◇SH2682◇弁護士の就職と転職Q&A Q86「数多くの候補を比較検討すれば、より良い選択をできるのか?」 西田 章(2019/07/22)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q86「数多くの候補を比較検討すれば、より良い選択をできるのか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 人材紹介業をしていると、こちらが適切だと考える候補を紹介した後でも「他にどんな候補がありますか?」と尋ねられることがあります。この言葉が発せられると、それが採用側でも候補者側でも、「今回、紹介してもらった先も悪くない許容範囲だけど、他にもっと良い選択肢があるのではないか?」と考えていることがわかります。確かに、「現在、選択可能なすべての候補の中からベストの選択をしたい」という気持ちはよくわかります。ただ、選択肢を広げようとする活動が、逆に選択肢を狭めてしまう結果につながってしまうリスクを感じさせられることもあります。

 

1 問題の所在

 人材紹介業者には、「採用側のアドバイザー(リクルータ)」としての側面と、「転職者側のアドバイザー(キャリア・コンサルタント)」としての側面があります。このうち、「リクルータ」としては、採用責任者が「他者への説明責任を負っているかどうか?」を意識して進め方を検討します。説明責任を負っているならば、「自分が気に入っている」という理由だけで一本釣りで採用を決めることにはリスクが伴います。例えば、上場会社の社長が、「自分が信頼している」という理由だけで、社外取締役候補に友人弁護士を指名することは(その候補者に能力や適性が備わっているかどうかという実質とは別の問題として)避けるべきです。自社の社外取締役に求められる要件を備えた候補者複数名を見比べた上で、当該候補者が最適であるという分析を残すことが、説明責任を果たすことにつながるからです。

 他方、法律事務所の、ひとりエクイティ・パートナーであるボス弁が、自分の懐から給料を支払って、自分の仕事を手伝わせるアソシエイトを雇うに際して、複数の候補者を見比べる必要はありません。むしろ、「こいつは出来る」と思う候補者がいたら、躊躇せずにオファーを出し、更に言えば、そのまま飲みに連れ出してその場でがっちりと握手できる、というのが、「良い候補者を逃さない」という目的を達成することに役立つことのほうが多いです。

 「転職者側のアドバイザー(キャリア・コンサルタント)」としても、転職者は「他者に説明責任を負っていない場合」に該当するものとして転職先を検討するべきだと考えています。現実には、「現職場に退職を納得させられる先かどうか」や「家族に転職を納得させられる先かどうか」も考慮しなければなりませんが、それは自分なりの進路選択をした後で、それを貫くことができるかどうか、という二次的な考慮に位置付けるべきです。それでは、自分なりの進路選択を行う上で、複数候補を比較検討することがもたらす弊害にはどのようなものがあるのでしょうか。

 

2 対応指針

 転職の意思決定は、「転職先候補であるA事務所が客観的に優れた事務所であるかどうか?」ではなく、「A事務所に入った場合における自己のキャリア・プランに賭けてみることができるかどうか?」によって行うべきです。本来であれば、そこでのキャリア・プランを建設的に思い描くことができるかどうかに集中して検討すべきであるにも関わらず、「B事務所」が候補に追加されることで、(キャリア・プラン比較ではなく)「事務所の優劣」に目が奪われてしまい、候補先の欠点を挙げて互いを批判することに時間と意識を費やすようになりがちです。

 そして、候補が増えると、「ジャンケン」状態に陥り、キャリア形成における「軸」を見失ってしまうケースも多々見受けられます(A事務所は、現事務所よりもやりがいがある仕事を期待できるが、B事務所は、A事務所よりも条件が良いオファーを出してくれる。ただ、B事務所よりも、業界においては、現事務所の評判のほうが高いので、B事務所に移籍するよりも、現事務所に止まったほうが良い、等)。

 また、「選択肢を確保する」という観点からも、複数候補を比較しようとする態度が、採用側に「ならば、オファーを出すことを控える」という行動を引き起こす危険もあります。採用側には「やる気がなければ、入ってからのパフォーマンスを期待できない」「うちを第一志望に思ってくれる応募者を優先したい」と考える傾向もあり、それを否定することもできません。

 

3 解説

(1) キャリア・プランの検討

 弁護士は、受験競争を優れた成績で潜り抜けてきた者ばかりが集まっています。そのため、「自分の実力で入れる中で、最も偏差値が高い先に入りたい」と願ってしまう傾向が存在します。ただ、転職市場は、大学受検のように、志願者に対して公正中立に行われているわけではありません。毎年、一定数の新入学生の定員が確保されて余裕をもったスケジュールで行われるわけではなく、中途採用は、クライアントの要望や所内のマンパワー不足等によって突発的に発生した採用ニーズに対して、即座に動ける適切な候補者を確保しようとする競争です。

 転職希望者は、現職との兼ね合いで「自分なりのスケジュール」を設定して、「できるだけ幅広く候補を比較検討したい」と考えがちですが、そうなると、「A事務所とB事務所はどちらの偏差値が高いか?」という発想に陥ってしまう危険があります。特に「選択肢を広げるために複数のエージェントから情報を提供してもらう」となると、エージェントは、自社の紹介先を選んでもらうために、他社からの紹介先へのネガティブ・キャンペーンを開始するために(「A事務所はブラックだ」とか「B事務所のC弁護士はパワハラだ」とか悪口合戦が繰り広げられることも珍しくありません)、本人は「自分がそもそも何を求めて転職活動を始めたのか」の判断基準を維持することが難しくなりがちです。

(2) ジャンケン状態

 転職は、現事務所における勤務の現在の不満や将来への不安がきっかけになっています。そのため、入口の議論は、「現事務所における不満・不安を解消できるようなキャリア・プランを実現できる可能性がある先はどこか?」という検討からスタートされます。ただ、候補先として、A事務所とB事務所の2つが現れることで、「A事務所とB事務所のどちらが優れているか?」に変質しがちであることは、前記(1)で述べたところですが、ここで、「どこに着目するか?」で、問題は更に複雑化します。

 「ワークロードから言えば、現事務所よりもA事務所のほうが楽になる」「オファーの金額は、A事務所よりもB事務所のほうが高い」「業界の評判からすれば、現事務所のほうがよい」等となって、検討し疲れて身動きが取れなくなってしまっていると、そこに、ふと、今までまったく検討してことがなかったインハウスのオファーが出ると、そこに飛びついてしまう、ということもあります(それが検討の結果であれば良いのですが、「今まで検討対象に入っていなかったので、批判的な検討をする機会がなくて美しく見えた」ということもあります)。

(3) 採用側における「第一志望重視」の発想

 大学受験的に「高い偏差値の先に入りたい」という発想で転職活動に望んでいる相談者は、入学試験のペーパーテストの点数のように「採用選考の対象となる自己の適性は客観的に測定されている」と考えがちです。しかし、採用側にとってみれば、「入所してから活躍してくれるかどうかは、本人のやる気に大きく依存する」「どれだけ優秀な人材でも、うちに合わなければ、パフォーマンスも発揮できないだろうし、すぐにやめてしまう」というのはきわめて自然な発想です。そのため、「うちを第一志望に応募してくるならば、オファーを出したいが、他にも興味があるならば、別に無理してうちに来てもらう必要はない」という展開が予想されることもあります。

 そこで、人材紹介業者としては、有望と考える先を紹介した後の転職者から「他も見て回りたい」という要望を受けると、悩ましい状態に置かれます。もちろん、本人の希望はできる限り叶えられるように努力しますが、その感想を、先行する訪問先にどこまでストレートに伝えるかべきかに悩みを生じます。

 もちろん、関心が失われた者を「志望意欲がある」と偽って応募をすることはありませんが、その熱意、程度は、時間の経過に応じて変動します。例えば、一旦は、熱意が冷めて、他も見て回りたいと考えたものの、他を見て回ることで、先に回った先への意欲が再燃する、ということもあります。そのため、「他を回ることで、先行する訪問先への志望意欲を取り戻してくれるだろう」という見込みがあるならば、それを期待して待つ(「他も見て回りたい」という本人の希望を採用側にすぐには伝えない)という対応もありえます。

以上

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