請負契約に基づく請負代金債権と同契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権の一方を本訴請求債権とし他方を反訴請求債権とする本訴及び反訴の係属中における、上記本訴請求債権を自働債権とし上記反訴請求債権を受働債権とする相殺の抗弁の許否
請負契約に基づく請負代金債権と同契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権の一方を本訴請求債権とし、他方を反訴請求債権とする本訴及び反訴が係属中に、本訴原告が、反訴において、上記本訴請求債権を自働債権とし、上記反訴請求債権を受働債権とする相殺の抗弁を主張することは許される。
民法505条1項、民訴法114条2項、民訴法142条、民訴法146条
平成30年(受)第2064号 最高裁令和2年9月11日第二小法廷判決 請負代金請求本訴、建物瑕疵修補等請求反訴事件 破棄自判 民集第74巻6号1693頁
原 審:平成29年(ネ)第377号 広島高裁平成30年10月12日判決
原々審:平成26年(ワ)第301号 広島地裁平成29年10月13日判決
1 事案の概要等
本件本訴は、Y(被上告人)から自宅建物の増築工事を請け負ったX(上告人)が、Yに対し、請負代金及び遅延損害金の支払等を求める事案であり、本件反訴は、Yが、Xに対し、上記建物の増築部分に瑕疵があるなどと主張し、瑕疵修補に代わる損害賠償金及び遅延損害金の支払等を求める事案である。
2 事実関係の概要
⑴ Yは、平成25年9月、建築物の設計、施工等を営むXとの間で、請負代金額を750万円として自宅建物の増築工事の請負契約を締結した。(以下、その後に発注された追加変更工事に係る契約を含め、「本件請負契約」という。)。
⑵ Xは、平成25年12月までに、上記増築工事等を完成させ、完成した自宅建物の増築部分をYに引き渡した。
⑶ 本件請負契約に基づく請負代金の額は約829万円である。他方、上記増築部分には瑕疵が存在し、これによりYが被った損害の額は約267万円である。
⑷ Xは、平成26年3月、本件本訴を提起し、Yは、同年6月、本件反訴を提起した。Xは、同年8月の第1審口頭弁論期日において、Yに対し、本訴請求に係る請負代金債権を自働債権とし、反訴請求に係る瑕疵修補に代わる損害賠償債権を受働債権として、対当額で相殺する旨の意思表示をし(以下「本件相殺」という。)、これを反訴請求についての抗弁(以下「本件相殺の抗弁」という。)として主張した。
3 原判決の概要
原判決は、係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないところ、本訴原告が、反訴において、本訴における請求債権を自働債権として相殺の抗弁を主張する場合であっても、本訴と反訴の弁論を分離することは禁止されていないから同様に許されないというべきであって、本訴原告であるXが本件相殺の抗弁を主張することは、重複起訴を禁じた民訴法142条の趣旨に反し、許されないと判断し、本訴請求及び反訴請求をいずれも一部認容した。なお、本訴及び反訴における遅延損害金の請求については、上記の判断を前提に、本訴請求債権と反訴請求債権が同時履行の関係に立つことから遅延損害金は発生しないとして、いずれも棄却した。
4 本判決の概要
これに対し、Xが上告受理申立てをしたところ、最高裁第二小法廷は、本件を上告審として受理し、判決要旨のとおり、請負契約に基づく請負代金債権と同契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権の一方を本訴請求債権とし、他方を反訴請求債権とする本訴及び反訴が係属中に、本訴原告が、反訴において、上記本訴請求債権を自働債権とし、上記反訴請求債権を受働債権とする相殺の抗弁を主張することは許されるとの判断を示した上で、本件相殺の抗弁を許容し、原判決を変更して、本訴請求については、本件相殺後の請負残代金約562万円及びこれに対する本件相殺の意思表示をした日の翌日からの遅延損害金の支払を求める限度で一部認容し、反訴請求については棄却した。
5 説明
⑴ 重複起訴禁止と相殺の抗弁については、学説上、現に係属中の訴訟で相殺の抗弁に用いた債権を別訴で請求する場合(抗弁先行型)と、現に係属中の別訴の訴訟物たる債権を相手方が提起した訴訟で相殺の抗弁に用いる場合(抗弁後行型)とに分けて議論されているが、本件は、反訴提起後に本件相殺の抗弁が主張されていることから、抗弁後行型に属するものである。
抗弁後行型における相殺の抗弁については、古くからこれを許容する見解(許容説)と許容しない見解(不許説)が対立しているが、学説における両説の対立は、元々二つの訴訟が別々に提起され、別個に審理されているという場面(分離手続型)を前提に展開されていたものである。本件のように本訴反訴として審理されている場合や別訴提起されたとしてもその後併合審理がされているような場合(同一手続型)については、学説上は、審理及び判断が同一の受訴裁判所によって一体として行われるため審理の重複や判断の抵触のおそれがなく、重複訴訟の問題が生じないことなどから、相殺の抗弁は許容されるとする見解が支配的であり、ほぼ異論をみない(山本克己「判批」平成3年度重判解(ジュリ臨増1002号)(1992)122頁、三木浩一「判批」平成18年度重判解(ジュリ臨増1332号)(2007)128頁等)。
⑵ 最三小判平成3・12・17民集45巻9号1435頁(平成3年最判)は、「係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないと解するのが相当である」との一般論を示して、相殺の抗弁についても旧民事訴訟法231条(現行民事訴訟法142条に対応)を類推適用し、抗弁後行型における相殺の主張を許さないものとした。平成3年最判の事案は、控訴審段階で初めて別訴と本訴が併合され、相殺の抗弁が主張され、その後判決前に両事件が分離されるに至っていたというものであるため、分離手続型に属するものとみるべきであるが、平成3年最判は、相殺の「抗弁が控訴審の段階で初めて主張され、両事件が併合審理された場合についても同様」に許されないと判示しているため、その射程については、本件のような同一手続型にも及ぶとみる余地がある(ただし、高橋宏志『重点講義民事訴訟法上〔第2版補訂版〕』(有斐閣、2013年)146頁は、平成3年最判の同部分を傍論とする。)。
その後、最高裁は、同一手続型である本訴反訴の事案において、平成3年最判を引用しつつも、「反訴原告において異なる意思表示をしない限り、反訴は、反訴請求債権につき本訴において相殺の自働債権として既判力ある判断が示された場合にはその部分については反訴請求としない趣旨の予備的反訴に変更されることになる」とし、「このように解すれば、重複起訴の問題は生じないことになる」として、相殺の抗弁を許容する判断を示した(最二小判平成18・4月・4民集60巻4号1497頁(平成18年最判))。
平成18年最判の判例解説は、本訴反訴であっても分離される可能性があり、同一訴訟手続内での統一的解決が制度的に保証されているわけではないが、反訴側からの相殺の抗弁については、反訴が予備的反訴となればその弁論を分離することができないなどとして、審理の重複や判断の抵触が生ずるおそれがないなどとする(増森珠美「判解」『最判解民事篇平成18年度(上)』531頁以下)。加えて同解説は、本件のように、本訴原告が反訴において本訴請求債権を自働債権とする相殺の抗弁を主張すること(本訴側からの相殺の抗弁)は、本訴に条件を付することが許されないことから、平成18年最判の理由付けによっては当然には正当化されないともする(同534頁以下)。
これに対し、学説は、平成18年最判が採用した予備的反訴への変更という構成については、「平成三年最判を意識しすぎて、無益な技巧を凝らした」ものであり、また、反対の場面である本訴側からの相殺が認められないとすると「そのような帰結は不均衡」であるなどと批判しており(二羽和彦「判批」リマークス35号(2007)115頁、杉本和士「判批」早法83巻2号(2008)159頁等)、平成18年最判の理由付けや判例解説の説明に賛同する学説は、ほとんど見当たらない。残された問題となった本訴側からの相殺の抗弁の許否については、その後の下級審裁判例の多くは、本件の原審と同様に許されないと判断している(大阪地判平成18・7・7判タ1248号314頁等)が、少数ながらこれを許容する判断を示すものもあり(大阪高判平成22・3・11 D1-Law判例ID28273939)、下級審の判断は分かれている状況にあった。
⑶ 本件の本訴請求債権と反訴請求債権は、同一の請負契約に基づく請負代金債権と瑕疵修補に代わる損害賠償債権であって、実体法上、同時履行の関係にある上、相殺により清算的調整を図ることが想定された特殊な関係にあるということができる(最一小判昭和53・9・21集民125号85頁等参照)。そして、上記両債権は同時履行の関係に立つため、相手方から履行の提供を受けるまでは履行遅滞の責任を負わない(最三小判平成9・2・14民集51巻2号337頁参照)が、相殺の意思表示がされれば、相殺後の残債務について、相殺の意思表示をした日の翌日から履行遅滞による責任を負うものとされている(最三小判平成9・7・15民集51巻6号2581頁)。
このように相殺の担保的機能が強く発揮されるべき場面であるにもかかわらず、その一方からの相殺の抗弁の主張は許容されるも、他方からの主張が封じられ、結果として訴訟上の地位に差異が生じ、かつ、実体法上も履行遅滞責任を負わないという差異が生ずることについては、学説の多くが指摘するように著しく均衡を欠くものといわざるを得ない。
ところで、本訴反訴として適法に併合されている請求について、弁論の分離を命ずるかどうかは裁判所の裁量に委ねられているが、その裁量も全くの自由裁量ではないと解すべきであろう。もとより学説上は、特に関連性の強い本訴と反訴のような場合には弁論の分離が制限されるとする見解が有力である(新堂幸司『新民事訴訟法〔第6版〕』(弘文堂、2019)775頁、伊藤眞『民事訴訟法〔第7版〕』(有斐閣、2020)658頁)が、近時は、手続裁量論ないし要因規範論の文脈から、弁論の併合・分離についても裁判所の措置を違法とみるべき場合があるとする見解が有力化している(笠井正俊「口頭弁論の分離と併合」大江忠ほか編『手続裁量とその規律』(有斐閣、2005)141頁、安見ゆかり「相殺の抗弁と弁論の分離」伊藤滋夫先生喜寿記念『要件事実・事実認定論と基礎法学の新たな展開』(青林書院、2009)605頁以下)。少なくとも、本件のように本訴請求債権と反訴請求債権とが特殊な関係にあり、両者の相殺の抗弁が主張されている場合については、本訴反訴を分離してしまうと、その結果、審理の重複や判決の矛盾抵触が生じてしまうため、一つの訴訟手続で審理・判決することが強く要請されていると解することができるといえ、そのような場面においては、弁論の分離が禁止され、その反面として相殺の抗弁が許容されるとの解釈を採ることができるものと思われる。
本判決は、以上のような観点から、請負契約に基づく請負代金債権と同契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権の一方を本訴請求債権とし、他方を反訴請求債権とする本訴及び反訴が係属中に、本訴原告が、反訴において、上記本訴請求債権を自働債権とし、上記反訴請求債権を受働債権とする相殺の抗弁を主張することは許されると判断したものと考えられる。
⑷ 本判決は、本訴側からの相殺の抗弁と認めたものであるが、その理由付けを踏まえると、請負契約に基づく請負代金債権と同契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権との間の相殺であれば、反訴側からの相殺の抗弁についても同様の理由によって認められることになるものと解される。この点について平成18年最判は、相殺の抗弁を提出した反訴原告の意思の合理的解釈を通じて、予備的反訴への変更を認めた上で反訴側からの相殺の抗弁を許容したものであるが、上記両債権の相殺であれば、反訴原告は、反訴を予備的反訴に変更せずに相殺の抗弁を提出することができることになるため、あえて予備的反訴への変更という自らに不利な構成を選択する合理的な理由は見当たらない。今後、本件のような請負事案において、反訴側から上記両債権の相殺の抗弁が主張された場合は、反訴原告から明示的に予備的反訴に変更する旨の意思表示がされない限り、反訴を通常の反訴として維持したままで相殺の抗弁を提出したものと、その意思を解釈することになるものと解される。
また、本判決は、本訴反訴の事案を前提とするものであるから、その直接の射程は、別訴が提起され、その後本訴と別訴の弁論が併合された場合には及ばないものと解される。しかしながら、本判決が、請負代金債権と瑕疵修補に代わる損害賠償債権という両債権の関係性を理由に相殺の抗弁を許容していることに鑑みると、少なくとも請負事案における上記両債権の相殺の抗弁については、弁論の併合場面においても同様の理由で許容されると解することができるように思われる。さらに、本判決の背後にある考え方を踏まえると、同一手続型の他の場面における相殺の抗弁の許否については、今後改めてその場面に応じた検討がなされるべきであろう。本判決を契機として、どのような場合において弁論の分離が制限され、その反面として相殺の抗弁が許容されるべきであるかについて、更に議論が深まることが期待される。
なお、本判決は、弁論の分離が許されないと判示するにとどまるが、一部判決をすることも同様に許されないものと解される。弁論の分離が許されない場合に、誤って弁論の分離がされ、一部判決がされると、当該判決は違法となると解されていることに注意すべきである(伊藤・前掲679頁、秋山幹男ほか『コンメンタール民事訴訟法Ⅰ〔第2版追補版〕』(日本評論社、2014)412頁以下等参照)。
6 本判決の意義
本判決は、請負事案における相殺という限定された場面についての判断ではあるが、重複起訴の禁止と相殺の抗弁という古くからある法律問題に関し、自働債権と受働債権の関係性に着目して、本訴側からの相殺を許容するという新しい法理判断を示したものであって、実務上も理論上も重要な意義を有するものである。