法のかたち-所有と不法行為
第十話 所有権法と不法行為法-請求権の構成
法学博士 (東北大学)
平 井 進
2 反古典派による構成
万人の不作為義務という構成は、どのようなことであろうか。訴訟において機能する請求権にはその源泉としての「実体的」な権利があり、そこから請求権が演繹されると観念するとき、その権利は義務者が特定される前から存在することになる。従って、義務者を特定しない(できない)という形式において、「実体的」な権利の要請は、万人に対する請求権=万人の不作為義務という構図をとることになる。
しかし、第二話で述べたように、「人と物の関係」から「人と人の関係」を演繹することは論理的にできないので、そもそもそのように演繹するための「実体的」な権利というものを構成することはできない。
このように、反古典派がすべての法関係を「人と人の関係」とするのであれば、理論的にはこのような法概念の演繹の不可能性をこそ批判すべきであったが、自らも「実体的」権利概念の上で議論していたために、上記のような特定の義務者への訴権に直接つながらない請求権概念という構成をとることになる。この考え方は、学説として勢いを得ることはなかった。
万人の不作為義務ということであれば不法行為も同様であるが、この場合は「人と保護対象の関係」の「実体的」な権利から「人と人の関係」を演繹するという構成をとっていないので、上記のような理論的な問題が生ずることはなかった。
なお、ドイツのトーンは1878年の『法規範と権利』において、権利とは保護される利益や目的ではなく、受益を可能にする保護手段であり、錠が守ることとそれにより守られる貯蔵庫が同じではないように、保護手段とそれにより保護されるものは同じではないと述べている。[1]これは、「実体権」概念によらずに請求権という法作用をいうものとして、所有と不法行為を含めて妥当している。
[1] Vgl. August Thon, Rechtsnorm und subjectives Recht : Untersuchungen zur allgemeinen Rechtslehre, 1878, S. 218 f. 末川博「権利侵害論」(初出は1930年)『権利侵害と権利濫用』432-437頁、来栖三郎「民法における財産法と身分法(三)」『来栖三郎著作集 I』(信山社出版, 2004)311-312頁、奥田・前掲79-84頁。同様のことをフランスのドゥモーグも述べている。Cf. René Demogue, Les notions fondamentales du droit privé: essai critique pour servir d’introduction à l’étude des obligations, 1911, pp. 405-440. 佐賀・前掲(三)71-72頁。