◇SH0710◇法のかたち-所有と不法行為 第十六話-2「古代・中世の定住商業における所有権の観念化」 平井 進(2016/06/24)

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法のかたち-所有と不法行為

第十六話 古代・中世の定住商業における所有権の観念化

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

2  中世の商業革命-所有権概念の革命

 前述のように所有が観念化すると、占有せずに担保して金融を行う抵当も行われるようになる。抵当をいうhypotheca(仮想という意味)がギリシャ語であるように、このシステムはギリシャ法の影響を受けていたとされる。[1]

 また、上記のように各地に代理人を置くことにより、為替手形も現れる。このシステムは、遠隔地に現金を送る代りに、同様の効果を出す金融である。例えばヴェネチアからアレクサンドリアに送金しようとする場合、ヴェネチアにおいて商人Aが商人Bから借入をして手形を発行し、一方、Bがその手形をアレクサンドリアの代理人[B]に送り、またAも同地の代理人[A]にその手形が提示されれば支払うように指示するというものである。この仕組においては、Bがヴェネチアからアレクサンドリアに送金するのと同じ効果をもつ。

 前述のように、[A]がAの代理人として広汎に商業活動を行っていれば、そのことによって資金をもっており、それらはすべてAの権限内にある。[2]なお、為替手形は東地中海貿易では8世紀頃には見られており、これも東地中海地域において発達したシステムであった。[3]

 前述の海上貿易において、荷送人が荷受人に荷物とは別に船積書類を送るにあたり、その後、荷送人がその書類を銀行に渡して為替を組むようになり、今日見られるように、これらの手続は一体化して船積書類は船荷証券となる。[4]

 複式簿記のシステムもこの時代に現れている。[5]その依託売買の会計において、業務を依託された代理人はその他者商品勘定において「〇〇(委託者)の勘定になる△△(物品)」として、委託者の所有であることを記載していた。[6]デ・ルーヴァは、複式簿記ができた要因として、信用・組合・代理の三つを挙げているが[7]、商品を所有したまま代理人に売買取引を依託する慣行が、誰の所有であるかを区分する商品勘定を生成させている。

 ロバート・ロペスは中世の商業革命を10-14世紀に起きたとしているが[8]、以上のような定住商業を基準とすると13-14世紀頃がその中心時期となる。その商業革命における大きな要因は、所有権の観念性(およびそのような対象を取引する契約の観念性)にあったと見ることができる。第一話で見たような法学者による観念的な所有権(ドミニウム)と異り、実際の商業活動における観念性は、それが「必要かつ有益」であることに意義があった[9]

 前述の非占有の所有権の理論モデルからすると、中世の商業革命は、法的には「所有権概念革命」であったと見ることができる。このようにして見ると、地中海世界において最も古い法の一つであった海商法は、古代・中世における私法の(観念性の故に技術的な)発達に最も寄与していたことになる。[10]

 ゲーテはその『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(1796年)において、ヴィルヘルムの友人に複式簿記について「人間の精神が産んだ最高の発明の一つ」であると語らせている。[11]しかし、法律家として始めたゲーテがもし上記の「所有権概念革命」について認識していれば、そのことについて述べていたであろう。



[1] 参照、船田享二『ローマ法 第三巻』(岩波書店, 改版1970年)674-677頁。実際に、アテネで抵当に関する資料が発掘された。Cf. J.V.A. Fine, Horoi: Studies in Mortgage, Real Security, and Land Tenure, 1951; M.I. Finley, Studies in Land and Credit in Ancient Athens, 500-200 B.C.,1985.

[2] 本店と複数の支店の間の活動のダティーニ商会の一例として、オリーゴ・前掲, 138頁を参照。なお、為替手形は利子を隠す手法としても用いられていたが、教会が禁止していた利子(徴利)と為替の関係について、大黒俊二『嘘と貪欲-西欧中世の商業・商人観』(2006, 名古屋大学出版会)第8章を参照。

[3] Cf. Alfred E. Lieber, “Eastern Business Practices and Medieval European Commerce,” The Economic History Review, 21 (2), 1968; Benjamin Geva, The Payment Order of the Antiquity and the Middle Ages: A Legal History, 2011. ヨーロッパでは12世紀のジェノヴァから見られる。中世イタリアの為替取引の例について、山瀬善一「西洋中世後期における《為替取引》の経済的機能とその意義」国民経済雑誌, 120 (5) (1969)13-14頁を参照。

[4] 例えば、大崎正瑠『詳説・船荷証券研究』(白桃書房, 2003)を参照。

[5] 中世イタリアにおける複式簿記の発展について、泉谷勝美『スンマへの途』(森山書店, 1997)を参照。なお、簿記において、従来のローマ数字から14世紀頃にアラビア数字が用いられるようになるが(同58-61頁)、このことも新たなシステムの東方由来を示しているようである。

[6] 参照、泉谷・前掲, 213-219頁。

[7] 参照、泉谷・前掲, 223-224頁。Raymond de Roover, Business, Banking and Economic Thought in Late Medieval and Early Modern Europe, 1974, p. 122.

[8] Cf. Robert S. Lopez, The Commercial Revolution of the Middle Ages, 950-1350, 1971.

[9] 「必要性(necessitas)と有益性(utilitas)」という概念は、13世紀のフランシスコ会のピエール・ド・ジャン・オリーヴィ(Pierre de Jean Olivi)が商業活動を肯定するにあたってとった観点であった。大黒・前掲, 序章を参照。

[10] このことは、中世の商人の法とされるlex mercatoria (law merchant)が、一般私法とは別に独自の世界として存在していたのかという問題と関係する。例えば、次を参照。 Emily Kadens, “The Medieval Law Merchant: The Tyranny of a Construct,” Journal of Legal Analysis, (June 26, 2015). 1473年のイギリスのStar ChamberのChancellorによって論じられていたように、law merchantは自然法である (p. 4)。

[11] ゲーテ(山崎章甫訳)『ウィルヘルム・マイスターの修業時代(上)』(岩波書店, 2000)54-55頁。J.W.von Goethe, Wilhelm Meisters Lehrjahre, 1796, S. 37, “eine der schönsten Erfindungen des menschlichen Geistes.” ゲーテは、1780年前後の時期にヴァイマル公国の宰相であり、その時代に会計のことを知ったのであろう。

 

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