法務担当者のためのポリティカルリスクマネジメント
~海外投資と国際通商の観点から~
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 小 原 淳 見
弁護士 近 藤 亮 作
1 はじめに - ポリティカルリスクへの備え
⑴ 増大するポリティカルリスク
ロシアのウクライナ侵攻や米中対立など、ここ数年世界情勢はめまぐるしく変動し、政治的な緊張関係が次々と顕在化、深刻化している。グローバルに活動する日本企業の法務担当者として、このようなポリティカルリスクにどう備えるべきか。
従来、非常危険をカバーする日本貿易保険(NEXI)の保険やカントリーリスクの高い国でJBICの融資や保証を活用することで、ポリティカルリスクを一定程度コントロール手法がとられてきた。
ポリティカルリスクが益々複雑化する中、法務担当者としては、従来の手法に加えて、海外投資と通商全般を保護する法的枠組みである投資協定やWTOルールを活用することで、日頃からポリティカルリスクに備えることが重要である。なお、本稿は、拙稿「法務担当者のためのポリティカルリスクマネジメント」NBL No.1226(2022.9.15)のサマリーである。上記拙稿もご参照頂ければ幸いである。
2 海外投資を保護する法的枠組み - 投資協定
⑴ 投資協定の内容
投資協定は、相互に相手国からの投資を保護する国家間の条約で、「環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定」(CPTTP)などの自由貿易協定の投資章も含めると、現在世界に2600本以上存在する。
投資協定の二つの重要な要素は、第一に、締約国が相手国の投資家および投資財産の保護義務を負っている点、第二に、締約国が保護義務に違反した場合、損害を被った相手国の投資家が、直接、締約国に救済を求められる点である。後者はISDS条項とも言われ、万が一リスクが実現した場合、投資を受け入れたホスト国に対し、私企業である投資家が直接、逸失利益を含む「完全賠償」を、中立の仲裁廷に対し請求することができる。
投資協定に定める典型的な保護義務は、違法な収用の禁止、公正衡平待遇義務、十分な保護と保障、内国民待遇義務、最恵国待遇義務の5つである。
仮に、ホスト国が投資財産を接収または事業免許を剥奪した場合には、①公共目的、②非差別的、③適正手続、④迅速、適切、かつ実効的な補償の要件を満たしていないと違法な収用となる。また、公正衡平待遇義務は、ホスト国の措置が①投資家の正当な期待を毀損する、②差別的・恣意的である、③目的と手段において不均衡である、④不透明である、⑤適正手続に違反するまたは裁判拒否に当たる場合に、その違反が認定されている。例えば、ホスト国が投資家に約束した投資誘致策を反故にしたため投資財産の価値が大幅に毀損した場合、逸失利益の賠償が認められている。
⑵ 投資協定の活用
投資協定で保護されている投資には、ホスト国も対応が慎重になる。そのため、ポリティカルリスクを抑えるためには、投資協定上の保護を確保することが極めて重要である。さらに、投資協定による保護の範囲は、協定によって大いに異なる。法務担当者は、ポリティカルリスクを考慮すべき場合には、ホスト国の締結している投資協定を確認し、保護の厚い投資協定で投資がカバーされるよう、投資の時点で、第三国経由の投資を含め、投資ストラクチャを検討することが不可欠である(投資プラニング)。また、ホスト国の法制度につき適切なデューディリジェンスを行い、投資協定仲裁に備えた証拠作りや書面作成も肝要である。
万が一、ポリティカルリスクが実現した場合には、投資協定違反の有無を検討し、早期にホスト国に改善を申入れるなどの初動が大事である。協定違反の状態が解消されず損害が見過ごせない場合には、投資協定仲裁の申立とともに調停の活用も検討する。
3 国際ビジネス環境全般にかかわる国際通商ルール - WTO協定
⑴ 国際通商ルールの内容(WTO協定)
WTO協定は、主に物品、サービスおよび知的所有権の3分野についてルールを規定しており、実は、関税や輸出入制限の禁止といった国境措置だけではなく、モノであれサービスであれ、それが原産国(たとえば日本)から相手国に入り、相手国内で顧客の手元に届けられるまでのすべてのプロセスに、WTOのルールはかかわる。
例えば、物品貿易ルールについて言えば、国産品や他国産品とある国からの輸入品の差別を禁止すること、輸出入制限を行わないこと、関税率を一定以上上げないこと、そして、規格、補助金、その他様々な国内規制の文脈で、各国の産品が外国各国の市場で公平な競争条件の下で、取引がなされるよう、全164の加盟国が互いに約束をしている。
各国の環境規制にもかかわる一般的な例外規定もあるが、ポリティカルリスクとの関係では、WTOの物品、サービスおよび知的所有権について、安全保障例外が重要である。安全保障例外が適用されると、輸出入禁止といった基本的な原則ルールが効かなくなってしまう。しかし、紛争処理を行うWTOパネルの先例によれば、安全保障例外の発動にあたって加盟国には完全な自由裁量はない。軍需品や国連安保理関係以外では、戦時に加え、クリミア併合やカタール危機が例となる国際情勢の緊急時に限って、例外が認められることになる。
WTOの紛争処理手続にも、政治的背景と関連があると思われる事例が近年多く付託されている。
⑵ 国際通商ルールと国際ビジネスの関係
各国の通商関連措置が与える国際ビジネス環境への影響も大きい。米国の対中追加関税措置、北米産電気自動車(EV)への優遇税制、ウイグル産品の実質輸入禁止措置。日米欧中の半導体産業への巨額補助金による競争歪曲。中国でのオフィス機器等への国家標準規制、化粧品ラベリング規制、レアアースを含む天然資源管理強化。ロシアのウクライナ侵攻関連の国際流通網の混乱と資源ナショナリズムの再来。そして、EUが先行する国境炭素調整措置(CBAM)に代表される各国の環境政策。通商ルールの観点から分析し、企業の戦略や法務問題に役立てるべき問題は、近時、枚挙に暇がない。
国際通商ルールは、ポリティカルなリスクを含め、通商リスクを特定し予測することで、契約ドキュメンテーションでの的確なリスク管理、内外政府を通じた不当な制度・政策是正の申し入れ、WTO紛争処理手続の利用などを通じ、さまざまな面での企業での一層の活用が期待される。
3 おわりに
筆者自身、投資協定仲裁での代理を通じ、投資協定が現に国内政治から外国投資家とその投資財産を護る極めて有効な手段であることを実感した。投資の時点で、投資協定の保護をしっかり確保することが、企業法務担当者によるリスクマネジメントとして不可欠である。
国際通商においては、企業が直接国に対し救済を求めることはできないが、最新の通商ルールを理解することで、将来の通商政策にかかるリスクを予想することもできる。
世界の分断が進み、地政学リスクが終息する見通しが立たない中、企業の法務担当者としては、ポリティカルリスクから企業を守る国際法上の投資と通商の枠組みを十分に理解し、活用することが待ったなしに求められる。
以 上
(おはら よしみ)
国際紛争解決の交渉、訴訟、仲裁、調停及び紛争予防を主に手がける。1996年Covington & Burling(ワシントンDC)勤務。JV、M&A、投資、インフラ、保険、ライセンス、共同開発、販売代理店等の幅広い分野の仲裁において代理人、仲裁人を務める。とりわけ投資協定仲裁の分野では、複数のICSID仲裁において投資家の代理人を務めるとともに、日本政府よりICSID仲裁人パネルに指名され、ICSID ad hoc Committeeの委員を務める。元ICC国際仲裁裁判所及びロンドン国際仲裁裁判所の副所長。
(こんどう りょうさく)
法律事務所にてコーポレート・紛争処理業務等に携わった後、2017年より外務省経済局国際貿易課勤務、2020年より在ジュネーブ国際機関日本政府代表部での外交官としての勤務を経て、現職。専門の国際通商法を世界事業戦略、コンプライアンスや紛争解決に生かしながら、投資協定仲裁などの国際紛争処理事案にも関わる。
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長島・大野・常松法律事務所は、500名を超える弁護士が所属する日本有数の総合法律事務所であり、東京、ニューヨーク、シンガポール、バンコク、ホーチミン、ハノイ及び上海にオフィスを構えています。当事務所は、日本のリーディングファームとして数々の大型案件を手掛け、あらゆる分野の法律問題に対応してきた実績に基づき、企業が必要とする様々なリーガルサービスをワンストップで提供できる体制を整えています。多岐にわたる分野の専門的知識と実績をもつ弁護士が機動的にチームを組み、質の高いアドバイスや実務的サポートを行っています。とりわけ国際紛争解決の分野では、信頼と実績によって築かれた海外の幅広いネットワークを駆使し、様々な地域での紛争の予防と解決を実現し、高い評価を得ています。