「会社は誰のものか」をあらためて考える(1)
富士ゼロックス株式会社
知的財産部マネジャー
梅 谷 眞 人
1. 会社は誰のものかいう問題の立て方について
「会社は株主のものであり、株主は会社を所有している」という命題、そしてその命題から導かれる「株主利益の最大化」のみが第一優先であるという主張は、資本主義社会における合理的投資行動のインセンティブを投資家に与える経済理論として、リスク・テイカーである出資者に意思決定権を与える理論として、あるいは経営者の利己的行動をコントロールする理論としては、正しい面があるのかもしれない[1]。しかし、日本法の実定法解釈論としては、何か違和感がある。
この命題は、定義されない用語を曖昧に使っていて、「会社」の定義や「もの」の意味が不明確であり、命題の立て方それ自体が論理的に不完全である。そして、その本質は、複数の利害関係人(ステイクホルダー)の利益が対立したときに、誰の利益を優先するかを決定する価値判断を正当化する理由として使われる一種のイデオロギー(集団の行動を制約する意識ないし思想信条の体系)のように思える。
第一に、「会社は誰のものか」と問うとき、「会社」とは何か。(a)法人としての会社それ自体、(b)会社が使用、収益、管理および処分している有体および無体の財産、(c)自然人である労働者が提供する労務の結果として得られる成果、すなわち営利法人としての活動およびその活動から得られる収益または損失、(e)会社が優先順位を置くべき価値、(f)会社の意思決定権限など、論者が何を想定して「会社」という言葉を使っているのかを明らかにすべきだと思う。
第二に、「ものである」とはどういう意味か。(a)所有権の帰属なのか、(b)会社財産の管理処分権の帰属なのか、(c)経営者が優先順位を置くべき利害関係人の選択基準なのか、(d)裁判所が法的価値判断において誰の利益を優先して事件を審理判断すべきという基準なのか、(e)会社は誰の何の利益を守るために存在するのかなど、「ものである」という言葉についても、使われる場面によってその意味が異なると感じる。
2. 実定法において会社は誰のものになっているか
「会社」は「営利・社団・法人の企業(利益を追求する経済活動の主体)」である。個人事業主であれば、当該企業の財産は事業主個人の所有物であって、事業主がその企業を所有していると表現しても良いと思う。日本の会社法では会社を社団としており、社団の構成員である社員が会社の所有者であって、株式会社では株主が所有者となると解釈する見解もある。しかし、六法全書を開いて条文を読んでみると、株主が会社の所有者であるという文言は法律に書かれていない。会社は、法人格を与えられた企業であり、法律上、権利義務の帰属主体として人と擬制され、会社資産の法律上の所有者である。株主は、株主総会における議決権等から成る共益権と、利益配当請求権や残余財産分配請求権から成る自益権で構成される権利の束となった有価証券であるところの株式の所有者である[2]。実定法解釈論であれば、法律の条文を示して議論すべきであると思うので、以下、条文を読んでみよう。
- ⑴ 会社は、権利義務の帰属「主体」であって、所有権の対象となる「客体」ではない(会社法3条、民法34条)。
- ⑵「所有権」の対象は、「有体物」であり(民法206条、85条)、株主が所有しているのは会社が発行する有価証券の「株式」であって(会社法127条、146条[譲渡・質入れ可能性、すなわち処分権]などを参照)、株主は「会社」を所有していない。
- ⑶ 株主の権利は、細分化された持分に応じて、会社法所定の議決権(特に、取締役の選解任権)、剰余金配当請求権、残余財産分配請求権などの権利(会社法105条以下)であって、会社を客体とする「所有権(民法206条。使用・収益・処分権)」ではない。ただし、支配株主は、取締役を選任することを通じて、間接的に、資本多数決のもとで、会社財産の使用、収益及び処分の方針を決定することができる。少数株主にその権利は実質的にないし、株価の値上り益を追う投資家は、J.M.ケインズが例示した「美人コンテスト」のように、市場が値上がりすると思っている株式を買う者である[3]。
- ⑷ 会社財産そのものは、当該「会社」の所有物である。特許などの知的財産権も法人としての会社に帰属する。法的には株主の所有でない。株主が会社に立ち入って、株主は会社の所有者だからと言って、会社に所有権と占有権がある会社財産を俺のものだと持ち帰ったら窃盗罪である。
- ⑸ 会社を解散・清算すれば、他のすべての債権者に劣後して(物権の特徴である排他権がなく)、残余財産の範囲で金銭が分配される(一種の停止条件付き金銭債権)[4]。会社財産を責任財産として債務の履行を請求する権利(追求権)は、株主に優先して、銀行の貸金債権や従業員の給与債権などを含む会社債権者が持っている。
- ⑹ 会社は、自然人たる労働者を所有することができない。労働者が雇用契約に基づいて提供する労務の成果は、雇用契約の当事者である会社に帰属する(民法623条)。
以上のように、株主は、法人としての会社、物的資本および人的資本を民法の所有権の定義では「所有」しておらず、会社の資産を含む有機的一体としての事業の管理処分権を持つのは会社であって、「会社」(ここでは、一定の営業目的のために組織化され、有機的一体として機能する財産、端的に言って「企業体」という意味である[5])は「会社」(権利義務の帰属主体である法人という意味である)のもの」になっている。
株主は、自己が拠出した物的資本の管理を経営者に信任したが、託した後に経営される「会社」という存在について直接の管理処分権を持っていない。株主は株主総会における議決権を通じて間接的に機関意思決定を行い、「会社」の経営執行機関(取締役会等)や代表者(代表取締役等)が「会社」を管理する。そして、結果として、リスク・マネーを提供した株主に事業成功の利益を分配し、不成功の損失を負担させ、解散・清算時に最期に残った財産を分配する。ただし、残余財産分配請求権(residual claim)は、所有物の返還請求権ではなく、金銭債権であって、株主が会社財産の所有者だからという物権的請求権は与えられていない。
[1] そもそも、何が合理的で人類に価値ある行為かを決定する基準が問題である。
[2] 岩井克人『会社はだれのものか』(平凡社、2005)9頁、19頁、21頁、58頁参照。岩井教授は、「二階部分では、株主が会社をモノとして所有し、一階部分では、会社がヒトとして会社資産を所有している」と表現している。個人事業主が企業の事業用資産を自ら直接所有する状態と異なり、法人化された企業である会社の場合、株主は会社の事業用資産を所有しているわけではない。同・36頁は、「株主主権論とは、企業と会社を混同した法理論上の誤り」であるとする。
[3] J. M. ケインズ(塩野谷祐一訳)『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社、1995)参照。
[4] 株主が会社に対して議決権と「残余支配権」を有していることを根拠として、株主が企業の所有者であると主張するハンスマンおよびイースターブルック=フィッシェルの理論について、宍戸善一『動機付けの仕組としての企業――インセンティブ・システムの法制度論』(有斐閣、2006)17頁~20頁参照。残余コントロール権と所有の関係について、オリバー・ハート(鳥居昭夫訳)『企業 契約 金融構造』(慶應義塾大学出版会、2010)39頁以下参照。
[5] 適切な定義か否か自信はないが、最大判昭和40・9・22民集19巻6号1600頁が示した営業譲渡における営業の定義を借用しておく。