつ迅速にすることは、ハーグ条約事件審理の理想ではあるが、6週間審理モデルと両立しうるのだろうか。

 6週間審理モデルの運用を担う東京家裁の渡辺健一裁判官は2017年10月18日に実施された日弁連研修において、条約及び実施法について、子の監護に関する判断を常居所地国において行うために、子を常居所地国に返還させるものにすぎない、との見解を示し、「保全処分的な要素があり、迅速な判断が求められる」と説明をした[2]。同裁判官のハーグ条約のイメージは移送決定や証拠保全のような、結論に影響しない、暫定的な措置をとるだけの、軽い判断を迅速にするというもののようである。迅速という点では、小池補足意見と共通するが、小池補足意見が「合目的的な裁量により後見的な作用を行うという非訟事件の性質を踏まえ、条約の趣旨、実施法の規定の趣旨と構造を十分に理解し、事案に即した法の適用や事実の調査の在り方等について工夫を図るなどして」、「適切な判断」を「迅速に」するよう求めていることとはハーグ条約事件における裁判所の役割の重みの理解が異なっているように思われる。

 家裁がハーグ条約事件を軽い事件であり、迅速性を重視すべきと考えるためか、実施法146条には、調停に付した場合には、調停が終了するまで、返還申し立て事件の手続きを中止することができると定められているが、実際には家裁は調停中も返還手続きを中止しておらず、6週間審理モデルの範囲内でまとまらなければ、調停は打ち切られる。また、複雑で判断が困難な論点が主張された場合、それらの論点についてほとんど分析、検討をせずに決定がなされる傾向があるようである。他の締約国の裁判例が公開され、分析され、議論の対象とされているのに対し、日本ではハーグ条約事件の下級審裁判例が一切公表されていないため、裁判所がした解釈、運用について議論され、是正される機会がない。ハーグ条約事件の執行力が弱いことが指摘されているが、執行の強化は返還決定の正しさを前提にして成り立つ議論である。執行の強化を言うのであれば、その前提としてハーグ条約事件のすべての決定の公開を求めるべきである。

 ハーグ条約では常居所といった基本的な概念についても締約国の中で解釈が分かれ、今日でも新しい解釈、判例が生み出され続けている[3]。ハーグ条約は解釈、運用が難しいうえ、その結果は対象となった子どもに重大な影響を及ぼすものである。このような困難な実務を担う裁判官に対し、小池補足意見は「子の利益」という解釈指針を提示した。迅速な裁判は子の利益である。しかし、「迅速な裁判」が自己目的化し、6週間審理モデルが子の利益よりも優先されるような運用は誤りである。小池補足意見が、ハーグ条約は子どもの利益のための条約であるとのゆるぎない視点を示したことにより、ハーグ事件を保全のような事件として扱う家裁の実務を向上させることを期待する。

以 上



[1] 6週間審理モデルとは、家庭裁判所が申立てを受理したときから6週間以内に決定を出すための期日モデルである。家裁は6週間で、争点の把握、外国法も含めた法律の調査と検討、証拠の検討、子の調査、調査報告書の作成、当事者の審尋、理由を記載した決定書の作成をする必要がある。

[2] 2016年9月14日に実施された日弁連研修で東京家裁の棚橋哲夫裁判官は、ハーグ条約を、保全のようなもの、断行でもなく、証拠保全に近い、という認識を示したうえ、若い裁判官が単独でしてもよいのではないか、と述べた。このことから、ハーグ条約事件は保全のようなものであるというのが渡辺裁判官個人の見解ではなく、東京家裁のハーグ条約事件を扱う裁判官の共通認識であると思われる。

[3] 欧州司法裁判所は常居所について2009年(Case C-523/07)、2010年(Case C-497/10 PPU)、2017年(Case C-111/17 PPU)に先決裁定を出している。先決裁定は構成国を拘束するため、欧州の裁判所は、今後これらの裁定に示された考え方に従って子の常居所の判断をするものと思われる。

 

タイトルとURLをコピーしました