◇SH2137◇最一小決 平成28年6月21日 児童福祉法違反被告事件(小池裕裁判長)

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  1. 1 児童福祉法34条1項6号にいう「淫行」の意義
  2. 2 児童福祉法34条1項6号にいう「させる行為」に当たるか否かの判断方法

  1. 1 児童福祉法34条1項6号にいう「淫行」とは、児童の心身の健全な育成を阻害するおそれがあると認められる性交又はこれに準ずる性交類似行為をいい、児童を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような者を相手とする性交又はこれに準ずる性交類似行為は、これに含まれる。
  2. 2 児童福祉法34条1項6号にいう「させる行為」に当たるか否かは、行為者と児童の関係、助長・促進行為の内容及び児童の意思決定に対する影響の程度、淫行の内容及び淫行に至る動機・経緯、児童の年齢、その他当該児童の置かれていた具体的状況を総合考慮して判断すべきである。

 1、2につき児童福祉法34条1項6号、60条1項
 1につき児童福祉法1条

 平成26年(あ)第1546号 最高裁平成28年6月21日第一小法廷決定 児童福祉法違反被告事件 上告棄却(刑集70巻5号369頁登載)

 原 審:平成26年(う)第218号 福岡高裁平成26年9月19日判決
 原々審:平成25年(わ)第37号 福岡地裁平成26年5月19日判決

 本件は、高校の常勤講師の被告人(当時28歳)が、同校生徒の被害児童(当時16歳)に対し、2度にわたり自己を相手に性交(以下「本件各性交」という。)させたという児童福祉法違反の事案である。被告人は、被害児童と本件各性交をしたことは認めていたが、弁護人は、被告人が同児童と交際していたから、本件各性交は児童福祉法34条1項6号(以下「本号」ともいう。)にいう「淫行」に当たらない、被告人が同児童に事実上の影響力を及ぼして働きかけていないから、同号にいう「淫行をさせる行為」はしていないなどと主張して同号該当性を争うと共に、原々審当時から、同号の構成要件が不明確であるから、同号は憲法31条に違反するとの規定違憲を主張していた。本決定は、規定違憲をいう点を前提を欠いた不適法な主張として排斥した上で、職権により、「淫行」の意義と「させる行為」の判断方法について判示し、被告人に同号違反の成立を認めた原判決の判断を結論において是認して上告を棄却した。

 

 本号にいう「淫行」の意義を示した最高裁判例はこれまでなかったが、学説上は、同号の「淫行」の意義として、「性道徳上非難に値する性交又はこれに準ずべき性交類似行為」とする解釈が一般的なものとされ(小泉祐康「児童福祉法」平野竜一ほか編『注解特別刑法 第7巻〔第2版〕』(青林書院、1988)36頁等)、本件原判決が是認した原々審判決も同様の解釈を明示していた。

 しかし、「性道徳」として想起されるところには、かなりの広がりがある上、その判断は、それぞれの人が抱く価値観によって差が生じかねない。そこで、児童福祉法の理念、趣旨に立ち返ってみると、本号の定める「淫行」に当たるかどうかは、児童福祉法の趣旨に照らし、端的に、「児童の心身の健全な育成を阻害するおそれ」があるかどうかによって、決せられるべき事柄といえ、また、児童の心身の健全な育成を阻害するおそれがあるかどうかは、一般人であれば共通のイメージを抱くことができ、明確な解釈基準になり得るものと思われる。このようなことから、本決定は、「児童福祉法34条1項6号にいう「淫行」とは、同法の趣旨(同法1条)に照らし、児童の心身の健全な育成を阻害するおそれがあると認められる性交又はこれに準ずる性交類似行為をいうと解するのが相当」としたものと思われる。

 

3 「させる行為」の解釈

 (1) 本号の解釈に係るこれまでの動きをみてみると、淫行が児童に及ぼす有害性の高さや児童保護の観点から、淫行を「させる行為」に当たると解される範囲が徐々に広がっていき(最三小判昭和30・12・26刑集9巻14号3018頁等参照)、最二小決昭和40・4・30集刑155号595頁において、「淫行をさせる行為のうちには、直接たると間接たるとを問わず児童に対して事実上の影響力を及ぼして児童が淫行をなすことを助長し促進する行為をも包含する」との解釈が示され、その後、緩やかな助長・促進行為であっても、「させる行為」に該当するとされる事例が増えていった。ただし、昭和40年判例当時には、自己を淫行の相手とする場合は、淫行を「させる行為」に当たらないとの解釈が通説的見解であり(澤新=長島裕「児童福祉法」伊藤榮樹ほか編『注釈特別刑法 第8巻』(立花書房、1990)790頁等)、昭和40年判例も、同見解を前提としていたものと思われる。一方、児童保護の観点から、自己を淫行の相手とする淫行をさせる場合も本罪に含まれるとの解釈がかなり早い段階から学説上示され、有力となっていたところ(小泉祐康「児童福祉法」研修252号(1969)105頁等)、やがて、下級審判例において、これを肯定する事例が急速に増え、最三小決平成10・11・2刑集52巻8号505頁もこれを肯定する趣旨の判示をした。このように自己を淫行の相手とする場合も淫行を「させる行為」に当たり得るとしつつ、その行為としては緩やかな助長・促進行為があれば足りると解されるとすると、処罰範囲が広くなりすぎるのではないか、各都道府県における青少年保護育成条例における淫行処罰との違いが不分明になるのではないか、といった問題が指摘されており(例えば、佐々木史朗・若尾岳志「児童福祉法34条1項6号の『児童に淫行をさせる』にあたる行為」判タ1053号(2001)67頁等)、児童買春を処罰する法律との関係も問題とされるなど、本号の処罰範囲をどのように解すべきなのかについて、改めて検討すべき必要性が高まっていたものと思われる。

 (2) 最近の学説上、「淫行をさせる行為」について、自己を相手とする淫行をさせる類型(二者関係型)と自己以外の者を相手とする淫行をさせる類型(三者関係型)の二類型に分けて検討するアプローチが有力になっている(芥川正洋「児童福祉法34条1項6号にいう『児童に淫行をさせる行為』の意義」法時84巻4号(2012)116頁、本決定後のものとして、深町晋也「児童に対する性犯罪について」山口厚ほか編『西田典之先生献呈論文集』(有斐閣、2017)327頁、樋口亮介「性犯罪の主要事実確定基準としての刑法解釈」法時88巻11号(2016)91頁等)。また、「させる行為」の内容を考える視点の一つとして、自律的判断が困難な状況下で性行動が行われることにより児童の健全育成が阻害されるとして、本罪と児童の自律的判断との関係を指摘する見解(前掲芥川)や、「させた」といえるには児童の意思決定に対する影響力、心理的負担があったことを必要とする指摘する見解もかなり早くから示されていた(横田信之「児童福祉法34条1項6号の『児童に淫行をさせる行為』の意義」家月39巻4号(1987)108頁)。

 そもそも、本罪は、双方の同意に基づくものである限り本来的には可罰性のない性行動につき、軽はずみな性行動が児童の心身に重大な害悪を及ぼし得ることや、未熟な児童には性行動に係る適切な判断力が備わっていないことから、児童の心身の健全育成を保護するため、児童の同意や自発的意思の有無を問うことなく、「淫行をさせる行為」をした者を重く処罰しようとするものであると解される。そうであるとすると、当該児童において自己の性行動に関する適切な判断力が十分にあり、かつ、心身の健全育成の観点からみてもその判断を尊重するのが相当といえる状況下で、当該児童による自律的な自己決定として性行動に及んだ場合には、仮に淫行の相手方から児童に対して何らかの助長・促進行為があったとしても、児童の意思決定に影響力を及ぼしたとはいえず、当該児童に淫行を「させた」と解すべきではないように思われる。この点、昭和40年判例においても、「淫行をさせる行為」について、「直接たると間接たるとを問わず児童に対して事実上の影響力を及ぼして児童が淫行をなすことを助長し促進する行為」と判示されており、助長・促進行為のみならず、児童の意思決定に対する影響力についても検討することが求められていたと解される(なお、児童福祉法の理念として、児童の自立、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮されるべきことについて、児童福祉法2条1項参照。)。他方で、本罪は、児童の判断力が未熟であることを前提に児童の心身の健全育成を図るものであるから、児童に自発的意思があるようにみえたからといって、ただちに児童に影響力が及んでいないとみるべきでないことも当然である(昭和30年判例参照)。

 このような観点から考えてみると、三者関係型では、本来は二者間の交渉においてなされるべき性行動に係る判断過程に、第三者が関わってくるということ自体が、児童の性行動に係る判断の自律性を一般的に歪める行為であるから、緩やかな助長・促進行為しかなく、児童の自発的意思があったとしても、児童の意思決定に「事実上の影響力」を及ぼしたものとして「させる行為」に当たると認められやすいということができ、二者関係型では、「させる行為」に該当するかどうかを判断するためには、その二者の関係性や、助長・促進行為がどのようなものであったかを具体的に検討して、児童の意思決定に及ぼされた事実上の影響力がどのようなものであったかを個別に検討する必要性が高くなるという違いがあるように思われる。したがって、二者関係型と三者関係型とでは、児童の意思決定に対する影響において、類型的に異なる性質があり、これらを分けて検討することは有益と考えられ、二者関係型では、「させる行為」に該当するというためには、三者関係型に比べて+αの要素が必要になってくるものと思われる。そして、そのような+αの要素となり得るものとして、①行為者による優越的地位の利用や困窮状態の利用といった何らかの支配関係の成立(西田典之「児童に淫行をさせる罪について」宮澤浩一先生古稀祝賀論文集(3)『現代社会と刑事法』(成文堂、2000)305頁、鎮目征樹「児童福祉法34条1項6号にいう『児童に淫行をさせる行為』に当たるとされた事例」ジュリ1210号(2001)219頁等。)や、②保護責任者的地位の利用(前掲深町328頁)などを典型的なものとして捉えることができるように思われる。

 他方で、児童の心身の健全育成という児童福祉法の趣旨に照らしてみれば、二者関係型において、支配関係の成立や保護責任者的地位利用が認められなくても、本罪による処罰にふさわしい「させる行為」といえるだけの実質を備えた行為があり得るようにも思われ、二者関係型類型において本罪が成立するのは、支配関係の成立や保護責任者的地位利用がある場合に限定されるとまで言い切ることには疑問が残る。また、行為者と被害児童との間に何らかの支配関係あるいは保護責任者的地位がありさえすれば、助長・促進行為が微弱であっても常に「させる行為」に当たるとまではいえないであろうから、支配関係や保護責任者的地位を要求するだけでは、なお処罰範囲の外延が明らかになっているともいい難いであろう。

 (3) 「させる行為」について本決定が示した判断方法 

 以上のとおり、「させる行為」の解釈が次第に変遷していく中で、「させる行為」の本質部分をどのように捉えるべきかや、その類型化をめぐる議論は、未だ十分に熟しているとはいい難い状況にあるように思われる。

 そのような中、本決定は、「同号にいう『させる行為』とは、直接たると間接たるとを問わず児童に対して事実上の影響力を及ぼして児童が淫行をなすことを助長し促進する行為をいう」と判示し、昭和40年判例で示されていたとおり、「させる行為」該当性について、①「事実上の影響力」を児童に及ぼしているか、②児童が淫行をすることを助長し促進する行為であるか、の二つの観点から判断する解釈を踏襲する判示をし、その上で、「させる行為」に該当するかどうかについては、「行為者と児童の関係、助長・促進行為の内容及び児童の意思決定に対する影響の程度、淫行の内容及び淫行に至る動機・経緯、児童の年齢、その他当該児童の置かれていた具体的状況を総合考慮して判断するのが相当である」と判示して、その判断方法を明らかにした。本決定は、「淫行をさせる行為」が、立法当初の解釈に比べて相当に広範囲なものを含む解釈が定着している中で、本号による重い処罰にふさわしい行為に限定されていなければならないとの要請も満たしつつ、児童保護の観点からも適切な処罰範囲を画するため、本罪に該当するとされた裁判例の集積を踏まえ、「させる行為」を判断する際の具体的考慮要素を明示して判断方法を明らかにすることにより、処罰範囲の明確化を図ろうとしたものと思われる。

 本決定によれば、「させる行為」に当たるかどうかを評価するに際しては、当該児童に及んでいる「事実上の影響力」の程度を踏まえた上で、「させる行為」と評価できるような「助長・促進行為」があるかどうかを、当該児童が淫行に及んだ具体的状況に照らして個別に検討していくことになろう。

 

 本決定は、①本件各性交が、被害児童を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような者を相手とする性交であること、②被告人と同児童との関係について、被告人が同児童(当時16歳)の通う高等学校の常勤講師であったこと、③被告人の具体的行為として、校内の場所を利用するなどして同児童との性的接触を開始し、ほどなく同児童と共にホテルに入室して性交に及んだことを簡潔に指摘しており、本件においては、強力といえるような助長・促進行為はないものの、高校講師である被告人が被害児童に及ぼした「事実上の影響力」を踏まえれば、本件各性交をした行為が、「児童に淫行をさせる行為」に当たると判断されたものと考えられる。ただし、この判断は、原々審判決が詳細に認定した具体的事実関係が前提とされている点にも留意すべきであろう。

 

 本決定は、児童に対する性犯罪を規制する重要な法令の一つである児童福祉法に定められた本罪の構成要件である「淫行」の意義を明らかにするとともに、「させる行為」の判断方法を示した最高裁判例として、実務上重要な意義を有するといえる。なお、本決定は、二者関係型と三者関係型との区別を含む類型別の検討の重要性を否定するものではないし、また、本罪の処罰対象となり得る典型類型をどのようなものとみるべきかや、そのような典型類型以外にどのような類型があり得るのかなどについては、今後の裁判例や議論の積み重ねに委ねられたものといえよう。

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