◇SH0718◇最一小判 平成28年4月21日 損害賠償請求事件(櫻井龍子裁判長)

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 本件は、大阪拘置所に未決勾留されていたXが、同拘置所医務部の医師において、Xの当時の身体状態に照らして不必要な処置を実施したことが、拘置所に収容された被勾留者に対する診療行為における安全配慮義務に違反し債務不履行を構成するなどと主張して、国であるYに対し損害賠償を求めた事案である。国が、拘置所に収容された被勾留者に対し、未決勾留による拘禁関係の付随義務として信義則上の安全配慮義務を負うか否かが争われた。

 

 事実関係の概要は、次のとおりである。
 Xは、平成18年10月に逮捕、勾留され、平成19年3月、神戸地裁において、建造物損壊罪で懲役1年の判決を受け、これを不服として控訴し、同年5月10日、大阪拘置所に移送され、同拘置所に収容されていた。
 大阪拘置所医務部の医師は、平成19年5月14日、Xが11食連続して食事をしておらず、同拘置所入所時と比較して体重が5㎏減少しており、食事をするよう指導をしてもこれを拒絶していることから、このままではXの生命に危険が及ぶおそれがあると判断し、Xの同意を得ることなく、鼻腔から胃の内部にカテーテルを挿入し栄養剤を注入する鼻腔経管栄養補給の処置を実施した。その後、カテーテルを引き抜いたところ、Xの鼻腔から出血が認められたので、医師の指示により止血処置が行われた。

 

 原審(判タ1408号97頁、判時2239号74頁)は、拘置所に収容された被勾留者に対する診療行為に関し、国と被勾留者との間には特別な社会的接触の関係があり、国は、当該診療行為に関し、安全配慮義務を負担していると解するのが相当であると判断して、Xの請求を一部認容した。
 これに対し、Yが上告受理申立てをしたところ、最高裁第一小法廷は、判決要旨記載のとおり判断して、Xの請求を棄却した。

 

 (1) 本件で問題となる「安全配慮義務」については、従前は明文の規定がなく(ただし、現在は労働契約法(平成19年法律第128号)5条にこれに関する規定がある。)、主として雇用契約又は労働契約の分野において議論がされ、判例の積み重ねによって発展してきたものである。最三小判昭和50・2・25民集29巻2号143頁は、「安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められる」として、「国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っている」と判示した。この安全配慮義務は、その後の判例によってその内容が明確にされていったが、消滅時効の期間以外については不法行為責任と基本的に変わるところがない旨の指摘も多い(例えば最近の文献として中田裕康『債権総論〔第3版〕』(岩波書店、2013)118頁等)。
 学説上、「安全配慮義務」は、契約上の義務(債務不履行責任)として捉えられることが多いが、その根拠については、大別して、①相手方を危険にさらす接触関係を重視して債務不履行責任を導く見解と、②給付内容を中心とする契約内容との関連を重視して債務不履行責任を導く見解とがみられる(高橋眞「安全配慮義務の性質論について」奥田昌道先生還暦記念『民事法理論の諸問題(下)』(成文堂、1995)275頁)。
 最高裁判例において信義則上の安全配慮義務の適用が明確に認められたものとしては、雇用契約、公務員関係、元請企業と下請企業の労働者の関係等があり、いずれも雇用関係ないしこれに類似するものといえる。下級審裁判例においては、上記の雇用契約及び公務員関係のほか、私立学校の在学契約及び国公立学校の在学関係等、広い分野で安全配慮義務の適用がみられる。
 (2) 受刑者等を含む強制的な収容関係に係る安全配慮義務の適用の有無について詳論した文献は多くないが、適用を肯定する場合(肯定説)の根拠としては、収容施設の設置管理者には法律に基づいて被収容者が最低限の生活を送ることができるようにすべき義務があることを捉えて「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」に当たることなどが挙げられている。また、適用を否定する場合(否定説)の根拠としては、施設収容は法律上の規定に基づくものであり、そこでは収容施設の設置管理者と被収容者との契約関係が存在せず、収容施設の設置管理者の基本的な給付義務というものを想定するのは困難であることや、収容施設が負う被拘束者の身体・生命の安全を保護すべき責任ないし義務は身柄拘束に伴う国・地方公共団体の強制力行使に本来的に内在する一般的な義務であって、国・地方公共団体と被拘束者との関係は自由な意思に基づくものではないから、そこに契約関係又はこれに類似する法律関係を構成することは困難であることなどが挙げられている(高橋譲「安全配慮義務」伊藤滋夫編『民事要件事実講座 第3巻』(青林書院、2005)485頁、星野雅紀「安全配慮義務とその適用領域について」下森定編『安全配慮義務法理の形成と展開』(日本評論社、1988)44頁等)。
 被勾留者や受刑者等について信義則上の付随義務としての安全配慮義務の適用があることを認めた最高裁判例は見当たらないが、これを認めた下級審裁判例として大阪高判平成24年10月25日判時2175号23頁等がある。

 

5 検討

 (1) 上記のとおり、安全配慮義務の根拠としては、契約的接触関係を重視する見解と、契約内容との関連を重視する見解とがみられる。しかしながら、前者については、接触関係に内在する危険の実現によって侵害される権利利益を保護すべきであることには異論がないとしても、それは不法行為責任を認めることによっても保護できるのであって、信義則上の付随義務としての責任とされるべき理論的根拠を当然に与えるものではないように思われる。
 むしろ、その不履行が損害賠償責任を生じさせるという安全配慮義務の性質からすると、安全配慮義務を生じさせる法律関係といえるかどうかは、当該法律関係の発生する原因やその性質、内容等に照らして判断されるべきものではないかと考えられる。そして、通常このような関係が認められやすいのは契約関係である一方、必ずしも当事者間に直接の契約関係がなくともよいといえる。本判決は一般論を述べるものではないが、未決勾留関係の発生する原因やその性質、内容等を検討して結論を導いていることからすると、上記のような見解を前提としているものと解される。
 (2) 未決勾留は、刑訴法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被勾留者の身体的行動の自由を一方的に制限するというものである。そして、この関係は当事者の合意によって作出されるものではなく、勾留の裁判に基づき被勾留者の意思にかかわらず形成され、その法律関係は、刑訴法や、平成18年法律第58号による改正前の刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律(本件当時)、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(現在)等の法令によって規律される。これらの法令の解釈として、国に疾病の治療等、一定の責務が課されることがあるが、これは、被勾留者の身体的行動の自由を制限するための国の強制力行使に本来的に内在する一般的な義務ということができるのであって、国が被勾留者に対し一定の義務を負うことが勾留の目的ではないし、勾留の目的達成のために必要なわけでもない。また、被勾留者も、自らの義務の履行として収容されているわけではなく、法律により身体的行動の自由を強制的に制限された状態あるいは結果として収容されているにすぎず、被勾留者による義務の履行といった場面も想定し難い。そうすると、このような関係から、安全配慮義務が生ずるということは困難なように思われる。本判決も、このような考え方に立って、国は、拘置所に収容された被勾留者に対し安全配慮義務を負うものではないとしたものと思われる。
 なお、実務上、「安全配慮義務」という言葉は、本件のような信義則上の付随義務を指す場合と、不法行為責任(国家賠償責任を含む)を基礎付ける注意義務を指す場合とがあり得るところ、本判決は飽くまでも前者について未決勾留関係に適用がないとしたものにすぎない。本判決は、括弧書きにおいて、一般論として未決勾留関係につき国家賠償責任の適用があることに言及しており、未決勾留において被勾留者に対し適切な処遇がされるべきことはいうまでもない。

 

 本判決は、未決勾留における安全配慮義務の適用の有無について最高裁が初めて明示的に判断を示したものであり、安全配慮義務の適用の範囲に係る判断の先例として実務上も理論上も重要な意義を有するものと考えられる。

 

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