タイ:解雇に関する労働者保護法の改正
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 奥 村 友 宏
2018年8月28日に議会に労働者保護法の改正案が提出された。当該改正案に関して注目すべき点として、解雇に関連するいくつかの改正が検討されていることが挙げられる。具体的な改正案としては、①20年以上勤務を継続した従業員に対する解雇補償金の増加、②既存事業所への異動拒否に伴う解雇補償金の支払義務、③事前通知のない即時解雇に伴う賃金相当額の支払いに関する遅延損害金の増加が挙げられる。これらの改正案は、2017年8月15日に内閣により承認されていたものの議会への提出には至っていなかった改正案であり、タイ国内においては注目度の高い改正案である。
1. ①20年以上勤務を継続した従業員に対する解雇補償金の増加
タイの労働者保護法上、懲戒解雇等一定の場合を除き、従業員を解雇する場合には、当該従業員の勤務期間に応じて解雇補償金を支払うことが要求される。この解雇補償金の金額についての改正案が提出されている。具体的な解雇補償金の内容及び改正内容は以下のとおりである。
勤務期間 |
現行法 |
改正案 |
120日以上1年未満 |
退職時の賃金30日分 |
退職時の賃金30日分 |
1年以上3年未満 |
退職時の賃金90日分 |
退職時の賃金90日分 |
3年以上6年未満 |
退職時の賃金180日分 |
退職時の賃金180日分 |
6年以上10年未満 |
退職時の賃金240日分 |
退職時の賃金240日分 |
10年以上 |
退職時の賃金300日分 |
退職時の賃金300日分 |
20年以上 |
|
退職時の賃金400日分 |
上記の通り、勤務期間が20年を超える従業員に関する解雇補償金の金額が増加する改正案が提案されている。解雇補償金は、整理解雇等の場面のみならず定年退職時にも支給が必要となるものであり、この改正案が法案となれば、退職給付引当金の計算にも影響を与えることになるため、この改正案の動向について注意が必要である。
2. ②既存事業所への異動拒否に伴う解雇補償金の支払義務
現行法においては、使用者が新しい事業所に移転することに伴い、従業員を当該新事業所に異動させる場合に、当該従業員又は当該従業員の家族の通常の生活に対して重要な影響を及ぼし、新事業所での勤務を望まない場合には、当該従業員からの申出により当該従業員は雇用契約を終了でき、その場合、使用者は特別解雇補償金(解雇補償金相当額以上の金額)を支払わなければならないとされている。改正案においては、新しい事業所への移転にとどまらず、既存の事業所への移転に伴う従業員の異動の場合であっても、当該従業員又は当該従業員の家族の通常の生活に対して重要な影響を及ぼし、新事業所での勤務を望まない場合には、当該従業員からの申出により当該従業員は雇用契約を終了でき、その場合、使用者は特別解雇補償金(解雇補償金相当額以上の金額)を支払わなければならないとされている。現行法と改正案における特別解雇補償金の支払いの要否は、以下の通りとなる。
異動先 |
現行法 |
改正案 |
事業所 → 新事業所 |
特別解雇補償金必要 |
特別解雇補償金必要 |
事業所 → 既存の事業所 |
特別解雇補償金不要 |
特別解雇補償金必要 |
従前は、事業所の移転に伴う既存の事業所への従業員の異動は、現行法の対象外とされていたため、異動を拒否して退職する従業員に対する特別解雇補償金の支払は不要であった。この改正案が成立すると、既存の事業所への異動に関しても、異動を望まず退職する従業員に対する特別解雇補償金の支払いが求められる可能性が出てくる。バンコク市内で事業所を複数有している場合に、事業所の移転に伴う従業員の異動が「生活に対して重要な影響を及ぼす」ものとは一般的には考えられない場合が多いとは思われるが、距離が離れている複数の工場間の異動を命じるといった場合には、現行法とは異なり、当該従業員が異動を拒否した場合に特別解雇補償金の支払いが必要となる可能性が出てくる。
加えて、現行法及び当該改正案は、その文言からすると事業所の移転に伴い従業員が異動する場合を想定した規定ではあるものの、Council of State(行政機関の法解釈を行う国家機関)の担当官によれば、事業所の移転に伴う従業員の異動の場合に限らず、個々の従業員の事業所の異動の場合も当該改正案の対象とするか否かに関する議論もなされているとのことであるため、今後、事業所の移転を伴わない個々の従業員の異動に関しても、この改正案の対象となるかという点にも注目したい。
3. ③事前通知のない即時解雇に伴う賃金相当額の支払いに関する遅延損害金の増加
タイの労働者保護法上、従業員を解雇する場合には、原則として一賃金期間前の通知が必要であるが、一賃金期間前の通知を行わない即時解雇も、一賃金期間分の給与相当額を支払うことで可能とされている。この一賃金期間前とは、解雇に関する通知後の翌々給与日(給与日に通知した場合は翌給与日)までの期間を意味する。現行法では、判例(最高裁判例番号10816-10817/2559(2016)、12638-12639/2557(2014))において、即時解雇時の一賃金期間分の給与相当額の支払における遅延損害金は年率7.5%であり、かつ、その起算点は請求時とされているが、改正案においては、遅延損害金が年率15%に引き上げられ、かつ、その起算点が解雇時とされている。一見すると、即時解雇時に労働者保護法に従い、一賃金期間分の給与相当額を解雇される従業員に対して支払っていれば、当該改正により特段影響を受けないことになるため、この改正自体の重要性は高くないように思える。しかしながら、例えば、ある特定の従業員を懲戒解雇したものの、後の不当解雇による損害賠償に関する労働裁判で懲戒解雇事由が認められず、当該解雇が即時解雇として取り扱われる場合、当該即時解雇時(懲戒解雇時)から年率15%の遅延損害金が発生することになる。基本的に会社が給与を月額で支払っていることが多く、一賃金期間の給与相当額が比較的多額にはならないことを考慮すれば、仮に労働裁判が長期化したとしても、改正前後によりそこまで大きな金額の差は生まれない可能性は高いと思われるが、懲戒解雇を行う場合には、より慎重な判断が求められることになろう。
以上のように、解雇に関する労働者保護法の改正案は、基本的には、従業員側に有利な内容となっているため、使用者である会社側としては、この改正案の動向に注意が必要である。