コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(52)
―掛け声だけのコンプライアンスを克服する③―
経営倫理実践研究センターフェロー
岩 倉 秀 雄
前回は、経営者の掛け声だけのコンプライアンスにより、組織成員に「やらされ感」が発生しているケースを想定し、その克服方法として、組織論のパワーの概念を踏まえ、ステークホルダーのうち1. 大株主等役員選出に影響力を持つ者、2. 取締役と監査役の役割について述べた。
今回は、前回に引き続いて、3. 金融機関と4. 労働組合のパワーと役割について考察する。
【掛け声だけのコンプライアンスを克服する③】
3. 金融機関
金融機関は、大株主として役員を経営側に送り込むケースが多いが、その場合、派遣された役員がガバナンスを発揮して経営トップにコンプライアンス経営を促す必要があるのは、既述したとおりである。
ここでは、その他に、企業の資金繰りをコントロールする立場からの発言の重要性を考察する。
金融機関は、企業に経営検討会等を通して、貸し付けた資金が短期的に利益をあげたかどうかを話題にするだけではなく、経営全体の中長期的発展の視点から、経営トップに対しても幹部従業員に対してもコンプライアンス経営を求めることができる。
経営トップに対しては金融機関側のしかるべき立場の人が話をし、従業員レベルには対応する担当者から話すことによって、組織の複数の階層で対境担当者間の理解が深まり、金融機関のコンプライアンス経営に対する意向が伝わりやすい。
その頻度は、何度も行うべきである。それにより金融機関の姿勢が強く経営者や金融機関の窓口部門に認識されるとともに、金融機関にとっては、経営者や担当者の反応から本音が読み取れることになる。
金融機関のコンプライアンスやCSRへのチェックは、不祥事が発生し金融機関から経営者が送り込まれるような組織状況の後では遅い。当該組織の経営者層や担当部門にとって耳の痛い話であっても、他社事例を情報として提供する等により、貸付先の関心を引き出すとともに投資リスク以外の組織リスクを把握しておかなければならない。
ただし、前提として金融機関自身がコンプライアンス経営の重要性を理解し実践しており、貸付先にも求めるという確かな姿勢が必要である。(自らノルマのためにコンプライアンス違反をしているのは論外である)
また、貸付先組織の経理部門や経営企画部門に人材を派遣している場合には、立場を活用したコンプライアンス部門への支援が必要である。なぜなら、コンプライアンスを軽視している経営者に率いられている組織では、コンプライアンス部門の権限・資金・人材面の要求は、トップから理解されずイエスマンの取り巻きによって制限され、コンプライアンスが形骸化している可能性があるからである。
金融機関から派遣されている従業員が派遣された組織でコンプライアンス経営の重要性を唱え、本体の金融機関と担当部門とが連携してコンプライアンス部門を支援することによって、コンプライアンス部門は社内の軋轢に屈せず力を発揮しやすくなるとともに、経営トップもコンプライアンスを軽視できなくなるのである。
4. 労働組合
労働組合は、従業員を代表する組織として経営トップと対等に交渉する権限を公式に持つ組織である。経営トップに経済的な要求を行う場面等を除いては、組織の存続について経営側と利害が一致しているので、コンプライアンス経営を要求する権利があるばかりではなく、むしろ要求するべきである。
経営トップに見識があれば、このことはすぐに理解され、ともにコンプライアンス経営を進めることになるが、本考察ではコンプライアンス経営に理解のない経営トップのケースを想定しているので、そうはならない。
その場合には、労働組合は労使協議会等のあらゆる機会をとらえてコンプライアンス経営の重要性を訴えるとともに、コンプライアンス経営に対する組織の姿勢や施策に関する質問を頻繁に行い、経営トップにコンプライアンス経営の重要性を気付かせる必要がある。
そのためには、労働組合自身がコンプライアンスについて良く研究してその重要性を自覚し強い信念を持って交渉しなければ、経営トップを動かすことはできない。
「そもそもコンプライアンス経営は、誰かのためにするのではなく自分と組織を守るためにするのであり、自分の働く職場を維持し守るために絶対に必要である」という自覚と信念が必要である。そのために、経営として形式的な取り組みではなく実効性のある取り組みを行っているのか、について追及する必要がある。[1]
労働組合の真剣な取り組みが、経営トップをコンプライアンス経営の重要性を認識させる方向に動かす可能性は十分にあると考える。
(この項は続く)
[1] 筆者は、労働組合の委員長をしていた時に、激しい闘争によりコンプライアンス上のリスクがあると考える経営側の案を撤回させたが、その後、筆者の何代か後の労働組合委員長が経営側の同じ案を受け入れ、それが組織不祥事の引き金になったことを経験している。