インタビュー:法学徒の歩み(4・完)
東京大学名誉教授
伊 藤 眞
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
前回(第3回)は、伊藤眞教授から、アメリカ留学において学ばれた「証拠法」と「倒産法」が基礎となり、数多くの論文を公表されて、それに伴う議論を踏まえて民事手続法の体系書を執筆なされた研究姿勢と、「平均以下の学生の理解度を引き上げるのが授業の目的である」という教育姿勢をお伺いしました。最終回となる今回(第4回)では、伊藤教授が、東京大学教授を退官後に弁護士登録をなされた経緯や「もしも、学者の道を選ばなかったら、どんな裁判官や弁護士になっていたでしょうか」といったお話をお伺いしました。
(問)
ところで、論文の執筆方法ですが、アメリカ留学中は、まだ、ワープロは普及していませんでしたか。
- アメリカには、原稿用紙を持って行くのを忘れてしまいました。わざわざ原稿用紙を日本から取り寄せるのは、時間もかかりますし、貧乏暮らしでしたので、アメリカでも手に入る紙を探して見つけたのが、グラフ用紙でした。原稿よりもマス目が小さいのですが、原稿用紙代わりにしていました。当時は、まだ老眼ではなかったので、小さいマス目でも大丈夫でした(笑)。
-
そして、留学中にグラフ用紙に執筆していたものを、帰国後に、NBLなどの法律雑誌に掲載していただきました。
(問)
手書きからワープロへの移行に支障はありませんでしたか。
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アメリカにいた時に、研究メモをとるときに、英文タイプライターを使っていましたので、ローマ字入力のブラインドタッチには抵抗がありませんでした。
(問)
手書きでの執筆からワープロに変わって、文章の書き方に影響はあると思いますか。
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手で一文字一文字書くのに比べたら、文章が安易になる傾向はあるかもしれません。手で書いていたら、同じ言い回しが出てくれば必ず気付くのに、ワープロでは気付かないとか、いろいろ問題がありますね。ですから、原稿を電子データで渡しても、印刷していただいて、必ず校正刷りで紙面上の文字として見直すことが不可欠です。
(問)
他の方が書かれた論文等を読む情報収集は、現在も続けられているのでしょうか。
- はい、自分の関心があるテーマに関する論文は、一通り目を通すように心がけています。幸い、法律事務所の図書室によるコンテンツ・サービスがありますので、毎週、法律雑誌の目次を確認して、自分用のデータベースのカードにメモするようにしています(伊藤眞『続・千曲川の岸辺』(有斐閣)23頁)。
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もっとも、すべての論文について、最初から最後まで一字一句精読できているとまでは言えません。記述の内容によって、濃淡を付けて読んでいます。
(問)
文章を読む速度は速いのでしょうか。
- 文章を読むのも仕事の一部ですから慣れてはいますが、すべての論文を等しく精読できているわけではありません。
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研究者が書いた論文では、前置き的な部分を飛ばして、問題の所在と、それに対する解決のあり方を読む、ということもあります。実務家の書いたものでも、単なる実務紹介ではなく、鋭い問題提起をしている充実した論文は、なかなか気を抜いて読める部分がなく、精読せざるを得ません。
(問)
弁護士が書く論文には、「結論先にありき」という批判もありますが、実務家が研究活動をすることをどう思われますか。実務家が書いた論文を読むこともあるのでしょうか。
-
もちろん、実務家が書かれた論文にも目を通します。弁護士が論文を書いたり、書籍を公刊されることは大変に結構なことであり、積極的に取り組んでいただきたいと期待しています。私が身近にお付き合いいただいている中にも、論文集を公刊されていらっしゃる方が何人かいらっしゃいます。
(問)
では、逆に、研究者の側が、垣根を越えて、弁護士活動をすることについてはどう思われますか。
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自分の能力を前提とすればという条件付ですが、「研究者が弁護士業務を兼務すること」は、本当の意味では無理だと思います。私程度の能力では、研究を続けながら、同時に弁護士業務をすることは困難といわざるをえません。
(問)
62歳になって、弁護士登録をなされた理由はどこにあるのでしょうか。
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研究のためにも、実務の勉強をしておきたいと思いました。例えば、上田裕康弁護士(当時は、大江橋法律事務所所属、現在は、アンダーソン・毛利・友常法律事務所所属)に誘っていただいて、民事再生に関連する事件で最高裁判所での弁論をご一緒させていただいたことがあります(伊藤眞『千曲川の岸辺』(有斐閣)12頁)。これは、弁護士登録をしていたからこそ得ることができた経験です。
(問)
刑事事件も受任されていましたよね。
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2007年に弁護士登録をしたときは、新規登録弁護士には、国選被告人弁護事件と当番被疑者弁護が義務として課されていました。刑事弁護の実務については、四宮啓弁護士が、早稲田大学法科大学院の実務家教員をされていましたので、四宮弁護士に指導を受けました。よい経験を得られましたが、体力が落ちてきたので、最近は遠ざかっています。
(問)
もしも、弁護士という職業を選ばれていたら、どういう弁護士が理想の姿でしょうか。
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弁護士としての具体的な活動を知っているわけではないので、あくまでも、印象論になってしまいますが、私が知っている中では、今中利昭先生(関西法律特許事務所所属)はひとつの理想像です。充実した弁護士業務を営まれているだけでなく、人に対する思いやりが深く、ご趣味の幅も広いので、「ああいう生き方ができたらいいなぁ」と思わせて下さる先輩です。
(問)
それでは、裁判官という職業を選ばれていたら、理想像はどなたになるでしょう。
-
具体的な仕事のことがわからないのですが、印象論だけで申し上げると、もうお亡くなりになられましたが、高野耕一判事は裁判官としての理想像です。お目にかかる機会は一度も得られませんでしたが、家事事件などでの執筆が多い高野判事からご著書(裁判官の遍歴(関東図書))をお贈りいただいて、私からお礼状を書いたことや、逆に、私の書いた本を差し上げて、高野判事からお手紙をいただいたこともあります(伊藤眞『続・千曲川の岸辺』(有斐閣)9頁)。手紙でのお付き合いしかありませんでしたが、文章を拝読するだけでも、情理を兼ね備えた、お人柄が伝わってきました。
(問)
もし、もう一度、司法試験に合格した20歳代の頃に戻ったならば、今度は、実務家を選ばれていたかもしれませんね。
-
私は、組織の中で仕事をするのに適応しにくい人間です。検察官は、仕事の中身よりも、組織の中で働くという点で明らかに不向きです。裁判官は、検察官ほどではないにしても、やはり、組織がありますので、自分には向かなかったと思います。仮に弁護士になっても、大事務所ではなく、ひとりで仕事をするスタイルになったと思います。
(問)
これまでの仕事の中で、「この発表は緊張した」「前の晩に眠れなかった」というようなご経験もあるのでしょうか。
- 歳のせいで、眠れないことは始終ですが、仕事との関係では、何か特定の発表の場ということではなく、「自分の書いていることが、本当に問題を正しく捉えているか?」「問題を捉えているとしても、ある程度、他者からの共感を得られるような論理を組み立てられているか?」という点については、常に不安ですし、今でもそれは変わりません。あたらしい問題に取り組むほどに、その不安は大きくなります。
- 例えば、民法(債権関係)の改正に関連して、債権者代位権と詐害行為取消権に関する規定について書いた原稿で、公刊を予定しているものがあります(金融法務事情掲載予定)。でも、「もしかしたら、自分がまったく的外れな理解をしていて、読者に老耄と苦笑されるようなことを書いているのではないか?」という不安に駆られました。そこで、身近にいる弁護士に原稿を読んでもらい、「どう思う?」と尋ねて、「問題の把握としてはそうずれてはいませんね」と言っていただいてから、公刊の御願いを致しました。
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今更、失うものがないと割り切って堂々としていればいいのかもしれませんが、あたらしい問題について論文を発表するときには、そういう逡巡や緊張があります。
(問)
ご自身の説を、若い研究者や実務家に批判されることに抵抗はありませんか。
-
批判をしてもらえること、「ここはおかしい」と指摘してもらうことは、研究者にとっては光栄なこと、名誉なことです。自説に賛成してもらう必要はまったくありません。あたらしい問題に考え方を提示したら、いきなり完璧なはずはありません。どこかに難点があるのは当たり前です。それに気付く機会を与えてもらえるのは、とてもありがたいことです。
(問)
先生ほどの権威になっても、勉強を続け、批判を受けようとする姿勢を保ち続けなければならないのですね。ところで、研究や勉強の時間帯はいつ頃でしょうか。夜型なのでしょうか。
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いえ、夜に本格的な勉強はできません。というのも、私は、体調を崩しているときは別として、毎晩、夕食にお酒を少し飲んでしまうので、夜には軽い読み物にちょっと目を通すぐらいしかしません。
(問)
お酒は何をどのぐらい飲まれるのでしょうか。
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以前は、日本酒が好きでしたが、この頃は、ワインを飲んでいます。決して華美な生活はできませんので、1本800円ぐらいの身分相応なものです。グラス2杯ぐらい飲む程度で、量はそれほど飲めません。
(問)
民事訴訟法では、新堂先生には、お酒の瓶を片手に論文を執筆されていたという武勇伝も耳にしますが(笑)。本日は、どうもありがとうございました。
(終わり)