◇SH1111◇企業法務への道(4)―拙稿の背景に触れつつ― 丹羽繁夫(2017/04/14)

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企業法務への道(4)

―拙稿の背景に触れつつ―

日本毛織株式会社

取締役 丹 羽 繁 夫

《日本長期信用銀行証券部の頃》

 日本長期信用銀行では、入行する半年程前に、入行内定者に対して、配属を希望する部署のアンケート調査が行われていた。私は、龍田ゼミでのテーマが旧証券取引法に係わるものであり、同行自体金融債の発行を通して証券業務に深い関わりを持っていたこと、当時の銀行で証券部を有していたのは、同行の他、旧日本興業銀行及び旧三井銀行のみであり、同部の業務が面白そうに思われたことを理由に、証券部への配属を希望したところ、希望どおり、1971年4月に証券部に配属された。

 当時の証券部は、新規業務の調査・企画を担当する調査・企画担当、公社債の売買を担当する公社債担当、取引先の株式公開を促し、当該取引先の依頼に基づいて株式上場を支援する株式担当、公社債の受託業務[1]を担当する受託担当の4班体制が採られていた。私は、当初3か月程、公社債担当に所属し、公社債の現先取引(買戻し条件付き売買)の利回り計算の実務を学んだ。当時は未だパソコンはなく、簡単な計算機能の付いた、イタリア・オリベッティ製のタイプライターで利回り計算を行っていた。その3ヵ月後の71年7月に調査・企画担当に配属された。

 調査・企画担当での最初の仕事は、当時はまだ無名で、その後著名なウォール街のエコノミストになられたヘンリー・カウフマン氏が毎週執筆されていた”Bond Weekly Roundup”という週間のニューズ・レターを翻訳し、証券部内で報告することであった。同氏はその後米国国債取引をほぼ仕切ることができるまでの大投資銀行に成長したSalomon Brothers[2] に所属されていたが、71年当時は同社もまだボンド取引のブティック・ハウスに過ぎなかった。



[1] 公社債の受託業務については、平成5年商法改正により、後述の社債発行限度規制の撤廃とともに、「募集の受託会社制度が期中における社債権者保護に役割を純化された社債管理会社の制度に改められ」(江頭憲治郎『株式会社法〔第5版〕』(有斐閣、2014年7月)726頁)、現行の社債管理者制度に至っている(会社法702条)。

[2] 現在はCiti Groupの投資銀行部門になっている。

 

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