市長が市の管理する都市公園内に孔子等を祀った施設を所有する一般社団法人に対して同施設の敷地の使用料の全額を免除した行為が憲法20条3項に違反するとされた事例
市長が市の管理する都市公園内の国公有地上に孔子等を祀った施設を所有する一般社団法人に対して上記施設の敷地の使用料の全額を免除した行為は、次の ⑴~⑸ など判示の事情の下では、上記施設の観光資源等としての意義や歴史的価値を考慮しても、一般人の目から見て、市が上記法人の上記施設における活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ないものであって、憲法20条3項に違反する。
- ⑴ 上記施設は、上記都市公園の他の部分から仕切られた区域内に一体として設置され、上記施設の本殿と位置付けられている建物は、その内部の正面には孔子の像及び神位(神霊を据える所)が配置され、家族繁栄、学業成就、試験合格等を祈願する多くの人々による参拝を受けているほか、上記建物の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が上記施設で販売されていたこともあった。
- ⑵ 上記施設で行われる儀式は、孔子の霊の存在を前提として、これを崇め奉るという宗教的意義を有するものであり、上記施設の建物等は、上記儀式を実施するという目的に従って配置されたものである。
- ⑶ 市が策定した上記都市公園周辺の土地利用計画案においては、同計画案の策定業務に係る委員会等で孔子等を祀る廟の宗教性を問題視する意見があったこと等を踏まえて、前記 ⑴ の建物を建設する予定の敷地につき上記法人の所有する土地との換地をするなどして、同建物を私有地内に配置することが考えられる旨の整理がされていた。
- ⑷ 上記法人に対する上記施設の設置許可に係る占用面積は1335㎡であり、免除の対象となる敷地の使用料に相当する額は年間で576万7200円であり、また、上記設置許可の期間は3年であるが、公園の管理上支障がない限り更新が予定されている。
- ⑸ 上記法人は、上記施設の公開や前記 ⑵ の儀式の挙行を定款上の目的又は事業として掲げている。
- (反対意見がある。)
憲法20条3項
令和元年(行ツ)第222号、同年(行ヒ)第262号 最高裁令和3年2月24日大法廷判決 固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件(民集75巻2号登載予定)
第2次第2審:福岡高裁那覇支部平成31年4月18日判決
第2次第1審:那覇地裁平成30年4月13日判決
第1次第2審:福岡高裁那覇支部平成29年6月15日判決
第1次第1審:那覇地裁平成28年11月29日判決
1 事案の概要等
⑴ 本件は、那覇市(以下「市」という。)の管理する都市公園内に儒教の祖である孔子等を祀った施設(以下「本件施設」という。)を設置することをZ(Y(那覇市長。被告、上告人兼被上告人)補助参加人)に許可した上で、その敷地の使用料(以下「公園使用料」という。)の全額を免除した当時の市長の行為は、憲法の定める政教分離原則に違反し、無効であり、YがZに対して平成26年4月1日から同年7月24日までの間の公園使用料181万7063円(以下「本件使用料」という。)を請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるとして、市の住民であるX(原告、被上告人兼上告人)が、Yを相手に、地方自治法(以下「地自法」という。)242条の2第1項3号に基づき上記怠る事実の違法確認(以下「本件請求」という。)を求める住民訴訟である。
⑵ Xは、当初、本件請求のほかに、市を相手とする地自法242条の2第1項2号に基づく本件施設の設置許可の取消請求等をしていた。第1次第1審が適法な監査請求がされていないとして訴えを全部却下したのに対し、Xが控訴したところ、第1次第2審は、Xの控訴の一部を棄却するとともに、第1審判決のうち本件請求等に係る部分を取り消し、同部分を那覇地裁に差し戻す旨の判決をし、同判決は確定した。Xが第2次第2審判決(以下「原判決」という。)までに本件請求以外の請求に係る訴えを取り下げるなどしたため、審判対象は、本件請求のみとなった。
2 事実関係等の概要
⑴ ア 市は、都市公園法2条1項1号所定の都市公園として、市内の久米地域に松山公園(以下「本件公園」という。)を設置し、これを管理している。本件施設は、本件公園内の国公有地上に設置された、儒教の祖である孔子等を祀る廟である。
本件施設の建物等の所有者はZである。Zは、本件施設、道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る天妃宮の公開、久米三十六姓(約600年前から約300年間にわたり、現在の中国福建省又はその周辺地域から琉球に渡来してきた人々)の歴史研究等を目的とする一般社団法人であり、定款上、上記目的が明記されるとともに、その正会員(社員)の資格が久米三十六姓の末えいに限定されている。
イ 本件施設は、本件公園の他の部分から仕切られた区域内に一体として設置されている。本件施設の本殿と位置付けられている大成殿は、その内部の中央正面には孔子の像及び神位(神霊を据える所)が配置され、観光客に加え、家族繁栄、学業成就、試験合格等を祈願する多くの人々が参拝に訪れる。また、本件施設においては、大成殿の香炉灰が封入された「学業成就(祈願)カード」が販売されていたことがあった。
ウ 本件施設では、平成25年以降、毎年、孔子の生誕の日とされる9月28日に、供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後にこれを送り返すという内容の行事である釋奠祭禮が行われている。
⑵ ア 久米三十六姓は、17世紀に久米地域に孔子等を祀る至聖廟を建立するとともに、18世紀にその隣接地に琉球における最初の公立学校とされている明倫堂を建立した(以下、この至聖廟と明倫堂とを併せて「当初の至聖廟等」という。)。当初の至聖廟等及びその敷地は、明治12年に沖縄県が設置された後、社寺に類する施設として国有とされ、その後、Zの前身の社団法人(以下、Zと区別することなく、「Z」という。)に譲与された。
当初の至聖廟等は、第二次世界大戦の戦災により焼失し、その後も区画整理のため久米地域において再建されることはなかったが、昭和49年ないし同50年頃、Zが所有する那覇市若狭所在の土地上に、天尊廟及び天妃宮と共に、至聖廟及び明倫堂が再建され、Zはこれらを維持管理するようになった。
イ Zは、平成11年3月、市が旧久米郵便局の跡地を国から買い取り、本件公園の一部として取り込むとの情報を得て、当初の至聖廟等があった場所ではないものの、同跡地に至聖廟を移転して久米地域に回帰すべく、同12年12月、市に対し、要請活動を開始した。市は、本件公園の用地として、平成18年2月1日付けで、国から、那覇市久米所在の国有地を買い受けるなどした。
ウ 当時の市長は、Zの都市公園法5条1項に基づく公園施設の設置許可(以下「公園施設設置許可」という。)の申請に基づき、平成23年3月31日付けで本件施設に係る公園施設設置許可(設置の期間は許可の日から同26年3月31日まで)をするとともに、那覇市公園条例(1970年那覇市条例第6号。以下、単に「公園条例」という。)11条の2第4号、那覇市公園条例施行規則(1970年那覇市規則第5号。平成28年那覇市規則第21号による改正前のもの。以下、単に「公園条例施行規則」という。)15条1項2号に基づき、上記期間における公園使用料の全額を免除する旨の処分をした。Zは、平成24年3月20日に本件施設の新築工事に着手し、同25年4月30日までに同工事を完了した。
上記期間が満了するのに伴い、当時の市長は、Zの申請に基づき、平成26年3月28日付けで本件施設に係る公園施設設置許可(設置の期間は同年4月1日から平成29年3月31日まで)をするとともに、公園条例11条の2第4号、公園条例施行規則15条1項2号に基づき、上記期間における公園使用料の全額を免除する旨の処分(以下「本件免除」という。)をした。上記期間は、本件公園の管理上支障がない限り、更新が予定されていた。
3 第2次第1審判決及び原判決
第2次第1審判決(以下、単に「1審判決」という。)は、本件免除が、政教分離原則を定めた憲法20条1項後段、3項、89条(以下「政教分離規定」という。)に反し、違憲無効であるとして、Xの請求を全部認容した。原判決は、1審判決と同様に本件免除を違憲無効としたが、公園条例等において、Yが都市公園の使用料の一部を免除することができる旨規定されており、本件使用料の全額を徴収しないことが直ちに違法であるということはできないとして、Xの請求につき、具体的金額を示すことなく一部認容すべきものとし、その余の請求を棄却したため、Y及びZが、Y敗訴部分につき、上告及び上告受理申立てを、Xが、X敗訴部分につき、上告受理申立てをした。これを受けて、第三小法廷は、Yの上告及び上告受理申立てにつき、Zの上告及び上告受理申立て後にされたものであり、二重上訴に当たり不適法であるとして却下不受理決定をし(ただし、Yの上告理由書がZの上告に係る上告理由書提出期間内に提出されていたため、その論旨は、Zの申し立てた上告事件において、審理の対象とされた。)、Zの上告受理申立てにつき、不受理決定をし、Xの上告受理申立てにつき、受理決定をした上で、本件を大法廷に回付した。
4 本判決
本判決は、最大判平成22・1・20民集64巻1号1頁(以下「空知太神社訴訟判決」という。)と同様の判断枠組みに依拠した上で、判決要旨のとおり判示して、本件免除を違憲と判断するとともに、地自法231条の3第1項、240条、地方自治法施行令(以下「地自令」という。)171条の2から171条の7まで等の規定によれば、客観的に存在する使用料に係る債権を理由もなく放置したり免除したりすることは許されず、YがZに対して本件使用料の全額を請求しないことが違法であるとして、原判決中、X敗訴部分を破棄し、同部分につき、Zの控訴を棄却し、Yの控訴を却下すべきものとした。
5 説明
⑴ 政教分離規定についての従前からの解釈等の整理
ア 判例における政教分離に関する合憲性の判断基準は、津地鎮祭訴訟に係る最大判昭和52・7・13民集31巻4号533頁(以下「津地鎮祭訴訟判決」という。)により集大成され、これがその後の大阪地蔵像訴訟に係る最一小判平成4・11・16集民166号625頁(以下「大阪地蔵像訴訟判決」という。)、箕面忠魂碑・慰霊祭訴訟に係る最三小判平成5・2・16民集47巻3号1687頁(以下「箕面忠魂碑等訴訟判決」という。)、愛媛玉串料訴訟に係る最大判平成9・4・2民集51巻4号1673頁(以下「愛媛玉串料訴訟判決」という。)等に踏襲されてきた。
イ 上記アの各判例においては、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教との関わり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教との関わり合いをもたらす行為の目的及び効果に鑑み、その関わり合いが社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであるとする、いわゆる目的効果基準が用いられていた。
そして、ある行為が憲法20条3項により禁止される「宗教的活動」に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式にのっとったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないとされ(津地鎮祭訴訟判決等)、また、憲法89条により禁止される「公金その他の公の財産……を支出し、又はその利用に供し」(以下「公金支出行為等」という。)に該当するか否かついても、上記の政教分離原則の意義に照らして、当該公金支出行為等による国家と宗教との関わり合いが上記の相当とされる限度を超えるものをいうものと解すべきであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、憲法20条3項と同様の基準によって判断しなければならないとされていた(愛媛玉串料訴訟判決)。
⑵ 空知太神社訴訟判決の位置付け
ア 空知太神社訴訟判決は、砂川市がその所有する土地を神社施設の敷地として無償で連合町内会に使用させている行為の憲法適合性が問題となった事案において、当該行為が憲法20条1項後段、89条に違反するとの判断をしたが、憲法20条3項については触れていない点において、同項も含めた政教分離規定違反の有無を検討する従来の判例とは異なっている。また、同判決においては、従来の判例(特に、津地鎮祭訴訟判決、箕面忠魂碑等訴訟判決、愛媛玉串料訴訟判決等)にみられるような、「宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ」という説示が省かれているほか、政教分離規定違反の有無の判断に当たって考慮すべき要素として、当該宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等を挙げている点等においても、従来の判例と連続しない面がみられる。
イ (ア) しかしながら、空知太神社訴訟判決は、政教分離原則の基本的な理解及び判断の枠組みの中核的・基底的な部分(我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、相当とされる限度を超えるものに当たるか否かという部分)については、従来の判例に基本的に変更を加えていないとされている。すなわち、同判決は、上記限度を超えるか否かを判断するに当たって、必ずしも目的及び効果という硬直的な着眼点に拘泥することなく、当該事案に即した多様な着眼点を抽出し、これらを総合的に検討すべきこと(以下「総合判断の枠組み」という。)を示したものとされている(清野正彦「判解」『最高裁判所判例解説民事篇平成22年度(上)』38~42頁)。
(イ) そして、政教分離規定のうち、憲法20条1項後段、89条については憲法上の宗教団体にのみ適用されるのに対し、憲法20条3項についてはそのような制限がない点において、その適用要件に差異があるものの、前記 ⑴ イのとおり、同項により禁止される宗教的活動に該当するか否かを判断する基準と、憲法上の宗教団体該当性が認められることを前提とした上で、憲法89条により禁止される公金支出行為等に該当するか否かを判断する基準とは同様のものと解されており、空知太神社訴訟判決の事案においても、憲法20条3項を適用することが可能であったとの指摘もされていること(前掲清野「判解」25~26頁)を考慮すると、適用条文の相違が判断枠組みや結論に直ちに影響するとはいえない。現に、空知太神社訴訟判決と同日に言い渡された最大判平成22・1・20民集64巻1号128頁(以下「富平神社訴訟判決」という。)は、砂川市が町内会に対し無償で神社施設の敷地としての利用に供していた市有地を同町内会に譲与したことが憲法20条3項に違反するか否かの判断においても、空知太神社訴訟判決と同様の判断枠組みを用いたものと解されており、判例は、適用条文によって判断枠組みを変更するという考え方には立っていないことがうかがわれる。
(ウ) また、空知太神社訴訟判決の事案は、半世紀以上もの間、神社施設の敷地として公有地を無償提供するという継続的行為が問題とされ、その行為には使用貸借契約の履行という作為的側面もあるものの、単に現状を放置しているという不作為的側面も併せ有するものである。しかしながら、富平神社訴訟判決が、公有地の譲与という1回限りの作為的行為の憲法適合性が争われた事案において、目的及び効果を掲げた検討をしていないことに照らせば、総合判断の枠組みは、1回限りの作為的行為が問題となる場合においても、目的及び効果という硬直的な着眼点に拘泥せず、より柔軟かつ事案に即した判断基準へと従来の判断基準を深化させたものと評価することができる(前掲清野「判解」41~42頁)。
(エ) 以上によれば、空知太神社訴訟判決の示した総合判断の枠組みは、憲法20条1項後段及び89条のみならず、憲法20条3項を含む政教分離規定違反の有無を判断する基準として用いることが可能であり、また、1回限りの作為的行為の憲法適合性が争われる事案においても広く妥当すべきものと考えられる。なお、判例は、津地鎮祭訴訟判決以降、一貫して目的効果基準による判断をしてきたところ、空知太神社訴訟判決も、目的及び効果という着眼点の重要性を否定したものではなく、事案によっては、引き続き目的及び効果が違憲審査の際の主要な着眼点となる場合があると考えられる。
⑶ 本判決における政教分離規定適合性の判断
ア 本件は、本件免除という1回限りの作為的行為につき、憲法20条1項後段、89条のみならず、憲法20条3項への適合性も問題とされている点においては、空知太神社訴訟判決の事案と異なる。また、最高裁判例において、政教分離原則違反が争われた事案の多くは神道との関係が問題とされたものであって、神道以外の宗教との関係が問題とされたものは、大阪地蔵像訴訟判決のみであり、下級審裁判例を含めても、国家と儒教又は孔子に対する信仰との関係が問題とされた事案は見当たらないところ、本件では、儒教の宗教性が争われ、本件施設の宗教性も自明のものとはいえないため、その敷地の使用料を免除する処分について、宗教との関わり合いの程度のみならず、その存否が問題とされている点に特色があるということができる。
イ 本判決は、前記 ⑵ のように、空知太神社訴訟判決の示した総合判断の枠組みは、憲法20条1項後段、89条のみならず、憲法20条3項を含む政教分離規定違反の有無を判断する基準として用いることが可能であり、また、1回限りの作為的行為の憲法適合性が争われる事案においても広く妥当するとの理解の下、本件について総合判断の枠組みを用いるとともに、本件の事案に即して、国公有地上にある施設の性格、当該施設の敷地の使用料を免除することとした経緯、当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等を考慮要素とすべきこととしたものと考えられる。
ウ (ア) また、国家と宗教との関わり合いの存否を判断することによって、直ちに憲法適合性についての結論を導こうとした場合、憲法上の宗教を定義した上で、関わり合いの対象がその定義に該当するか否かを判断することとならざるを得ないと考えられるところ、宗教を定義することが著しく困難であることは周知のとおりである。国家と宗教との関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとする政教分離原則の意義に照らすと、直截的に「宗教」と「非宗教」とを区別し、一刀両断的に違憲か否かを判断するという手法によることは適切ではないことから、判例は、宗教を定義した上で判断するという手法を採らなかったものとされている(高橋利文「判解」『最高裁判所判例解説民事篇平成5年度(上)』180頁)。
(イ) そして、判例は、国家による関わり合いの対象の宗教性が微妙な事案においても、当該対象について、社会通念に照らし、一定の宗教的な外形があると認められる場合においては、国家と宗教との関わり合いの存在は認めた上で、その関わり合いの程度が相当とされる限度を超えるか否かを判断するという手法を用いてきたということができる。すなわち、大阪地蔵像訴訟判決は、大阪市が市営住宅の建替事業を行うに当たり、地元の協力と理解を得ることなどを目的として、町会に対して地蔵像の建立あるいは移設のため、市有地の無償使用を承認するなどした行為の政教分離規定への適合性が問題となった事案において、寺院外に存在する地蔵像について、現代においては、その維持運営に関する行為が伝統的習俗的行事にとどまっているとしつつ、宗教との関わり合いの存在は前提とした上で、その程度を検討して合憲の判断を導いている。また、箕面忠魂碑等訴訟判決は、箕面市が、忠魂碑の存する公有地の代替地を買い受けて忠魂碑の移設・再建をし、忠魂碑を維持管理する地元の戦没者遺族会に対しその敷地として上記代替地を無償貸与した行為の政教分離規定への適合性が問題となった事案において、原審(大阪高判昭和62・7・16判時1237号3頁)が、忠魂碑が戦没者記念碑的性格のものであって、宗教施設ではないとし、政教分離規定違反の主張を失当として退けたのに対し、必ずしも宗教性がないとはいい切れないようなケースでは、その関わり合いの程度が相当とされる限度を超えるか否かの観点から判断すべきであるとの学説の指摘を踏まえて、忠魂碑の宗教性の有無という観点からは判断せず、関わり合いの程度が上記限度を超えるか否かという観点から判断したものとされている(前掲高橋「判解」183~184頁)。
上記の寺院外の地蔵像等にみられるような、習俗との境界が曖昧な民間信仰等についても、国家がこれを援助した場合、その態様、程度によっては、他の信仰を有する者に対する圧迫につながる可能性がないとはいえない。そこで、判例は、国家と宗教との関わり合いの存在を否定することなく、飽くまで、国家の行為が相当とされる限度を超えるか否かを検討するという判断手法を採ったものと思われ、このような判断手法は、政教分離原則の趣旨に沿うものと考えられる。そして、上記のような判断手法を採ったとしても、一定の宗教的な外形があるといえるか否かや、国家の行為が相当とされる限度を超えるか否かについては、社会通念に照らして判断される以上、例えば、特定の宗教との結びつきがなく、又はこれが希薄なものとして行われる戦没者又は災害犠牲者のための慰霊碑の設置や追悼式の挙行等が政教分離原則違反とされるといった不合理な結果が生ずる懸念があるとはいえないであろう。
(ウ) 本判決は、以上のような理解の下、儒教に宗教性が認められるか否かという観点から結論を導くのではなく、総合判断の枠組みを前提として、その考慮要素の一つである「施設の性格」として、本件施設の宗教性の有無及び程度を検討することとしたものと思われる。そして、本判決は、主に本件施設の客観的外形的側面に着目し、①大成殿の内部の状況や多くの参拝者の存在等から、宗教性が自明である社寺との類似性が認められること、②本件施設で行われる釋奠祭禮が、その内容からみて宗教的意義を有する儀式であり、本件施設の建物等が釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されていること、③本件施設がその前身とされる施設の宗教性を引き継ぐものであること等の具体的事情を検討して、本件施設につき、一体としてその宗教性を肯定することができることはもとより、その程度も軽微とはいえないとの判断をしたものと思われる。
エ さらに、本判決は、考慮要素として挙げられた本件施設の敷地の使用料を免除することとした経緯、当該免除に伴う当該国公有地の無償提供の態様、これらに対する一般人の評価についても、具体的事実関係を詳細に検討した上で、これらを社会通念に照らして総合的に考慮し、本件免除については、市と宗教との関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当するとの判断をしたものである。
オ 本件においては、本件免除が憲法20条1項後段、89条に違反するか否かについても争われているところ、上記各条項は憲法上の宗教団体にのみ適用される。そして、判例において、憲法上の宗教団体とは、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体をいうものとされているが(箕面忠魂碑等訴訟判決)、本判決は、Zが憲法上の宗教団体に当たるか否かや、本件免除が憲法20条1項後段、89条に違反するか否かについての判断を示していない。この点については、本判決が、「本件免除が憲法20条1項後段、89条に違反するか否かについて判断するまでもなく」と説示していることからみると、本件免除が、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当し、違憲無効であるという結論に達した以上、本件免除が別途憲法20条1項後段、89条に違反するか否かによって、上記結論が左右されるものではないため、重ねてこの点を判断するまでもないとしたものと思われる。なお、本判決は、本件免除に伴う国公有地の無償提供の態様について検討する際に、Zが、宗教性を有する本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を定款上の目的又は事業として掲げ、実際に本件施設において、多くの参拝者を受け入れ、釋奠祭禮を挙行していること等について言及しており、Zの目的や実際の活動内容といった憲法上の宗教団体該当性の判断の基礎となる事情が、総合判断の枠組みの中でも考慮の対象となることを前提としていると考えられる。
⑷ 市がZに対して本件使用料の全額を請求しないことが違法か否か
ア 地方公共団体は、その所有する不動産について、財産管理上の一定の裁量権が与えられているため、これを占有する者がいたとしても、占有開始の事情、交渉の経緯、占有期間の長さ等の諸要素を総合的に考慮し、これを放置していることが裁量権の範囲の逸脱又はその濫用と認められる場合にのみ、当該不動産の管理を怠る事実が違法性を帯びるものとされる(岡田幸人「判解」『最高裁判所判例解説民事篇平成24年度(上)』162~163頁)。
しかしながら、本件においては、地方公共団体における不動産の管理ではなく、都市公園内の国公有地の使用料に係る債権の管理が問題とされている。そして、最二小判平成16・4・23民集58巻4号892頁(以下「平成16年最判」という。)は、東京都が都道にはみ出して自動販売機を設置した者に対して占用料相当額の損害賠償請求権等を行使しないことが違法か否かが争われた住民訴訟の事案において、地方公共団体が有する債権の管理について定める地自法240条、地自令171条から171条の7までの規定によれば、客観的に存在する債権を理由もなく放置したり免除したりすることは許されず、原則として、地方公共団体の長にその行使又は不行使についての裁量はないとしている。
他方、債権の不行使が直ちに違法とならない例外としては、地自法や他の関係法規から債権の行使又は不行使についての裁量の余地が認められる場合が挙げられるところ(杉原則彦「判解」『最高裁判所判例解説民事篇平成16年度(上)』271~272頁注3)、平成16年最判は、当該事案の事実関係の下において、東京都が、徴収停止ができる場合について規定する地自令171条の5第3号にいう「債権金額が少額で、取立てに要する費用に満たないと認められるとき」に該当するとして当該債権を行使しなかったことが、違法ではないとの判断をしている。
イ これを本件についてみると、本件免除は違憲無効であり、月額360円/㎡×面積の使用料が当然に発生しているのであって、公園条例11条の2第8号は使用料の一部の免除について定めているものの、事実審の口頭弁論終結時までに、同号に基づく免除の処分はされておらず、公園条例等において、一旦発生した使用料の徴収の猶予等を定めた規定も存在しない。また、本件において、地自令171条の5から171条の7までに規定する徴収停止等の要件に該当する事情もうかがわれない。そうすると、Yにおいて、本件使用料に係る債権の行使又は不行使についての裁量があるとはいえず、その全額を請求しないことは違法というほかない。
本判決は、以上のような理解の下、原判決中X敗訴部分は破棄を免れず、Xの請求は理由があり、これを認容した1審判決は正当であるとの判断をしたものと思われる。なお、Xの論旨は、公園条例11条の2第8号が、将来に向かって公園使用料を免除することができる旨を規定したものであるため、既に発生している公園使用料を同号に基づいて免除することはできないと解すべきであるともいうが、本判決は、本件使用料が既に発生していることのみならず、事実審の口頭弁論終結時までに同号に基づく免除がされなかったことについても言及していることから、同号について論旨のいうような解釈は採用しなかったことがうかがわれる。また、地自法242条の2第1項3号所定の「怠る事実の違法」とは、事実審の口頭弁論終結時(本件においては、平成31年1月31日)において、執行機関等がその行為をすることができるにもかかわらずこれをしないことの違法をいうため(南博方原編著・高橋滋ほか編『条解行政事件訴訟法〔第4版〕』(弘文堂、2014)157頁、伴義聖=山口雅樹『新版 実務住民訴訟』(ぎょうせい、2018)153~154頁)、時効の完成猶予を定めた同条第8項が同条1項4号の規定による訴訟についての規定であり、同項3号の規定による訴訟である本件には適用がないと解されるものの、本件使用料に係る債権について、事実審の口頭弁論終結後に地自法236条1項所定の時効期間が経過したとが、本件の結論に影響するものではないと考えられる。
⑸ 個別意見について
本判決については、林景一裁判官の反対意見が付されている。同反対意見は、本件施設の参拝者の大半は観光客である可能性が高く、参拝者が組織化された宗教的活動として参拝を行っていることや参拝者に対する宗教の普及活動が行われていることはうかがえないこと等を指摘し、本件施設には宗教性がないか、既に希薄化していると考えられるとし、また、本件において、「何らかの」という以上に宗教の特定も、信者集団を含めた宗教組織ないし団体の存在の認定もできず、助長される対象が特定できないにもかかわらず、政教分離規定に違反するとの判断をすることは、政教分離規定の外延を曖昧な形で過度に拡張するものであって、たとえ総合判断の過程において、文化財指定の有無や国際交流という目的等が考慮され得るとしても、歴史研究・文化活動等に係る公的支援への萎縮効果等の弊害すらもたらしかねないとして、本件免除が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当するとした原審の判断には誤りがあり、また、本件免除が憲法20条1項後段、89条に違反するということもできないから、本件免除が公的支援として過ぎたるものではないかという違和感を覚えるものの、Xの請求は棄却するほかないとするものである。
⑹ まとめ
本判決は、最高裁大法廷が、市の管理する都市公園内の国公有地上にある施設の敷地の使用料を免除した市長の行為が政教分離規定に反するか否かにつき、空知太神社訴訟判決の判断枠組みにより判断するとともに、その際の具体的に考慮すべき要素を提示した上、結論として、上記行為が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当し、違憲であるとの判断をしたものであって、理論上及び実務上、重要な意義を有するものと考えられる。