◇SH2820◇英文契約検討のViewpoint 第12回 複雑な英文契約への対応(11)、相手方案への対応(中) 大胡 誠(2019/10/10)

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英文契約検討のViewpoint

第12回 複雑な英文契約への対応(11)、相手方案への対応(中)

柳田国際法律事務所

弁護士 大 胡   誠

 バーゲニング・パワー

 しかし、どれほど精緻な論理を示しても(違法性の指摘の場合は別として)、相手方当事者が当方の修正に応じないこともある。当方の契約修正案を相手方当事者に受け入れさせて合意に至らしめるより根源的な推進力は、論理性ではなく、バーゲニング・パワー(bargaining power)であろう[297]。バーゲニング・パワーとは、一般的に言えば、交渉において相手方当事者に対抗できる力ということになろう。企業間の契約交渉について言うならば、交渉の対象となっているビジネスにおける当方あるいは相手方当事者の強みということになると思われる。たとえば、Distributorship Agreementの交渉において、当方(製造事業者)は製品Aについては低コストで高品質な製品を製造でき、その結果、今まで販売してきた主要国の市場で高いシェアを獲得できていることは強みになろう。一方、distributorとなり得る相手方当事者にとっては、対象地域の隅々まで販売網を持っており、消費者の認知度が高いことは強みとなろう。では、こうした強みと強みがぶつかって、互いに自分の契約案を譲らなくなったときにはどうなるのか。一般論としていえば、結局、バーゲニング・パワーが強い方の提案が押し切ることとなるが、では、その強さの根源は何であろうか。

 この点については、相手方当事者から見て他に選択肢のないポジションにいる当事者のバーゲニング・パワーが強いとの趣旨の指摘がなされている[298]。逆に言えば、当方にとって、当該ビジネスについての選択肢が相手方当事者しかないのであれば、相手方当事者からの契約案が些か理不尽でも、――場合によっては、厳密に検討すれば適法性に疑義を呈することのできる可能性があっても――受け入れざるを得なくなる。わかりやすい例は、巨大プラットフォーマー(GAFAなど)との取引であろう。ある会社がビジネスを始めたり、発展させたりするためには、既存の巨大プラットフォーマーのプラットフォームを利用したり、巨大プラットフォーマーを取引相手にしなければ競争相手に後れを取ってしまう。しかし、巨大プラットフォーマーからすれば、そこそこの企業でも取引相手候補(選択肢)の一つに過ぎない。巨大プラットフォーマーとの契約では、巨大プラットフォーマーの示す契約案に応ぜざるを得ない場面が多いであろう。まして個人であれば、読みもしない(読んでも理解が容易ではない)約款にyesのクリックをするほか選択肢はないであろう(日・米・欧の競争当局がGAFAを注視する所以である)[299]

 上記においては、わかりやすい例として巨大プラットフォーマーを挙げたが、しからざる個々の企業間の契約においても選択肢の多さはバーゲニング・パワーの大きさを左右する。注意すべきことは、契約交渉の当事者となる会社が大企業であっても、常にバーゲニング・パワーにおいてより小さい会社を凌駕するわけではないことである。当該契約の交渉においては、その交渉に関する一定の所与の条件により、大企業といえども選択肢が絞られてしまうことは少なくないことが指摘されている。大企業に納品する部品のメーカーが中小企業であっても、その部品の製造に特殊な技術や熟練した労働者(職人)が必要であったり、納品先の大企業がその部品の製造を他社に移そうとしても、時間やコスト(設備の費用やノウハウ伝授の手間や困難さ)がかかったりする場合には、部品メーカーである中小企業に(少なくとも限られた期間は)選択肢がある場合がある。さらに、こうした選択肢の所在は、契約交渉の状況に従って自社と相手方の間を変転するものと思われる。

 企業がいかなるバーゲニング・パワー(すなわち選択肢)を有しているかは、多くの場合、企業がその関連する市場においていかなるポジションにあるかに依るから、(企画部も含めビジネスサイドとの意味で)事業部門の問題であって法務部は関係ないと考える方もいるであろう。確かに、市場におけるポジションは事業部門によって作り上げられるものであろう。しかし、当該契約交渉において自社がどのようなバーゲニング・パワーを有しているのか(あるいは有していないのか)について、契約の修正案を作成する法務部がよく理解しなければ、相手方当事者案の主要部分を拒否するのか、相手方当事者案を受け入れるのか、それとも両当事者の妥協案を模索していくのか適切な判断はできず、状況に適切に応じた相手方当事者案の修正や対案の作成はできないであろう。

 ● 具体的な修正のステップ

 相手方当事者案に対する修正案をどのような社内手続を経て固めるかは、各社ごとに異なるところがあろう。事業部門と法務部の間のコミュニケーションとしては、法務部において相手方当事者案を分析すれば、その契約案に立った場合、当方のビジネス目標の達成にどのような支障(リスク)が生じるかがわかるから、まず、法務部はこれを事業部門と共有する。特に、スキーム自体に違法性があるときには案件自体が立ち行かなくなる可能性が大きいので速やかな伝達が必要である。そのうえで、事業部門と法務部で協議の上で修正案を作成する。その際には、両当事者のバーゲニング・パワーを勘案し、また、当方の修正案についてその正当性を明確にできるようにすべきことは、上記のとおりである。

 修正案の作成においては留意点がいくつかある。

 (ⅰ)複数の条項案の考慮

 その一つ目は、条項の修正中、重要なポイントについては、当方の修正案として最初に提示する条項案のほか、いくつかの他の条項案も考えておくことである。

 いくつかの他の条項案も考えておくことは、自社のビジネス目標達成のための交渉に柔軟性を持たせることになる。ビジネス目標を確保するための条項案は複数あり得る。相手方当事者が、一定の懸念事項があるため当方の最初の修正案を拒否したとしても、当方が他に準備していた修正案にその懸念事項がないのならば、その修正案には合意をするかもしれないし、当方としては当該他の修正案には相手方当事者が説明した懸念事項がないことを理由にその修正案を受け入れるべきことを相手方当事者に迫ることができよう。

 たとえば、当方(日本企業)を少数株主、現地企業を多数株主とするJoint Venture Company を設立する場合、当方が当該JVにおいてその利益を守る方法には、まず、設立されるJVたる現地会社の株主総会や取締役会の可決要件を定款上厳しくして、実質的には当方の同意がなければ現地会社がJVを動かすことができないようにすることが考えられる。しかし、会社の(法律上必要かつ重要な)組織自体のあり方に変更を加えることについては、現地企業はJV運営全般に支障が生じる恐れを理由にこうした提案に応じないことも少なくなかろう。これに対して、当方の懸念する会社運営の重要事項を絞り、当該重要事項についてのみ決議要件を加重したり、または、当該重要事項について両当事者の事前の合意が必要であるとの契約上の義務を定めたりすることであれば、現地企業の懸念も低減し、合意に至る余地が増えよう。

 (ⅱ)ボトムラインの設定

 その二つ目は、他の条項案の考慮と対になるが、特に重要なポイントについては、これは必ず確保するというボトムラインを決めておくべきことがしばしば指摘される。ボトムラインをあらかじめ定めておかなければ、バーゲニング・パワーで劣る場合、契約を成立させたい一心でずるずると譲歩してしまい、当方にとって利益のない、あるいは有害な契約ができてしまう恐れがある。また、ボトムラインを守りさえすれば柔軟に交渉できることともなる。ボトムラインを定めるとは、それについてさえ相手方当事者が合意してくれないのならば、契約交渉を決裂させるラインを定めることである。契約交渉を決裂させれば潜在的なビジネスは一つ減る。しかし、契約、特に英文契約(≒国際契約)は署名して成立させてしまえば、その後は、基本的にそこに記載されている条項がビジネスをコントロールしていくのであるから、不適切と考えた条項が契約として残るより、思い切って決裂させる方が好ましいことが多いのではなかろうか。

つづく



[297] バーゲニング・パワーの議論については、些か古い文献ではあるが、坪田潤二郎『国際交渉と契約技術』(東洋経済新報社、1983)74~94頁参照(ただし、同書は「バーゲイン・パワー」と表記している)。

[298] 坪田・前掲注[297]78頁参照。また、企業間の競争における優位性と市場でのポジショニングについては、マイケル・E・ポーター(土岐坤ら訳)『競争の戦略』(ダイヤモンド社、1995)、同(竹内弘高監訳)『競争戦略論 1〔新版〕』(ダイヤモンド社、2018)を参照。

[299] たとえば、EU当局の2019年3月20日付プレスリリース(GoogleにEU競争法違反を理由に14億9000万ユーロの制裁金)https://europa.eu/rapid/press-release_IP-19-1770_en.htm参照。ビジネスとしてのプラットフォームについては、McAFEE、BRYNJOLFSSON(村井訳)・前掲注(5)、ALEX MOAZED、NICHOLAS L. JOHNSON(藤原朝子訳)『プラットフォーム革命』(英治出版、2018)参照。また、産業組織論からの論稿としては、小田切宏之『イノベーション時代の競争政策 研究・特許・プラットフォームの法と経済』(有斐閣、2016)196~265頁、同『競争政策論〔第2版〕』(日本評論社、2017)211~229頁参照。

 

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