金融商品取引法167条1項6号にいう「その者の職務に関し知ったとき」に当たるとされた事例
公開買付けを担当する部署に所属する証券会社の従業者が、同部署に所属する他の従業者が同社と公開買付者との契約の締結に関し知った公開買付けの実施に関する事実について、同部署の共有フォルダ内の一覧表に社名が特定されないように記入された情報と、同部署の担当業務に関する当該他の従業者の不注意による発言を組み合わせることにより、公開買付者の社名及び公開買付者の業務執行を決定する機関がその上場子会社の株券の公開買付けを行うことについての決定をしたことまで知った上、公開買付者の有価証券報告書を閲覧して上記子会社を特定し、上記事実を知るに至ったという本件事実関係の下では、自らの調査により上記子会社を特定したとしても、上記事実を知ったことは金融商品取引法167条1項6号にいう「その者の職務に関し知ったとき」に当たる。
金融商品取引法167条1項6号
令和3年(あ)第96号 最高裁判所令和4年2月25日第三小法廷決定 金融商品取引法違反被告事件(刑集第76巻2号139頁)上告棄却
原 審:令和2年(う)第690号 大阪高等裁判所令和2年12月18日判決
第1審:平成30年(わ)第4857号 大阪地方裁判所令和2年6月8日判決
1 事案の概要及び審理の経過
本件は、インサイダー取引に係る情報伝達の事案である。金融商品取引法(金商法)197条の2第15号、167条の2第2項は、同法167条1項の公開買付者等関係者であって、公開買付け等の実施に関する事実を同項各号に定めるところにより知ったものが、他人に対し、当該事実の公表前に、当該公開買付け等に係る株券等に係る買付け等をさせることにより当該他人に利益を得させる目的をもって当該事実を伝達し、当該他人が公表前に当該株券等に係る買付け等をした場合には、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処し、又はこれを併科するとしている。金商法167条1項6号(4号)は、公開買付者等と契約を締結するなどしている法人の他の役員等(「役員等」の意義については同法166条1項1号参照)が当該契約の締結等に関し公開買付け等の実施に関する事実を知った場合における当該法人の役員等を公開買付者等関係者とし、当該事実を「その者の職務に関し知ったとき」と規定している。
C社の業務執行を決定する機関は、その上場子会社であるD社の株券の公開買付け(本件公開買付け)を行うことについての決定をした。A証券会社は、C社との間で、本件公開買付けの実施に向けた支援業務の提供に関するファイナンシャルアドバイザリー契約を締結し、A社のF部がその業務を担当していた。F部では、従業者のBらが、本件公開買付け案件を担当し、上記契約の締結に関し、本件公開買付けの実施に関する事実を知った。F部では、担当案件に関する公表前情報が担当外の者に知られないようにするため、発言に注意し、案件名等については社名が特定されないような呼称を用いることとされており、本件公開買付け案件は「Infinity」と呼ばれていた。被告人は、F部に所属するA社の従業者であったが、同案件担当者ではなかった。被告人及びBは、F部のジュニア(上司の指示を受けて業務に従事する下位の実務担当者)であり、上司が各ジュニアの繁忙状況を把握できるようにするため、共有フォルダ内の一覧表(本件一覧表)にアクセスして各自の欄に担当業務の概要を記入することとされていた。被告人は、本件一覧表のBの欄を閲覧し、BがInfinity案件を担当しており、同案件は、A社とファイナンシャルアドバイザリー契約を締結している上場会社が、その上場子会社の株券の公開買付けを行う案件であることを知った。さらに、被告人は、自席において、Bがその席で電話により上司との間で同案件に関する通話をする中で、不注意から顧客の社名として「C」と口にするのを聞き、公開買付者がC社であるという事実を知った。その後、被告人は、インターネットでC社の有価証券報告書を閲覧し、関係会社の中で上場子会社はD社のみであることを確認し、公開買付けの対象となるのはD社の株券であると特定した。被告人は、知人のEに利益を得させる目的で、本件公開買付けの実施に関する事実の公表前に、Eに対して同事実を伝達し、EがD社の株券を買い付けた。
被告人が本件公開買付けの実施に関する事実を知ったことが、「その者の職務に関し知ったとき」という要件(本要件)に該当するかが争点となった。第1審判決は本要件該当性を肯定して懲役2年及び罰金200万円、懲役刑につき3年間執行猶予に処し、原判決もこれを是認したため、被告人が上告した。本決定は、上告趣意は適法な上告理由に当たらないとしつつ、本要件該当性について職権判示して原判断を是認し、上告を棄却した。
2 説 明
(1) 情報伝達・取引推奨規制(金商法167条の2)は、いわゆる公募増資インサイダー事件等を受け、平成25年法律第45号により創設されたものであるが、引用されている金商法167条1項の公開買付者等関係者についての規定は、昭和63年法律第75号によるインサイダー取引規制の新設時から存在しており(当時は証券取引法190条の3)、その後累次の改正を経てはいるものの、本要件の解釈を左右するような改正はない。
(2) 「公開買付けの実施に関する事実」とは、公開買付者(法人であるときはその業務執行を決定する機関)が、公開買付けを行うことについての決定をしたことをいう(金商法167条2項)。「行うことについての決定」は、投資者の投資判断に影響を及ぼすべきものであるという観点から、ある程度具体的な内容を持つものでなければならず(横畠裕介『逐条解説インサイダー取引規制と罰則』(商事法務研究会、1989)53頁、183頁等)、対象会社は具体的に明確になっていることを要する(神崎克郎ほか『金融商品取引法』(青林書院、2012)1273頁、木目田裕=上島正道監修『インサイダー取引規制の実務〔第2版〕』(商事法務、2014)457頁)。本件では、被告人は最終的には対象会社を具体的に認識しており、遅くともその時点で公開買付けの実施に関する事実を知ったということ自体には問題がないが、そこに至る経緯をみたときに、「職務に関し知った」といえるのかが争われている。
(3) インサイダー取引に関し、「職務に関し知ったとき」という文言は、金商法166条1項1号、5号(重要事実)、167条1項1号、6号(公開買付け等事実)に規定されており、学説上は、主として重要事実を念頭に議論され、重要事実についての解釈が公開買付け等事実にも妥当するものと解されている。未必的な認識で足りることを前提に(前掲横畠206頁、前掲木目田等276頁等)、①職務に関しというためにはどのような経緯で情報を得る必要があるのかという問題と、②職務に関しどのような情報を得る必要があるのかという問題が含まれているように思われる(梅本剛正「金融商品取引法一六六条一項五号による取引規制の対象とされるための要件[東京地裁令和元.5.30判決]」私法判例リマークス61号(2020)108頁、今井誠ほか「金商法166条1項5号の『職務に関し知った』に関する考察」旬刊商事法務2285号(2022)21頁等)。
職務に関しというためにはどのような経緯で情報を得る必要があるのかという点については、職務行為自体により知った場合のほか、職務と密接に関連する行為により知った場合を含み、誰から聞いたかなど知った方法は問わないとの見解(前掲横畠36頁)をはじめとして、学説上は多様な見解が示されており、他部署に立ち入った際等に偶然見聞きした事例や情報を盗取した事例についての考え方は分かれている。
また、金商法166条1項5号、167条1項6号は、法人の他の役員等が契約の締結等に関し重要事実等を知った場合に、当該法人の内部において職務に関し重要事実等を知った役員等に対して適用される規定である。この役員等は、当該法人の業務を分担しているという立場にあることから、当該法人と一体のものとして捉え、第一次情報受領者(同法166条3項、167条3項)としてではなく、準内部者として扱うこととしたなどと解説されている(前掲横畠43頁、179頁)。この準内部者の「職務に関し知ったとき」の意義については、同法166条1項1号、167条1項1号よりも限定的に解し、金商法が情報の第二次受領者をインサイダー取引の規制対象としておらず、同一法人内で職務上重要事実等が伝達されていくとたやすく規制対象外になってしまうため、法人内部で職務上重要事実等の伝達を受けた者について設けられたものであり、法人内で他の役員等が知った重要事実等が、同一法人内で何らかの形で伝わってそれを知るに至ったという事情が必要であるとする見解がある(黒沼悦郎『金融商品取引法〔第2版〕』(有斐閣、2020)436頁、470頁。「情報伝達要件説」と称されることもある。東京高判平29・6・29判時2369号41頁参照)。この見解が他の役員等から当該役員等に対する「伝達」(同法166条3項、167条3項。意義については横畠124頁、188頁参照)を要求しているのだとすると、伝達する側に伝達意思が認められる必要があることになる。
職務に関しどのような情報を得る必要があるのかという点については、投資者の投資判断に影響を及ぼすべき当該事実の内容の一部を知った者を含むとする見解(前掲横畠35頁、207頁)などがある。
(4) 本決定は、F部に所属するA社の従業者であった被告人が、その立場の者がアクセスできる本件一覧表に社名が特定されないように記入された情報と、F部の担当業務に関するBの不注意による発言を組み合わせることにより、C社の業務執行を決定する機関がその上場子会社の株券の公開買付けを行うことについての決定をしたことまで知った上、C社の有価証券報告書を閲覧して上記子会社はD社であると特定したという事実関係を指摘し、自らの調査により上記子会社を特定したとしても、証券市場の公正性、健全性に対する一般投資家の信頼を確保するという金商法の目的に照らし、本要件に当たることは明らかであるとした。
被告人が本件一覧表の自己の欄に担当業務の概要を入力することは、上司から命じられた被告人の職務そのものである一方、他のジュニアであるBの欄を閲覧することが求められていたわけではなく(一覧表という形式が採用されていたために閲覧できるようになっていたにすぎない。)、被告人は担当職務の遂行上必要がないのに一方的にBの担当案件を調査したという側面がある。しかし、被告人がF部に所属するA社の従業者という立場にあったために本件一覧表にアクセスすることができ、そこに記入された情報を知り得たことからすると、この点は職務関連性を否定する事情とはならないということであると解される。もっとも、被告人が本件一覧表を閲覧した段階で得ていた情報は、A社とファイナンシャルアドバイザリー契約を締結している上場会社がその上場子会社の公開買付けを行うという限度であり、公開買付者も対象会社も特定できておらず、いまだ投資判断に影響を及ぼすべき内容を知ったとはいえないとみる余地がある。
その後、被告人は、偶発的な契機ではあるものの、Bの通話中の不注意による発言から公開買付者はC社であるという事実を知り、それまでに得ていた情報と組み合わせることで、C社がその上場子会社の公開買付けを行うという、対象会社を特定するに当たり決定的に重要な情報まで得ている。F部では、担当外の従業者に本件公開買付け案件に関する未公表情報を知られないようにすべきこととされており、被告人は本来当該情報を共有すべき立場にはなく、上司と電話していた当時のBに被告人への情報流出の認識があったとは認め難いが、被告人はBの発言を聞き取ることのできる場所で執務していただけでなく、本件公開買付け案件を取り扱っているF部に所属していたことからすると、知り得る立場になかったなどとはいえず、職務関連性を肯定できるということであろう。本要件該当性を肯定するために契約の締結に関し公開買付けの実施に関する事実を知った他の役員等の伝達意思は要求されないとの立場であると解される。
本決定が、自らの調査により対象会社を特定したとしても、本要件に該当するのは明らかであるとしているのは、被告人が本件公開買付けの対象をD社の株券であると特定するに至る経緯には、自ら開示情報を閲覧するという調査が含まれているが、本件一覧表とBの発言により知った情報の内容や、上記調査の内容・性質に照らし、職務に関し知ったとみることの妨げにはならず、また、本件について本要件該当性を認めることで処罰範囲が不明確になるという問題は生じないということであると解される。
(5) 本決定は、事例判断ではあるものの、最高裁がインサイダー取引に関する「職務に関し知ったとき」の要件に関して初めて判示したものであり、立法趣旨や適用範囲について議論のある金商法167条1項6号について、他の役員等に伝達意思がなく、かつ、公開買付けの対象となる株券を特定するに至る過程に自己調査が含まれていても同要件該当性を肯定した事例として、意義を有すると思われる。