◇SH2103◇コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(104)雪印乳業㈱グループの事件を組織論的に考察する⑭岩倉秀雄(2018/09/25)

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コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(104)

―雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑭―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、コンプライアンスの重要性を社会が認識するきっかけになった、雪印乳業(株)の食中毒事件の概要について、『雪印乳業史 第7巻』を基に述べた。

 雪印乳業(株)の食中毒事件は、2000年6月27日の最初の連絡に端を発し社告の掲載、記者発表、製品の自主回収などが遅れ、最終的には有症者1万4,780人、診定患者数1万3,420人にのぼる大規模な食中毒事件となった。

 食中毒の直接の原因は、黄色ブドウ球菌の毒素であるエンテロトキシンが大阪工場製造の低脂肪乳等に混入していたためで、当初は事故の原因は、同工場の調合工程や調整乳送りラインの汚染によるものと推定されたが、その後の調査で、根本原因は大阪工場ではなく、大樹工場であったことが判明した。

 この事件により、雪印乳業㈱は社会の信頼を失い、2001年3月期連結決算の最終赤字が529億円となり、市乳8工場(大阪・仙台・新潟・東京・高松・静岡・北陸・広島)の閉鎖や1,000人の雇用調整を余儀なくされた。

 今回は、雪印乳業(株)の対応のまずさにより食中毒事件の規模が拡大した経緯を考察する。

 

【雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する⑭:食中毒事件拡大の経緯②】

 一般に、不祥事を発生させた企業が、社史において不祥事を詳細に記述することは少ない。それは、不祥事によるマイナスイメージを再度よみがえらせ、回復したブランドイメージを再び悪化させたくないからである。

 しかし、『雪印乳業史 第7巻』では、社史編纂方針「……事実を正確に伝え、社会に与えた影響と本質的な問題を認識し、その反省と後世への教訓となるような内容とする」に基づき、Ⅱ部の標題を「2つの事件と信頼回復への取組み」と題し、120頁にわたって詳述した。

 筆者は「企業の危機がどのような経過で発生・拡大したかをつぶさに知る機会は少なく、それを知ることは、組織の危機予防や危機対応に有益である」と考え、あえて本稿で事件の発生から危機拡大の経過を詳述する。

 

1. 食中毒事件の発生と雪印乳業(株)の対応

(1) 食中毒事件の発生

 2000年6月27日、西日本支社関西品質保証センターに大阪工場製造の「低脂肪乳」を飲んだ和歌山県の消費者から腹痛、下痢、嘔吐といった症状の苦情が入った。 

 同日、大阪市保健所(以下、保健所)にも、大阪市内の病院から別の消費者について「嘔吐、腹痛、下痢等の症状を呈する患者を診察した」との届出が入った。 

 28日にも雪印乳業(株)及び保健所に複数の消費者から同様の苦情が入ったため、同日午後、大阪工場は保健所の立ち入り調査を受けた。

 雪印乳業(株)では6月28日、札幌市内で株主総会が開催されており、社長以下役員全員が出席していた。

 西日本支社では複数の消費者苦情及び保健所からの連絡を受け、28日13時20分、緊急品質管理委員会を開催、同日13時50分に札幌の取締役市乳営業部長に第1報を入れ、取締役市乳営業部長から専務取締役第二事業本部長に報告がなされた。

 15時30分頃、西日本支社で2回目の緊急品質管理委員会が開催され、苦情情報の確認と対応策が検討された。

 同時に、東京本社でも緊急品質保証連絡会を開催、情報の確認と共有化を行なった。

 18時頃から、札幌で関係役員による打合せが行なわれた。

 この時点での苦情情報は、低脂肪乳の類似苦情7件であり、大阪工場での出荷時検査では異常が見られなかったことから、大阪工場の製造工程に問題があると判断せず、29日以降、大阪工場の大型紙容器ラインを停止し、原因の有無を調査することを決定、関係部署に指示した。

 28日23時頃、大阪工場長が保健所を訪問し、大阪工場の大型紙容器ラインの停止と出荷自粛の決定を伝えた。

 この時、保健所から自主回収と社告の掲載を求められたが、工場長は「自主回収については了解するが、社告掲載については社内で検討させて欲しい」と回答、保健所より29日9時までに社告掲載を返答するよう求められ、29日午前1時過ぎに協議を終了した。

 協議内容は直ちに取締役市乳営業部長から第二事業本部長へ報告された。

(2) 公表の遅れと苦情・不安の殺到

 6月29日9時西日本支社関西品質保証センター長らが保健所を訪問し、当該製品の回収と製造の自粛を行なうことを報告、同日朝より大阪工場の低脂肪乳を含む大型紙容器ラインを停止し、店頭からの低脂肪乳の自主回収を開始したが、社告の記載、店頭告知については社長の了解が必要であるとした。

 29日10時30分頃、帰京のため千歳空港にいた社長に対し、品質保証担当取締役が苦情内容を伝え、13時40分頃、東京本社に戻った社長、第二事業本部長は、関係者と協議し、翌日の朝刊に社告を出すことを決定した。

 一方、この間に新たに4人の有症者が確認され、保健所が大阪工場に2回目の立入調査を実施した。

 大阪市は、6月29日の16時、18時、21時30分の3回にわたり記者会見し、事件を公表した。

 公表直後より、雪印乳業(株)に苦情が殺到したため、同社も6月29日21時45分に西日本支社で記者会見を行ない、苦情の発生状況、自主回収の案内などを説明した。

 6月30日、全国紙朝刊に社告「お詫びと回収のお知らせ」を掲載した。

 この日、保健所が大阪工場に3回目の立入調査を実施、保健所から雪印乳業(株)に対して食品衛生法に基づき大阪工場での6月23日から28日製造の「低脂肪乳500ml、1000ml」の回収命令が出された。

 雪印乳業(株)は、6月28日深夜に保健所から公表の指示を受けてから「原因が特定できない」などの理由で29日夜まで公表しなかった。

 西日本支社には、30日朝から昼前までに約120件の問い合わせや苦情があったため、支社のお客様相談室の電話を普段の2倍の4台に増設したが、それでも朝から電話が鳴り止まず、つながらない状態が続いた。

(つづく)

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