◇SH1406◇実学・企業法務(第81回) 齋藤憲道(2017/09/25)

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実学・企業法務(第81回)

第2章 仕事の仕組みと法律業務

同志社大学法学部

企業法務教育スーパーバイザー

齋 藤 憲 道

 

企業法務の形成とその背景

 近年、企業において法律業務の重要性が認識されるようになったのに伴い、多くの企業で法務機能の組織化が進んだ。

 この組織編成は、(1)株主総会・取締役会・国内標準取引契約(販売・仕入等)・遵法活動・国内訴訟等を主業務として、日本の法律に精通した社員が中心になって行う「国内法律専門業務」、及び、(2)外部専門家[1]を起用しつつ自ら外国語を駆使して国際契約・海外事業拠点構築・通商規制対応・国際訴訟等を行う「国際ビジネス業務」、の2種類の業務を中心にして行われる例が多い。

 以下に、この2種類の業務を詳述する。

 なお、法務部門が担当する業務の種類や範囲は、それぞれの企業の業種・発展過程・規模・組織形態等によりさまざまであることに留意されたい。

 

1)国内法中心の法律専門業務(法律に基づく業務遂行を促す法律専門家としての法務)

 日本では、近代化が進んだ頃から法治社会が徐々に形成された。すでに明治時代には、憲法(1889年)、民法(1890年)、商法(1899年)等の主要な法律が公布され[2]、知的財産権制度を定める商標条例(1884年)や専売特許条例(1885年)も公布されている。

 第2次世界大戦直後に独占禁止法が制定(1947年)され、高度経済成長期に入って公害対策基本法[3]が公布(1967年)等されたが、法治国家としての基盤は100年以上かけて徐々に形成された[4]ので、近年の開発途上国のように法律施行に伴って経済活動が混乱することはほとんどない。企業の業務には多くの法令が関係しているが、日常業務の作業プロセスの中に法令遵守の仕組みが組み込まれているので、社員が法律を直接意識して業務を行うことは少ない。

 しかし、会社の定款変更、機関設計、役員選任、事業再編、経営情報開示等の分野については、法令で実施手続や行為規制が詳細に定められ(それも頻繁に変更される)、逸脱すると直ちに株主総会の決議無効や役員に対する損害賠償請求等の訴訟が提起されるおそれがあるので、法律に詳しい社内専門達が役員を補佐してきた。

 国内法務の担当者の多くは、文書作成能力及び国内法の高度な理解力を有し、契約書作成・債権回収・取引先管理・消費者問題・訴訟追行等の実務にも優れている。

そこで、この業務の担当者を母体として法務部門を編成した企業が多い。

 

2)国際ビジネス業務(経営のグローバル化に対応するための法務)

 日本企業に法務機能が定着したもうひとつの要因は、企業活動のグローバル化対応にある。1955~65年代(昭和30~40年代)には輸出型の企業が多く、この時期の企業の主な法的関心事は、輸出相手国における代理店契約や商品の不具合への対応等であった。この段階は、外国に異文化や異なる商慣習が存在することを理解し、販売面で致命的なトラブルが生じないようにすることが課題で、米国で独占禁止法が厳しく運用されること等が新鮮な情報として紹介された。この頃、外国からの技術導入が積極的に行われ、英文契約が増えた。

 1970年代に日本企業の製品が品質とコストの両面で国際競争力をもつようになると、欧米諸国と日本企業の間でダンピングや移転価格等をめぐる紛争が相次いで発生した。輸入国でダンピングが認定され、輸出国に高率のダンピングマージンが賦課されると、それまでの輸出拠点から製品輸出を継続することが不可能になり、工場の稼働が停止して雇用を維持できなくなる重大な経営危機に直面する。ダンピング問題が懸念される業界では、多くの企業が代替市場の開拓に力を入れ、新製品開発や部材の国際調達を推し進めた。

 日本の最大の輸出国であった米国との間では、さまざまな産業で厳しい通商交渉が繰り返され、日本側の自主規制や米国側の輸入規制等が行われた。

  1. (注1) 日米通商交渉の経過
     業界単位で行われた日米交渉は、1970年~72年の繊維交渉(日本が自主規制[5])、68~78年の米国鉄鋼輸入規制対応(数次の対米輸出自主規制、76年のOMA[6]〈市場秩序維持協定〉を経て、78年からトリガープライス制度を導入)、77年~88年の3次にわたる牛肉・オレンジ交渉(日本が輸入枠撤廃、関税率引下げ)、77年のカラーTVのOMA締結、70年代~93年の自動車問題(日本が自主規制、日本が北米で完成車生産、米国車の日本販売網増強等)、85年~91年の半導体協議(86年の第1次日米半導体協定で日本が外国製半導体の輸入を拡大・ダンピング防止等[7]。91年の第2次日米半導体協定では日本市場における米国製半導体シェア20%を明記[8])、87年~90年の人工衛星・スーパーコンピュータ・林産物問題(米国がスーパー301条[9]に基づいて日本の市場開放を迫り、書簡交換)、93年~96年の保険協議(免許・商品認可基準の明確化等につき日本側の自主的措置、公取委による業界調査・料率と約款等の合意)のように、日本の国際競争力が強くなった産業や日本で魅力的な市場が形成された産業について、陸続と長期にわたって行われた。

 1985年にプラザ合意が成立して円高が誘導されると、生産拠点を日本から海外に移す企業が増えた。製造・材料調達・品質管理・設計等の機能の現地化は、大規模な人材・資金の投入を伴うため経営リスクが大きく、現地の法律や商慣習に精通した人材の確保が欠かせない。

 また、米国では1980年代のプロパテント政策を反映して、特許侵害の損害賠償金額が高騰する等、法律(訴訟を含む)が事業運営に大きな影響を与える場面が増えた。

  1. (注2) 日米構造問題協議
     1989年~90年に行われた日米構造問題協議[10]は、日米間の国際収支不均衡の縮小に向けた両国の努力・措置に関する双方向協議であり、90年の最終報告書には、(1)日本側の措置として貯蓄・投資パターン、大規模小売店舗立地法改正等の流通、独禁法の運用強化等による排他的取引慣行、系列関係、価格メカニズムが示され、(2)米国側の措置として貯蓄・投資パターン、企業の投資活動と生産力、企業行動、政府規制、研究・開発・輸出振興、労働力の教育・訓練が示された。

     
  2. (注3) 日米包括経済協議
     1993年の日米包括経済協議においては、既存の日米間の調整をすべて包含し、(1)政府調達(電気通信、医療技術)、(2)規制緩和及び競争(保険、金融サービス)、(3)主要セクター課題(自動車・自動車部品)、(4)経済的調和(投資、特許の英語出願等)、(5)既存の措置等の実施(板ガラスの輸入促進等)について合意が行われた。

     
  3. (注4) 日米経済パートナーシップ
     2001年~09年にかけて、成長のための日米経済パートナーシップが設けられ、次官級経済対話・規制改革・競争政策・貿易・投資・財務金融・官民会議等の対話が行われた。規制改革・競争政策では、電気通信・情報技術・エネルギー・医療機器及び医薬品・金融サービス・競争政策・透明性その他の政府慣行・法務サービス及び司法制度改革・商法・流通等が主な分野とされた[11]

 このように、通商問題に直面しつつ、企業経営のグローバル化が進んだ。この間、企業では、国際的な法律案件に外国語(主に英語)を用いて対応する国際ビジネス法務が定着し、これが法務部門を組織するときに母体になった企業も多い。

 今日、グローバル企業では、海外案件を、日本人社員が海外の有力法律事務所に直接依頼して処理している。また、外国人社員(外国弁護士を含む)を社員として日本の法務部門に配置する企業も珍しくない。



[1] 事業を行う現地国の弁護士、または日本のいわゆる渉外弁護士等。

[2] これに対して中国は今でも「人治国家から法治国家へ」の転換期にあるといわれる。

[3] 1993年に環境基本法に統合されて廃止された。

[4] 有斐閣の六法全書は、創刊時の昭和23年版では300余の法令を収録しA6版で1,666ページであったが、平成27年版は863件の法令を掲載し6,538ページである。

[5] 1955年に日米繊維協定が締結されている。

[6] Orderly Marketing Agreement

[7] 1985年に米国半導体産業協会(SIA)が、日本の半導体メーカーの行為が不公正な貿易慣行に該当し通商法301条に違反するとしてとしてUSTR(米国通商代表部)に提訴し、続いて日本製DRAM等をアンチ・ダンピング提訴したのを受けて1986年9月に第1次日米半導体協定が締結されたが、その実施が不十分だとして、米国が1987年4月17日に1974年通商法301条に基づいて、半導体事業と直接の関係がないパソコン・カラーTV・電動工具に対して100%の相殺関税を課した。翌日、日本政府はGATTに2国間協議を提訴。

[8] 日本市場における米国製半導体のシェアは、1993年に20%を超え、95年に25%を超えた。

[9] 1988年に米国で制定された「包括通商・競争力強化法(Omnibus Foreign Trade and Competitiveness Act)」は、1974年通商法301条を改正するとともに、スーパー301条(Super 301 Provisions of the 1988 Omnibus Trade Act)を定めた。後者は、 USTR に対して、外国の不公正な貿易慣行を議会に報告させ、貿易障害の除去交渉を行って1年後に結論を得ない場合は、対抗措置を取ることを義務付けている。

[10] Structural Impediments Initiative

[11] 日米間の「規制改革及び競争政策イニシアティブ」に関する日米両首脳への第3回報告書(2004年6月8日)

 

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