コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(115)
―雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する㉕―
経営倫理実践研究センターフェロー
岩 倉 秀 雄
前回は、牛肉偽装事件発覚前の雪印乳業(株)の経営再建計画の進捗と特徴的な施策について述べた。
雪印乳業(株)は、ハード面の再建施策として、工場閉鎖(大阪、仙台・新潟・東京・高松、静岡・北陸・広島)、冷凍食品事業の分社化、営業体制の変革、更なる1,000名規模の雇用調整、他社とのアライアンス、大幅アイテムカット、チーズ1,000億円構想、栄養機能食品事業の推進、経費の圧縮等を発表したほか、業績回復の思わしくない市乳事業について、地域事業部制を導入するとともに2002年上期中に分社化を検討することを発表した。
ソフト面の施策としては、各界を代表する有識者からなる経営諮問委員会を設置し、信頼回復を柱に組織、マーケティング、ブランド、危機管理、組織風土改革等幅広い提言を受け、意志決定のための重要な判断材料とした。
また、信頼回復と販売基盤の再整備を図るために、全社運動のVOICEプロジェクトをスタートさせたほか、創業の精神、企業理念、事業領域、ビジョン、ブランドメッセージ、企業行動規範(雪印企業行動憲章2001と雪印企業行動指針)、及び企業理念体系を整備し、これを「新しい雪印をめざして」と題した雪印21世紀コンセプトブックにまとめ、全役員・従業員に配布した。
今回から複数回にわたり、この経営再建計画に取組んでいる間に発覚し雪印乳業(株)の再建に決定的なダメージを与えた、子会社の雪印食品(株)による牛肉偽装事件について考察する。
【雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する㉕:雪印食品牛肉偽装事件1】
1. 雪印食品牛肉偽装事件の概要
雪印食品牛肉偽装事件は、2002年1月23日に発覚した、雪印乳業(株)の子会社の雪印食品(株)が、国の狂牛病対策[1]として行われた国産牛肉の買取制度を悪用し、豪州産牛肉を国産と偽って申請、補助金をだまし取ろうとした詐欺事件である。
取引先であった冷蔵会社・西宮冷蔵の告発により、2002年1月23日、関西ミートセンターによる牛肉詰め替えの事実が発覚した。
また、関西ミートセンター以外の事業所での偽装の関与や輸入牛肉詰め替え、ラベル付け替え、日付改ざん、国産牛肉・輸入豚肉の産地偽装などが恒常的、組織的に行なわれていたことが次々と明らかになった。
事件発覚の翌日から全国各地のスーパー、デパート、生協などで雪印食品製品の撤去が始まり、雪印食品は1月26日、牛肉と牛肉製品230品目の製造、販売を停止した。
1月29日には、この責任をとって雪印食品の社長吉田升三は辞任、同時に生肉部門からの撤退を発表した。
親会社の雪印乳業(株)も経営責任を問われ、食中毒事件に続いて各地で雪印グループ製品の不買運動が起こり、スーパーで陳列を見合わせるなどの事態が発生した。
その結果、雪印ブランド商品の売れ行きが急低下し、特に市乳事業の売上高は事件前の50%、中でも関西地区は40%程度に落ち込んだ。
2月5日には、雪印食品の株価が30円の最安値まで暴落し、雪印乳業の株価も上場以来の最安値で一時100円を割り込むなど、株主・酪農家への大打撃も心配される事態となった。
この事件が致命的な痛手となり、雪印食品は会社再建を断念、4月26日の臨時株主総会で解散を決議し同月30日に解散、2005年8月12日に清算を完了した。
親会社の雪印乳業は、この事件の影響により、食中毒事件後に策定した2002年度黒字化を前提とした再建計画の大幅な見直しを余儀なくされた。
2002年3月28日、全国農業協同組合連合会(以下、全農)、伊藤忠商事(株)、農林中央金庫(以下、農林中金)からの資本導入、全農、全国酪農業協同組合連合会(以下、全酪連)との業務提携による市乳事業の再編、冷凍食品・育児品・アイスクリーム・医薬品などの事業分離、譲渡を軸とした新再建計画の骨子[2]を、5月23日の決算発表に併せて公表した。
そして、計画に基づき2002年度に冷凍食品・育児品・アイスクリーム・医薬品などの事業を分離、譲渡し、2003年1月1日に市乳事業の新会社・日本ミルクコミュニティ株式会社を設立した。
これにより、雪印乳業(株)は乳製品・原料乳製品を中心とする会社として再出発することとなった。
なお、この事件の刑事責任は、雪印食品元専務と元常務、並びに元幹部社員の5名がいずれも詐欺罪で起訴されたが、元幹部社員5名に対して執行猶予付き有罪判決が言い渡され、元専務と元常務には無罪が言い渡された。
また、元株主による損害賠償請求訴訟と株主代表訴訟が提訴されたが、いずれも請求棄却された。
6月27日の株主総会で、食中毒事件後就任の西社長以下取締役全員が退任し、新社長には高野瀬忠明、全国消団連前事務局長日和佐信子が社外取締役に就任した。
この事件では、親会社の子会社管理責任、業界の体質、取引先による不正の告発、消費者団体出身者の社外取締役就任等、コンプライアンスに関する様々の課題が社会に提起されることになった。
次回は、雪印食品(株)の概要と事件の背景について考察する。
[1] 2001年9月、千葉県の酪農家で飼っていた乳牛がBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)に感染していることがわかり、その後、他の地域でも疑いのある牛が発見(後に陰性が判明)されて、消費者の不安が一気に高まったため、国は、すべての牛にBSE検査(いわゆる全頭検査)を実施するとともに、国産牛肉が市場に出回るのを防ぐために、牛肉在庫緊急保管対策事業(国産牛肉買取事業)を実施した。
[2] 事業戦略の骨子は、①全農・全酪と新会社(日本ミルクコミュニティ(株)を設立、②アイスクリーム事業はロッテ(株)と新会社設立、③医薬品事業は大塚製薬(株)、大塚製薬工場(株)とイーエヌ大塚製薬(株)を設立、③冷凍食品事業は伊藤忠商事(株)と(株)アクリを設立、⑤育児品事業はネスレジャパンホールディング(株)と提携、⑥雪印乳業(株)は乳食品事業・原料乳製品事業に集中するものである。(『雪印乳業史 第7巻』442頁~443頁)