◇SH2092◇コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(102)雪印乳業㈱グループの事件を組織論的に考察する⑫岩倉秀雄(2018/09/18)

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コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(102)

―雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑫―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、雪印乳業(株)のルーツと言える酪連の創業者の黒澤酉蔵の活動について述べた。

 黒澤は、1913(大正2)年の未曾有の冷害による北海道農業の壊滅的打撃を調査し、義援金を送るとともに、デンマーク農業を理想とする同志(宇都宮仙太郎、佐藤善七ら)と、水田万能の略奪農業を止め寒冷地に適した有畜農業を実践する農業革命を推進する決意を固めた。

 また、その考え方が、宮尾瞬治北海道長官とも一致し、官民あげてデンマーク農業を手本に北海道農業の再構築を目指す「牛馬百万頭計画」の策定に結びついた。

 関東大震災を契機に翌年、「酪農救国」を旗印に、酪農民による牛乳処理組織である「有限責任北海道製酪販売組合」(翌年、保証責任北海道製酪組合連合会(酪連)に組織変更)が設立された。

 今回は、黒澤酉蔵が発案し初代塾長を務めた北海道酪農義塾(後の酪農学園大学)設立の経緯と黒澤の思想について考察する。

 

【雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑫:北海道酪農義塾設立の経緯】

1. 社団法人北海道酪農義塾の開設

 黒澤は、デンマークのように酪農により国を豊かにするためには、自営の中核酪農家の育成や酪農及び製酪事業の将来の担い手の教育が重要であると考えていた。

 昭和8(1933)年、酪連事業に一定の目途が立ったことから、当時、酪連専務理事であった黒澤は、かねてから温めていた酪農民教育の施設として北海道酪農義塾(以下、義塾)開校の私案を開陳し、関係機関に協力を要請するとともに、同年9月5日の酪連臨時総会に提案し、承認された。

 北海道庁長官の佐上道政も賛同し、酪連は毎年の補助金と教育・経営を分担、佐上長官は理事長に就任、黒澤は塾長として塾生とともに寮に寝起きして教育にあたった。

 義塾の経営は酪連とは別法人(社団法人)とし、昭和8年10月1日、札幌市苗穂の酪連敷地内に塾舎を新築し、翌年、全道から選抜された80名の生徒を迎えて教育を開始した。

 義塾の教育方針は、「農民精神の涵養を主眼とし、産業組合主義の教育を経とし、酪農業の実地教育を緯とし、これを総合訓練して、真の農村の中堅たるべき農民を養成するを根本とし、以て、本道独特の農村文化を建設せんとするものである」(「北海道酪農義塾設立の趣旨」(『酪翁自伝』[1]153頁))とされた。

 農業の真髄に触れ、真に農民としての人生観を確立、質実剛健な気風を養成するため、塾生はすべて塾内に起居させ、厳格な規律のもとに教育を施そうというもので、黒澤提唱の「健土健民」の思想[2]を核とし、農民道5原則[3]を指導精神として、修業年限1ヵ年で、昭和19(1944)年まで続けられた。

 その間、太平洋戦争の影響により義塾制度を続けることが困難となり、昭和17(1942)年に修業年限3ヵ年の野幌機農学校を設置して義塾教育をそこに移行し、本格的教育に取り組んだ。

 教育の特色は、義塾と同様に実学教育と全寮制にあったが、費用は酪連や有志の寄付によって賄い、学費や寮費を生徒から徴収しなかった。

 これは貧困な農村青年のために進学の道を開いたものとして高く評価された。

 そして、酪農義塾出身者は酪連に就職し、あるいは酪農家として育っていった。

 

2. 黒澤の「協同社会主義」

 黒澤の思想は、「健土健民」や「三愛主義」(「神を愛し、人を愛し、土を愛する」)で語られることが多いが、自身は、『酪翁自伝』(180~181頁)で、以下の通り語っている。

  1.  「……正確に私の考え方をいいますとキリスト教協同社会主義とでもなりえましょうか。(中略)無神論でも共産主義でもありませんが、かといって資本主義とも全く違うのです。私の理想は、本物の農民救済ですから、他人に頼らず、資本家のふところをあてにせず、高利貸しや銀行をあてにせず、農民自身の自覚と限られた政治力、財力でこれをやろうとすれば、協同組合主義を採る以外に道はありますまい。それもうっかりすれば、無力、悪平等、非能率、衆愚ということに堕落してしまいます。(中略)国民の一番求めているものをもっとも効果的にしかも、まやかしでない方法で提供するには協同社会主義以外にあるまいと考えました。」

 近年、社会的課題の解決を目的とする社会的企業や企業と社会の利益を同時に実現するCSV経営に注目が集まっているが、大正時代から昭和にかけて、既にその思想を実践し雪印乳業(株)の基礎を築いたのが黒澤酉蔵である。

 創業の精神を見失った雪印乳業(株)が、不祥事からの再生を図った時、酉蔵の「健土健民」の思想に還ったのは、ある意味で必然であった。

 次回からは、2つの事件について考察する。



[1] 酪農学園編『酪翁自伝――黒澤酉蔵翁生誕130年・記念』(酪農学園、2015年)

[2] 黒澤は、「健康な国民は健康な食生活から、健康な食料は健康な農業から、健康な農業は健康な農地から、健康な農地は健康な農民から、健康な農民は健康な心身から、まず心田を肥沃健康にせよ」と述べ、また酪農業と「健土健民」との関係について、「酪農業とは乳牛を主体とする有畜機械化農業のことで、各種農業形態中、最高の科学的農業である。特に、天恵薄き地帯にあって、健土健民の実を上げるためには唯一の方法である。」と述べている。(干場信司「酉蔵翁の『健土健民』を今に活かす」JDCニュースNo.550(2014))

[3] 農民道5則は次のとおりで、酪連精神の根幹として酪連の役職員は遵守を求められ、酪農義塾では教育の基本とされた。(雪印乳業編『雪印乳業史 第一巻』(雪印乳業、1960)277頁、酪農学園編『酪翁自伝――黒澤酉蔵翁生誕130年・記念』(酪農学園、2015年)152~153頁)

 一.農民は誠其物たれ(農民は正直であれ)
 一.農民は天地の経綸に従え(農民は土地の役目を知れ)
 一.農民は土を愛せよ(農民は土地を肥やせ)
 一.農民は勤労を尊び倹約を守れ(農民は無駄をせずにうんと働け)
 一.農民は協力一致せよ(農民は産業組合によって団結せよ)

 

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