被告人を殺人及び窃盗の犯人と認めて有罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決に、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとされた事例
被告人を殺人及び窃盗の犯人と認めて有罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決は、全体として、第1審判決の説示を分断して個別に検討するのみで、情況証拠によって認められる一定の推認力を有する間接事実の総合評価という観点からの検討を欠いており、第1審判決が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえず(判文参照)、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり、同法411条1号により破棄を免れない。
刑訴法382条、411条1号
平成29年(あ)第837号 最高裁平成30年7月13日第二小法廷判決 強盗殺人被告事件 破棄差戻(刑集72巻3号324頁)
原 審:平成28年(う)第24号 広島高裁松江支部平成29年3月27日判決
第1審:平成26年(わ)第20号 鳥取地裁平成28年7月20日判決
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本件は、被告人が、約2週間前まで店長を務めていたホテルの事務所で金品を物色中、支配人Aに発見されたことから、金品を強取しようと考え、殺意をもってAの頭部を壁面に衝突させ、頸部をひも様のもので絞め付けるなどして反抗を抑圧し、現金約43万2910円を強取し、その際、前記暴行により、Aに遷延性意識障害を伴う右側頭骨骨折、脳挫傷、硬膜下血腫等の傷害を負わせ、6年後に死亡させて殺害したとされる強盗殺人の事案であり、犯人性が争われた。
第1審判決(裁判員裁判)は、要旨、本判決2(1)~(4)の理由により被告人を本件の犯人と認定した上で、強盗の故意を否定して殺人罪及び現金約26万8000円の窃盗罪を認定し、被告人を懲役18年に処した。
これに対し、検察官は強盗殺人罪の成立を否定して殺人罪及び窃盗罪を認定した点の事実誤認を理由に、弁護人は被告人を殺人罪及び窃盗罪の犯人と認定した点の事実誤認等を理由に、それぞれ控訴したところ、原判決は、被告人を犯人と認定した第1審判決には事実誤認があるとして弁護人の控訴趣意をいれ、検察官の控訴趣意について検討することなく第1審判決を破棄し、被告人に対し無罪の言渡しをした。
本判決は、検察官の上告を受け、判決要旨記載のとおり原判決には刑訴法382条の解釈適用を誤った法令違反がある旨職権判示して原判決を破棄し、本件を原審に差し戻した。
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控訴審における事実誤認の審査方法に関しては、大きく分けて、①原判決の事実認定に論理則・経験則違反があることを事実誤認と捉える論理則・経験則違反説と、②第1審判決に示された心証ないし認定と控訴審裁判官のそれとが一致しないことを事実誤認と捉える心証優先説(心証比較説)の対立があると理解されてきたが、最一小判平成24・2・13刑集66巻4号482頁は、論理則・経験則違反説を採用することを明らかにした。以後、同判例が示した判断枠組みに沿った事例判例が積み重ねられており、本判決もその1つと位置付けられる。なお、最一小判平成26・3・20刑集68巻3号499頁は、刑訴法382条の解釈適用に関し、第1審判決が有罪の場合であっても、論理則・経験則違反説が妥当する旨を示しており、本判決も同様の理解に立っている。
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情況証拠による事実認定に関し、最一小決平成19・10・16刑集61巻7号677頁(平成19年判例)は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である。そして、このことは、直接証拠によって事実認定をすべき場合と、情況証拠によって事実認定をすべき場合とで、何ら異なるところはないというべきである。」旨判示した。さらに、最三小判平成22・4・27刑集64巻3号233頁(平成22年判例)は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要でなるところ、情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても、直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(平成19年判例参照)、直接証拠がないのであるから、情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。」旨判示した。
前記下線部の判示が情況証拠からの有罪認定に際しての何らかの新たな判断方法ないし基準を示したものか否かに関しては争いがあるが、平成22年判例の調査官解説(鹿野伸二・最判解刑事篇平成22年度79頁)は、「被告人の有罪方向を示す多数の情況証拠がある場合に、ややもすれば『被告人が犯人であるとすればこれらの情況証拠が合理的に説明できる』ということのみで有罪の心証を固めてしまうおそれがあることに対し、……警鐘を鳴らそうとしたものであって、有罪の立証レベルや判断方法の基準として新たなものを打ち出そうとしたものではないと理解すべきであろう。」とし、消極的見解に立っている。
なお、前記下線部の判示の理解に関する最も重要な対抗軸は、「本件判示のいうような事実関係の存在を、総合認定の結果として要求するのか、それとも、総合認定に参加している具体的な間接事実中に要求するのか」という点にある旨指摘する見解があり、現に後者の理解を明言するものもあるが、これに対しては、自由心証主義(刑訴法318条)に抵触すること、間接証拠による総合評価という概念を否定するに等しいこと等を理由に、否定的な見解も多く見られる。
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本判決は、「原判決は、全体として、第1審判決の説示を分断して個別に検討するのみで、情況証拠によって認められる一定の推認力を有する間接事実の総合評価という観点からの検討を欠いており、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものと評価することはできない」として、原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとした。具体的には、①本件犯人が現場事務所から少なくとも二百数十枚の千円札を奪取し、その約12時間後に被告人がATMから自己名義の預金口座に230枚の千円札を入金したという客観的事実自体の推認力を検討していない点、②千円札所持の経緯に関する被告人の説明が信用できないとした1審判決の理由の説示を分断し、理由をほとんど示さないまま、被告人の説明によれば1審判決の判断は不合理であるなどと結論付けている点、③被告人が本件発生時刻前後の40分間以上にわたり本件ホテル付近にいた事実の推認力について、千円札に関する間接事実との総合考慮を欠いている点の3点を挙げている。
一般に、情況証拠による事実認定は、(1)間接証拠による間接事実の認定、(2)認定された間接事実による要証事実の推認の2つの過程を経るものと理解されており、控訴審の事実誤認の審査もこれらの2つの過程に関する1審の判断に論理則・経験則違反がないか否かという観点から行うべきものと解されるところ、本判決は、原判決が(2)の観点からの検討を欠いている点で刑訴法382条に違反するとしたものである。この点に関し、原判決は、「状況証拠による犯人性の認定に当たっては、状況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要し、これに至らない間接事実をいくつ積み上げても、犯人性の立証には足りない」としており、その説示は、平成22年判例の前記下線部の判示にいう事実関係の存在を、総合認定に参加している具体的な間接事実中に要求する旨の前記見解に親和的である。しかし、平成22年判例は、「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ、情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても、直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度の差があるわけではない」旨判示した平成19年判例を引用しており、情況証拠による事実認定において要求される証明の程度について、平成19年判例と異なる判断を示したものではないことは、平成22年判例の判文上も明らかである。また、平成22年判例の前記説示において、「事実」ではなく「事実関係」とされていることからすれば、これが、決め手となる1個の事実の存在を求めるものではなく、複数の事実を総合判断した評価として、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれている」という心証に達することを求めているものと解される。このことは、例えば、個々の間接事実それ自体は被告人以外の者による犯行の可能性を否定するだけの推認力を有しないが、それらの間接事実が示す犯人の条件を同時に満たす者は被告人以外にはあり得ない場合を想定すれば、当然の理といえる。もとより、全ての間接事実を総合しても被告人以外の者による犯行であるとの合理的な疑いを差し挟む余地があるにもかかわらず、「被告人が犯人であることを前提とすれば全ての事実が矛盾無く説明できる」との一面的な評価のみをもって被告人を有罪とすることが許されないのは当然であり、また、およそ推認力の乏しい間接事実のみをいくら積み重ねたところで、「合理的な疑いを差し挟む余地のない」程度の証明に達することは想定し難いが、情況証拠による事実認定は、情況証拠によって認められる一定の推認力を有する間接事実を積極・消極の両面から総合評価することにより、「合理的な疑いを差し挟む余地のない」程度の立証に達していると判断できるか否かという観点から行うべきものであって、有罪の認定をする前提として、総合評価の基礎となる個々の間接事実それ自体が、「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)」という程度の推認力を有することは要しないというべきであろう。本判決は、情況証拠による事実認定に関して具体的な法理を明示したものではないが、原判断が是認できないとした具体的な理由を見る限り、少なくとも「平成22年判例がいう事実関係は、総合評価の前提となる具体的な間接事実中に存在する必要がある」旨の理解には立っていないものと解される。
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本判決は、事例判断ではあるが、以上のとおり、刑訴法382条の解釈適用及び情況証拠による事実認定の在り方に関し、新たな一事例を加えるものとして、重要な意義を有するものと思われる。
なお、本件については、差戻しを受けた控訴審において、被告人が強盗殺人の犯行に及んだことが優に認められるとして、これを否定した第1審判決を事実誤認により破棄し、第1審に差し戻す旨の判決(広島高判平成31・1・24公刊物未登載)が言い渡されている。