企業活力を生む経営管理システム
―高い生産性と高い自己浄化能力を共に実現する―
同志社大学法学部
企業法務教育スーパーバイザー
齋 藤 憲 道
第1部 管理をめぐる経営環境の変化
1.終戦~高度経済成長期前半 1945~1965年(昭和20~40年)
(3) 業務の執行に係る法整備
○ 1950年(昭和25年)に商法が改正(一部、1951年)され、それまでドイツ法を基礎としていた商法(会社法)にアメリカ法の「取締役会制度」が採り入れられて、所有と経営の分離が進んだ。
- ・ 株主総会の決議事項が法律・定款の規定する事項に限定され、新設された取締役会の権限が広く会社の業務執行全般に及ぶ[1]。
- ・ 取締役会は、代表取締役を選任して会社の代表権を付与し[2]、取締役の業務執行を監督する。
- ・ 取締役の任期は2年とされた[3](以前は、3年)。
- ・ 業務執行から遠ざかることになる株主の地位が強化された。(差止請求権、株主代表訴訟等[4])
(4) 監査の充実(監査役、公認会計士)
○ 1948年(昭和23年)に「証券取引法」が整備された。
1949年に東京証券取引所設立、同年に売買が再開された[5]。
○ 1950年(昭和25年)前後に、「監査役」と「公認会計士」による監査体制の基礎が固まった。[6]
1. 監査役による監査体制(商法改正 昭和25年)
1) 監査役の業務範囲を「会計監査」に限定し、「業務監査」が監査役の業務から外された。
- ・ 監査役が会社の業務及び財産状況を調査するのは、会計に関する監査を行うために特に必要な場合に限る[7]。
-
(注) 1950年改正まで、監査役は、ドイツ法を継受して「会計監査」と「業務監査」を担当していた。
なお、1974年に再び「業務監査」が監査役の業務に加わる。
2) 監査役の位置づけ
- ・ 任期は1年(以前は、2年)である[8]。
- ・ 監査役の人数の規定はないが、設置しなければならないので最低1人は必要である。
- (注) 監査役の資格を公認会計士に限る考えもあったが、肝心の公認会計士制度が未確立であった。
(参考)会社と取締役の間の訴訟は、取締役会が定める者又は株主総会が定める者が会社を代表する[9]。
2. 公認会計士による監査体制の整備
1) 1948年に公認会計士法制定、計理士法廃止
1949年に日本公認会計士協会(任意団体)が発足した。(53年に社団法人、66年に特殊法人)
1949年に第1回公認会計士試験を実施。
2) 1949年に企業会計原則・財務諸表準則が公表され[10]、この後の開示・監査の基準の役割を果たした。
1950年に、この原則及び準則を基礎として、財務諸表規則[11]が制定された[12]。
1950年に、監査基準・監査実施準則が公表[13]された。
1951年に、監査証明規則が公表[14]された。(上記の監査基準に沿う内容である。)
3) 1950年に証券取引法が改正され、上場会社等の財務諸表に公認会計士の監査証明を受けることが義務付けられた(193条の2)。
1951年に証券取引法(193条の2)に基づく公認会計士監査が開始された。
1951年~57年 段階的な準備期間
1957年(昭和32年)から、公認会計士監査が本格導入された。
[1] 商法230条ノ2、260条
[2] 商法261条1項(取締役会は代表取締役を選任する権限を有するので、代表取締役等の業務執行を監督する権限を有すると解釈された。)
[3] 商法256条
[4] 取締役権限の強化を牽制するために、①取締役は株式会社に対して損害賠償責任を負う、②一定の株主に対して株主代表訴訟を提起する権利、取締役の法令・定款違反に対する差止請求権、会計帳簿の閲覧・謄写請求権等を与える、③組織再編行為に反対する株主は株式買取請求権を行使できる。
[5] 戦時中も取引は継続されたが、長崎原爆投下の翌日(1945年8月10日)以降は休会していた。
[6] 監査役と公認会計士の役割に関する当時の考察に次の2例がある。(1)石井照久『商法概論』(勁草書房、1950)238頁は、監査役の役割のあり方について、「完全に業務関係の外にあって、実質的な監査を実施し得るかも疑問であり、且つ業務監査と会計監査の二つの異なった作用の発揮を期待することも無理であり、結局その、いずれの目的をも充分に実現し得ない体制に堕している。監査役制度改善の方向は、結局この制度を、このようなものとして強化することではなく(略)取締役会制度の採用と関連し、これらを専ら会計監査の機関として確立することであると考える。これを依然として常置の会社機関とするか、専門的な公認会計士による、いわば公的な監督(とりわけ決算監査)の方式とするかは、公認会計士制度の実質的確立と相俟って、考究すべき将来の課題である。」とする。(2)田中誠二『会社法』(青林書院、1956)296頁は、商法に基づく監査役監査と、証券取引法に基づく公認会計士監査が、日程及び内容の面で衝突するおそれがある問題について「証券取引法が監査役を持たないアメリカ会社法を前提としており、他方において改正商法は、イギリス流の監査役制度を採用していることにあるのであって、この衝突の解決策として、第一には、公認会計士制度の充実と被監査会社の受入体制を整備し、監査の能率化を図ることであり、第二には、監査役は公認会計士に限ることとし、その監査を証券取引法の定めている公認会計士の監査とみなすことであり、第三には、アメリカ法のように監査役を全廃することである。」とした上で、当時の状況を鑑みて第一の方法を推す。
[7] 商法274条2項
[8] 商法273条
[9] 商法261条ノ2第1項、第2項
[10] 1947年に設けられた企業会計制度対策調査会が策定。同調査会は、企業会計審議会の前身であり、1952年に大蔵省が所管し、後に、省庁再編により金融庁が所管した。
[11] 1950年9月「財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則(昭和25年証券取引委員会規則第18号)」。
[12] 後に全部改正されて「財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則(昭和38年11月27日大蔵省令第59号)」となった。
[13] 1950年7月、企業会計基準審議会第3部会が公表した。
[14] 1951年(昭和26年)3月8日「監査証明規則」証券取引委員会